王太子様の愛人
宮前葵
第1話 愛人になる
私が王太子様の愛人になったのは17歳の時だった。
その頃の王太子様の評判たるや、まぁ、酷いものだった。一言に集約するなら「女の敵」ということになるだろうか。
容姿は素晴らしい。キラキラの金髪に物憂げな青い瞳。綺麗な輪郭に真っ直ぐ通った鼻筋。表情はあまり豊かとは言えないが、優しく微笑むとそれはそれは麗しいのだ。背も高く、やや瘦せ型で、がっつり男らしい人をお望みの人以外には好印象だろう。
その美男子ぶりを使って、国中のあらゆる女性を喰いまくっている、というのが悪評の元だったのだ。それはもう「貴族のご令嬢から庶民の娘までお構いなし」というのだから凄まじい。年齢も幅広く、未婚既婚も問わず、毎日女を取っ替え引っ替え。そりゃ評判が良いわけ無い。
しかも同じ女性は二度抱かないというのがポリシーらしく、特定の恋人はいない。勿論23歳にもなってお妃もまだいない。「エイマー王国の処女喰い王子」と言ったら隣国でも有名らしい。関係した女性は一説には三桁に達するとか。
そんな噂が流されるエイマー王国王太子、ブレンディアス王子が私の御主人様だ。
私、カムライール・ルステンは元々は商家の娘だった。
私の家は曾祖父の代までは伯爵家だったのだが、曾祖父の代に没落して庶民になり、祖父の代に商売で成功したそうだ。そして父の代になり、見事に投資詐欺に引っ掛かって破産した。
幸い、身売りを余儀なくされる程酷い状況にはならなかったので。私は働き口を探した。幸い、それまでは一応裕福なお嬢様だったから教養は多少あり、血筋もそれほど悪くないという事で、私は王太子様のお屋敷の下級侍女に雇われた。
侍女にも階級があり、ご主人様の身の回りの世話をする上級侍女は貴族出身、お屋敷の掃除やご主人さまのお洋服の洗濯など雑用一般をする下級侍女は、普通は庶民の出身の者がなった。それ以外のもっとキツイ汚れ仕事、力仕事をするのは下働きの仕事だ。
下級侍女の血筋にまで拘るなんて流石王太子様だな、と私は思ったのだが、それはどうも例の王太子様の女癖のためらしい。つまり下級侍女にまで手を出すことがあるので、あんまりド庶民を雇っておくわけにはいかないという事らしい。万が一お子様も出来てしまったらその庶民娘が国母になり庶民の親が外戚になってしまうからだ。
つまり王太子様はそれくらい女を選ばない。選ばないと思われているという事だ。私はその事を雇われてから知った。
感想は「ふーん」てな感じだった。私は男女関係に疎かったし、これまで男性と付き合った事はおろか意識した事すら無かったから良く分からなかったのだ。男女関係は知識としては知っていたけど。
下級侍女の中には実際、王太子様と関係を持った人が何人かはいるらしい。ただ、その事でお屋敷の内部で扱いが変わる事も無く、関係はそれ一回だけ。つまり見事にただ食い散らかされただけで、本人には余り良い思い出では無いらしく、積極的に口外していないのだとか。
そりゃそうだ。今時守っている人は少ないとは言え、一応戒律に曰わく結婚まで純潔を保つのが望ましい事になってるのだ。いくら王太子様の御命令でやむを得なかったとは言え、自分が処女で無いなどと言いふらしたら嫁の貰い手が減ってしまう。王太子様と関係が続くのならいざ知らず、何しろ相手は処女喰い王子だ。
もっとも、まだ手を付けられていない侍女達は無邪気に「あの美男子の王太子様に喰われるなら本望だわ」などとキャイキャイ騒いでいる。王太子様は流石に身分低い侍女にはそれ程手を出さないらしく、下級侍女でお手つきになったのは数十人いる内のホンの数人。そんなレベルだから呑気に言ってられるというのはある。
ちなみに数人しかいない上級侍女は全員がお手つき済みと聞いた。おかげで最近は貴族は令嬢を王太子様のお屋敷に侍女として出したがらないのだとか。そればかりか夜会などでも貴族令嬢は王太子様に近付かなくなっているらしい。お妃になれるなら兎も角、一夜の関係しか期待出来ないなら、王太子様に抱かれても無駄に醜聞が増えるだけだからね。
私がお屋敷に入った頃には王太子様の醜聞は最高潮で評判は最悪。侍女仲間に尾鰭を付けて噂される中には王都で夜な夜な処女の乙女を求めてさまよっているらしいというのまであった。いや、流石にそりゃ嘘だ。だって王太子様大体毎晩お屋敷にいるじゃん。
あんたも気を付けなよ、と言われたが、私は全然心配していなかった。私は身長が小さく体型も細く、全く女らしさが無い。髪も目も焦げ茶で目立たないし、生まれてこの方男性に女扱いされた事も無い。つまり色気が無い。しかも下級侍女でほとんど王太子様の御前には出ない。目に留まる要素が無い。経験豊富で目も肥えてる王太子様がこんな小娘に目を付けるなんて、無い無い。
・・・などと安心しきっていたのがいけなかったのだ。私は処女喰い王子を舐めていた。それは私がお屋敷に入って半年くらい過ぎた頃に起こった。
その日、私は王太子様のお部屋へ掃除に入った。王太子様は普段ならとっくに王宮に出仕なされているお時間で、この時間にいつもお掃除に入るのだ。
いつもピカピカにされている上に、王太子様が寝る時くらいしか使われないお部屋だからまぁ、綺麗なものだ。しかし、手は抜けない。まず、箒で床をせっせと掃く。大理石貼りの床もカーペットもしっかり掃いて埃を集め、それからモップで床を拭く。それが終わったら雑巾で家具を磨く。王太子様のお部屋の家具だけに装飾が沢山付いた豪華な家具だから慎重に丁寧に。大きな部屋の端から始め、段々奥に、ベッドの方に向かって家具を磨いて行く。
そこで気が付いた。あれ?ベッドにお布団とかがそのままだ。布団の類は朝一番で上げてシーツ類は洗濯し、布団は干す事になっているのに。私が不思議に思いつつ丸くなった布団を見ていると、それがもぞもぞと動いた。
「キャ!」
と私が悲鳴を上げると、布団からヒョッコリ顔が出てきた。サラサラ金髪と苦笑を浮かべた青い瞳。意外に幼い印象がある顔が私を見上げていた。
「すまない。出そびれてしまった」
しみじみ良く見てようやく気が付いた。あらやだ、この人王太子様だわ。まぁ、王太子様のベッドなんだから当たり前か。じゃなくて、珍しく王太子様がお寝坊していたものらしい。ちょっと!なんで誰も言ってくれないの?私下級侍女のチーフにちゃんと王太子様のお部屋の掃除してきます、って言ったよね。
私は慌てて頭を下げる。
「申し訳ございません。王太子様。お騒がせいたしました」
王太子様は笑って言った。
「構わない。ちょっと寝坊のつもりがもうすぐ昼だからな。無理もない。起きるから支度を手伝ってくれ」
「あ、では上級侍女を呼んできます」
「構わない君が手伝ってくれ。ただ着替えるだけだ」
王太子様はベッドを降りるとクローゼットの方に行ってしまう。仕方無い。私はクローゼットを開け、王太子様の指示に従ってシャツやズボン、タイなどを出した。王太子様は自分の服は自分で着たいタイプらしく、着せ掛けようとすると断られた。
サクサクと服を着る王太子様に服をお渡しし、髪を梳かす王太子様をただ見守る。本当は顔を洗う用意をした方が良いんだろうけど、私はやったことが無いので支度の仕方が分からないのだ。
服を着こんで身支度を終えた王太子様は「ありがとう」と言い残してお部屋を出て行った。その間わずか数分。私は目をパチクリさせるだけだった。ちなみに私は後で侍女長に怒られた。部屋に入る時にベッドに王太子様がまだ寝てらっしゃることに何故気が付かないのかと。ごもっともだ。
そんな事があった三日後の事だった。
私は侍女長に呼び出された。私は首を傾げた。侍女長に直接会うなんて滅多に無い事だ。この間怒られたのが久しぶりに侍女長と話す機会だったくらいのものなのだ。何だろう。正直、あんまり良い話とも思えない。
恐る恐る侍女長のお部屋に伺うと、40代半ばの侍女長は能面の様な顔をしていた。・・・美人がそんな顔をするとちょっと怖い。
そして侍女長は声も平坦に私に言ったのだった。
「今晩、王太子様があなたをお召しです。お部屋に伺うように」
・・・。お召し?意味が分からなくて私は首を傾げる。侍女長は溜息を吐いて平易に言い直してくれた。
「今晩、王太子様のお部屋に行きなさい。何をお求めなのかは流石に言わなくても分かりますね?」
・・・。え?私が意味を悟って呆然としていると、侍女長はテキパキと指示してくれる。
「お風呂は最初に使えるように手配しておきます。服は侍女服で良いですが、下着は新しい物を着なさい。部屋に届けさせます。王太子様がお帰りになる19時までには王太子様のお部屋にいなさい」
ちょ、ちょっと待って下さいよ。私は無意味に手をバタバタと振って侍女長に向かって抗議しようとしたが、侍女長は私をひたと見据えて言った。
「拒否は出来ませんよ。分かっていますね?」
わ、分かってます。分かっていますけどね。
「何かの間違いでは無いですか?私は下級侍女ですよ?」
「この間あなたをご覧になって、お気に召したという事です。光栄に思いなさい」
どうやら間違いでも何でもないらしい。この間たった数分間顔を合わせただけだというのになぜか目を付けられたのだ。どういう事なの?王太子様、流石に見境無さ過ぎじゃない?いや、そうだとは聞いていたけども。
これは大変だ。私は慄いた。私は正真正銘の処女で未経験で男女関係に激しく疎く、知識もあんまり無い。つまり何をどうしたら良いか分からない。おろおろしている私を侍女長は同情心たっぷりの表情で見てくれた。どうしてくれる気も無さそうだったが。
私は仕方なく侍女用の浴室へ行った。これは身分の順番に使う事が許されているもので、下級侍女の私は後回しなのでお湯も汚れているしあまり使わない。お湯を貰って部屋で湯浴みの方が多い。しかし今日は誰よりも早く使う事が許された。丁重に身体を洗う。・・・ムダ毛とか剃った方がいいのかしら?ダメだ。分からない。
部屋に戻ると、部屋に新しい下着が届けられていた。同室のエマリーが不思議そうに言う。
「さっきあなたにって届いたのよ。支給の月じゃないのに不思議ね?」
不思議ではない。しかし、あんまり大っぴらに言う事でも無いので私はごまかす。新しい下着を身に着け、洗濯してあった侍女服に着替える。時間はまだ17時前。・・・早い分には良いのかな?それともギリギリのが良いのかしら?ダメだダメだ。分からない。仕方なく私はお待たせするよりは良いと、王太子様のお部屋に行った。
王太子様のお部屋担当の上級侍女はすっかり承知で私を黙ってお部屋に入れてくれた。お部屋には灯りが既に入っていて、私は中に入ると椅子にちんまりと座った。上級侍女は親切にもお茶を入れてくれた。そして慣れた口調で言う。
「あと2時間はお帰りにならないからリラックスしていなさい。トイレはあの部屋。お化粧はあっちの洗面所で直すといいわ」
あ!お化粧!そういえばしていない。侍女になってからすっかりやっていないわ。お化粧。
「王太子様がお出でになったら一緒に食事をして、それから王太子様がお風呂に入られて、そうしたら灯りを消しますからあなたはベッドに行くのよ」
ご親切にどうも。というかそういう生々しい話をされるともう恐怖しかない。私が震えていると上級侍女は軽く笑った。
「大丈夫よ。黙って王太子様にお任せしていればすぐ終わるわ」
そう言えば上級侍女はみんなお手付きだと言っていたわね。この人もお手付きなんだわ。経験者だ。処女喰い王子被害者友の会だ。
プルプルしながら待つ事数時間。ようやく王太子様がお帰りになったようだ。私は緊張し過ぎて疲れてしまって、既にもう眠かった。しかしドアが開いて王太子様が入ってくると流石にシャンとなる。
「お、お帰りなさいませ」
私が頭を下げると、王太子様は少し驚いたような顔をなさってうん、と頷いた。
「ああ。待たせたか?少し待て。食事にしよう」
王太子様は今日は執務だったのだろうか。グレーのスーツに青いネクタイという地味な格好で、それをクローゼットで上着を脱いでネクタイを外し青いシャツ姿になると、テーブルの所に歩いて行く。どこで食事を摂るのか分からなかったのでまごまごしていた私は慌ててテーブルの方へ行った。
王太子様が座った正面に座らされる。ひや~。緊張する。テーブルは大きいが、僅か5m前に王太子様がいるわけだからね。王太子様は少しお疲れの表情だ。大きく青い瞳に覇気が無い。金髪の艶も良くない。女抱くよりしっかり寝た方が良いんじゃないの?と言いたくなる。
コンソメスープから始まるコース料理を食べる。うん。美味しい。元お嬢様の私だが、流石に王太子様が食べている料理は格が違った。絶品だ。さっきまで食事などしている場合では無い気分だったが、こんなにおいしい料理は食べなきゃ損だ。子牛のステーキハーブソースを堪能していると、王太子様が苦笑していた。
「良く食べるな。小さいのに」
「良く言われます。でも、美味しい料理ですね」
「そうか。マナーはちゃんとしているな。庶民では無いのか?」
「元は裕福な商家の生まれです。家は破産してしまいましたが」
「そうか。それは大変だったな」
「そうでもありません。ここでちゃんと雇って頂けましたし、こうして美味しい料理も食べる事も出来ます。恵まれています」
「そうなのか?」
王太子様はニコニコと笑った。う、何とも麗しい笑顔だった。男らしくは無いけど美形で、すごく優しそうなお顔だ。私の事を気遣っているのがよく分かる話しぶりで、私の話を良く聞いてくれるし、押し付けがましくない。・・・これは、普通にモテるのではないだろうか。
しかしながら食事を終えて王太子様が浴室でお風呂に入られると、上級侍女がやって来て私をネグリジェに着替えさせる。・・・うわ~。いよいよか。歯を磨き、髪は解き、ベッドに横になる。流石にめちゃくちゃフワフワで良いベッドだわ。私は既に相当精神を削られていたので横になると瞼が重くなってきてしまった。
が、流石に灯りが消され、燭台に先導されて王太子様がベッドに近付いてくると緊張が高まって来る。王太子様がベッドに入られ、侍女が下がって部屋のドアが閉まる。
ぐわ~ドキドキする。というか、顔が赤くなり過ぎて破裂しそう。私は王太子様に背を向けて思わず身体を丸めてしまう。王太子様が苦笑するのが聞こえた。
「それほど怖がらなくても良い。無理な事をさせるつもりはない」
命じて来させておいて良く言うよ、と言いたいところだが、王太子様がお優しい方なのは食事の時でかなり分かったので、言っている事も嘘では無いのだろう。なんというか基準が違うのだ。私は決心して王太子様に向き合うように寝返りを打った。王太子様はベッドに座って私を見下ろしている。案の定、王太子様は大変お優しい、気遣うような表情で私を見ていた。不思議だ。私がここで泣いて嫌がれば、この人は多分何もしないんじゃないか、と思えるような顔だった。
それでいて、私がこの人を拒否したら、この人は凄く傷つくんだろうな。と思える顔だった。繊細で、傷つき易くて、本当に優しい。そういう人に見えた。無理やり処女を召し出して喰っちゃう人とは思えない。う~ん、でも私は現実に召し出されて食べられようとしている訳ですよ。どうなんでしょうね。
暗いベッドの上で王太子様はただ、私を見ている。私の事を待っていて下さるのだ。う~ん。私は何も分からないので、王太子様が何かしてくれなければどうしようも無いんだよね。そう思っていると、王太子様がそっと私の頬に触れた。
「良いか?」
う・・・。拒否権はあるのだろうか?いや、事がこの期に及んではあるまい。
私は決心してこっくりと頷いた。
正直言うと行為自体は全然覚えていない。緊張して恥ずかしくて為すがままにされて、何だか物凄い回数のキスをされたり体中を吸われたりした覚えがあるだけだ。むちゃくちゃ痛いと聞いていたがそうでも無かったような。どうだったか。兎に角良く分からない内に終わった。らしい。
というのはいつの間にか寝ていたらしく、起きたら朝だった。窓の外で小鳥が鳴いていた。
物凄く熟睡したようだ。大概私も神経が太いな、と呆れてしまう。あんなに緊張していたくせに。時間はいつも起きる薄暗い時間はとっくに通り越して、お日様が完全に出てしまっているようだ。寝坊も寝坊。大寝坊だ。
布団の中の私は素っ裸だった。つまり行為が終わってそのまま爆睡したらしい。おいおい。全然記憶に無いけどちゃんと最後までお相手出来たのだろうか。うとうととそんな事を考えて身動きしようとしたのだが、何だか動けない。あれ?確認すると、お腹の前に何かが絡まっている。
背中一面が物凄く暖かい。この暖かさが熟睡の原因では無いだろうか。一家に一台の暖かさだ。なにこれ。よくよく確認すると、それはまさしく王太子様だった。つまり王太子様が私の後ろから私の背中にぴったり貼りついて、私のお腹に手を回して抱き締めた格好で寝ているのだ。ぎゃ~!
顔が真っ赤になるが、王太子様はまだ起きていないようだ。ちょっと待ってよ。私は涙目だ。恥ずかしくて死にそうだ。こうなったら王太子様を起こして抜け出そう、と王太子様の腕に手を掛けようとして、思い出す。昨日の食事中の王太子様を。
物凄くお疲れで、女抱くより寝た方が良いのでは、と思ったのを思い出す。そのお疲れ王太子様が熟睡されているのを起こすのは、ちょっと気が咎めるわね。ううう、恥ずかしくてたまらないが、仕方がない。王太子様が起きるまで我慢しよう。王太子様もどうやら裸で、がっつり抱き締められて密着しているのは裸の王太子さまの胸とお腹らしく、これがすごく暖かいのだ。我慢しているつもりが私もあまりの気持ち良さにうとうとしてしまう。
うとうとしたり起きたりを繰り返し、王太子様が起きてようやく解放されたのは昼前になってからだった。
起きた王太子様の身支度をお手伝いし、私も侍女服に着替えて王太子様のお部屋を出るとそのまま侍女長に呼び出された。
「ご苦労様でした。今日は休んで構いません。明日から仕事に戻るように」
と、まぁ事務的に告げられて私は自室に戻った。ルームメイトのエマリーは察したようだったが何も言わないでいてくれた。まぁ、私も別にショックでも何でもなく、終わった終わったと思うだけだったけど。一晩良く寝て、次の日からまた下級侍女としての毎日が始まった。
毎日忙しく働く日々で、お手付きになったからと言って周囲からの扱いも変わらず、噂はされているとは思うけど、私には何も言ってこないし、私も何も言わない。ちょっと心配していた体の変調も無く、つまりは何事も無かったかのようだった。良かった良かった。
お屋敷で王太子様と顔を合わせる事はほとんど無く、せいぜいが遠くからお顔を拝見するくらいだった。お声を掛けられる事も無く、以前と変わらない。相変わらず王太子様は浮名を流しまくっているようだったから、私とのあれも良くある事として処理されているのだろう。
私は本当に特に何とも思わないまま日常に復帰して、三ヶ月ほどは普通に過ごしていた。いや、本当にもう何事も起こらないと思っていたのよ。王太子様は同じ女は二度抱かないと聞いていたし。処女喰い王子は処女にしか興味が無いと思っていたし。もう二度と王太子様に召される事も、王太子様と抱き合って眠る事も無いと思っていたのだ。
それが何だか雲行きが激変したのは、あれから三ヶ月くらい経ったある日の事だった。
また侍女長に呼び出された。?私何かヘマやったかな?私が考えたのはそれだけだった。前回なぜ呼び出されたかなんてすっかり忘れていた。自分のしでかした事を思い起こしながら侍女長の部屋に行く。すると、侍女長は凄く嬉しそうにも困惑したようにも見える微妙な表情で私に言った。
「あなたを王太子様がまたお召しです」
・・・は?今回は流石にお召しの意味は分かったが、それでも私は意味を掴みかねて呆然とした。
「・・・何かの間違いでは?私、二回目ですよ」
すると侍女長は重々しく頷きながら言った。
「そうです。大変珍しい事です。光栄に思いなさい」
・・・マジか。本気か?私は頭が痛くなってきた。こんなチンチクリンの女を二回もお求めとか。王太子様のご趣味はおかしい。お屋敷内をパッと見ただけでも上級侍女には華々しく美しいお嬢様が大勢いらっしゃるでは無いか。
しかしながらまぁ、拒否権は無いのだろう。そう思ったのだが意外にも侍女長は首を横に振った。
「今回はあなたにも拒否権があります。王太子様の愛人になるのが嫌なら、今回のお召しは断りなさい」
へぇ。断っても良いんだ。意外。私はちょっと考えた。
断ったらどうなる?王太子様はお優しいから断っても御不快には思わないだろう。しかし、周囲はどうか。この侍女長を筆頭に、上級侍女たちは多分良い思いをしないわね。特に上級侍女たちは私より良い御家に生まれていながら、王太子様に処女を手折られ傷物にされているのだ。その彼女らにしてみれば、下級侍女の私が二回目のお召しを断ったなら不快な思いをするかも知れない。
上級侍女にいじめられるのはごめん被る、この階級社会の世の中で、しかも狭いお屋敷で上位者にいじめられたら生きてはいけない。
ここはやはり、大人しくお召しを受けるのが得策よね。別に前回不快な思いもしなかったし、二回目ならなおさら大丈夫でしょう。私は侍女長に向かって頷いて言った。
「分かりました。大丈夫です。お召しを受けますわ」
侍女長はまじまじと私を見ると、期待と言うか心配と言うか微妙な表情をして言った。
「では直ぐにお部屋に入ってください。ご案内させます」
・・・?なぜ言葉遣いが変わった?しかも案内?私は良く分からず、上級侍女の案内について行った。お屋敷には多くの部屋があるが、その中の今は使われていなかった筈の部屋に案内される。大きな部屋で、大きなベッドとテーブルセット、応接セットがある。いずれもかなり上等なものだ。・・・今日はここでスルのかしら。王太子様のお部屋で無いのは気分でも変えたいのかしらね?
「お召し物を変えましょう」
上級侍女が言った。???お召し物?というか言葉遣い。私が戸惑っていると、上級侍女が仕方無さそうに、声を潜めて言った。
「あなた、分かっていないでしょう?」
「え~、はい。多分全然分かっていません。何でしょうか?」
上級侍女は少し嫉妬心を感じさせる鋭い目つきで私に言った。
「あなたは今日から王太子様のご愛人様になったのよ」
・・・はい?ご愛人様?何ですかその穏やかでない呼び名は。
その銀灰色の髪をした上級侍女、今日から私付きになったというコルメリアという侯爵家出身の侍女は説明してくれた。
この国では男は一人の妻しか持ってはならないとされている。これは王族でも貴族でも同じだ。しかしながら、王族や貴族にとって子孫を残す事は義務である。それだけでなく男は一人の女だけを愛するというのは中々難しい事があるらしい。そのため、貴人の男はいわゆる「愛人」を持つ事が多い。中でも王族はどうしても子孫を作らなければならないし、愛人を持つのは当たり前の事らしい。
しかし、王族があちこちに愛人を持ってしまうと、その子供がいざ王位継承の時に色々と問題が起こってしまう。そりゃ、身分定かでない愛人の子供は王様には出来ないよね。そのため、愛人と言ってもちゃんと公的な身分が与えられるらしい。それが「ご愛人様」だ。愛人と言ってもちゃんと公的に認められた立場になるのだ。
つまり私は今日この時から、王国も認めた王太子様の愛人になったらしい。なんだそれは。正気か。私は庶民だぞ?下級侍女だぞ?それが王太子様の愛人様?なんだそれは。
コルメリアは呆然とする私に言った。
「上手くやったわね。どうやって取り入ったんだか」
「いえいえ、何もしてません!本当です!三カ月前に呼ばれて、それから何もしていないのに!」
「じゃぁその時の味がよっぽど良かったのね」
「知りませんよ!そんなの!」
「とにかく、あなたは今日から王太子様のご愛人様よ。宜しくお願いしますわ。まず侍女服からドレスに着替えましょう。夕方になったら湯浴みして王太子様をお待ちする事になります」
私はコルメリアに手伝ってもらって桃色の可愛いドレスに着替えた。一応は小さいサイズの既製服を用意してくれたらしく、調節すれば着られた。ドレスなんて着るの家が破産して以来だな。コルメリアは私の姿を見て目を瞬かせた。
「ドレス、ちゃんと着こなせるのね」
「一応、実家は裕福でしたので・・・」
「ならあんまりみっともない事も無さそうね。あなたがみっともないと侍女の私も恥をかくんですからね」
ごもっともだ。私は長らく忘れていたお嬢様仕様の礼儀作法を記憶から引っ張り出した。まさか二度と使わないだろうと思っていたのに。コルメリアが入れてくれたお茶を丁寧に飲みながら、私はコルメリアに尋ねた。
「コルメリアさん。教えて欲しいんですけど」
「ダメよ。呼び捨てにして。侍女長に聞かれたら私が怒られます」
「じゃぁ、コルメリア。王太子様のご愛人様って他に何人いるんですか?」
何しろ放蕩者の王太子である、何十人もの愛人をいろんなところに囲っているのだろう。私は多分その一人なのだろう。そう思って聞いたのだが、コルメリアはあっさり言った。
「あなた様お一人ですよ。カムライール様」
はい?私しかいないの?そう言えば王太子様は同じ女は二度抱かないポリシーがあるんじゃなかったかしら。それなのに私を愛人にしたの?
「だから余程お気に入られたのでしょう」
コルメリアはかなり悔しそうに言った。彼女の方が顔もスタイルも良いし。女としても自信もあるのだろう。それが一回手を付けられただけでお終いで、小さくて細くて地味な顔立ちの私が愛人に抜擢されたら面白かろうはずは無かろう。私は慌てて言った。
「何かの間違いですよ。王太子様の勘違いだと思います。直ぐに追い出されます」
「そうかしらねぇ」
コルメリアは腑に落ちないような顔をしていた。釈然としないのはこっちも同じだよ。
夕方になり、入浴をする。勿論、部屋に付属の専用浴室があるわけだ。ネグリジェに着替え、ガウンを羽織る。程なく、王太子様がお帰りになったという報告があり、一度お部屋に帰られた王太子様が楽な格好にお着替えになってから私のお部屋にやってきた。
「お帰りなさいませ」
私が頭を下げると、王太子様はホッとしたようなお顔をなさった。
「ああ、ただいま。カムライール。どうだ、部屋は気にいったか?」
気に入るも何も、まだ他人の部屋みたいですよ。とは言えない。というか、名前いつの間に覚えられたのかしら?
「素敵なお部屋をありがとうございます」
「気に入らなければ幾らでも改装して良いからな」
はあ。そんな目立つ事してすぐにお役ごめんになったらみっともないからしませんよ。とも言わない。私は曖昧に微笑んだ。
王太子様の表情はこの間より遥かにリラックスしていて、食事の席でも少しテンションが高かった。王太子様がお風呂に入り、この間と同じように同衾。
今度は躊躇い無く服を脱がされましたよ。ちょっと待って。私まだ二回目。3ヶ月ぶり。まだ恥ずかしいし恥ずかしいから!きゃ~!
と言ってる間に行為はすぐに終わり、私は主に恥ずかしさでグッタリだ。すると王太子様はこの間と同じように私の背中にぴったり抱きついた。お腹に手を回しギュッと引き寄せる。勿論、お互い全裸だ。私は慌てた。
「王太子様。せめて服を着ませんか?」
「・・・このままが、良い・・・」
王太子様はもう半分以上寝ている感じの声で応える。ダメだこりゃ。と言いながら、私もまた王太子様の暖かさに包まれて急速に眠くなってきた。王太子様が私達の上にバサッと羽毛の入った布団を掛けてより暖かくなったせいでもう動けない。まぁ、いいか。
もう王太子様は完全に寝息を立てている。私もまどろみながら考える。一体、これから私、どうなっちゃうんだろうね?愛人て具体的に何やるの?王太子様にこうやって抱かれるだけがお仕事なの?ただれてるわー。
まぁ、こんな良いとこ無い女、すぐに飽きるでしょう。王太子様ももう後悔しているんじゃないかしら。下級侍女に戻る事を考えて、あんまり調子に乗った行動や目立つ事はしない。厳禁。
そんな事を考えながらも私の意識はフワフワとした布団と王太子様の暖かさのおかげで、沈み込むように眠りの中に溶けていった。
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