第四話 日雇いの悲哀


 一昨年、職業訓練校を修了してからの就職活動に散々苦労したヤスオであったが、あっさりとICT支援員を辞めた。ハイスペック人材と自惚れていた彼は、派遣なら引き合いあるだろうと楽観的な幻想を捨てられずにいた。実際、複数の派遣会社に登録すると、各社の営業が積極的に声を掛けてきた、最初だけは。

 ICT支援員の業務は9月末で終了することになり、8月中頃から就職活動を開始した。派遣会社から紹介された案件に応募してみると、なかなか先方の書類審査を通らない。システム開発とメンテの業務でやっと1社面接にこぎつけたが、手応えは微妙であった。やはり採用にはならなかった。ネットで毎週5案件程度にエントリし、採用通知がないと、また翌週に5案件の応募することがルーチンとなっていった。エントリする案件も、開発⇒プロジェクト管理⇒ヘルプデスク⇒営業と変遷した。エントリしながら、これは自分がやりたいことなのか?やりたくないな・・・採用されたくない・・・という中途半端な気持ちであった。そうして9月末を迎え、無職のアラ還となった。かつて正社員を早期退職したときは50代半ばだったヤスオは還暦に近づきつつあった。


 長期のバイトにはエントリできないため、単発の日雇い作業にエントリする生活が始まった。思い返すと二度と経験したくない惨めな日々である。

 全国規模の大手製パン会社・・・成形された菓子パン生地をベルトコンベアから拾い、鉄板に載せていく作業。崩れた生地は素早く手直しし、規格外サイズのものは捨てていく。それが追いつかないとベルトコンベアに菓子パン生地がたまり、床に落ちていく。よく言えばリアルなインベーダーゲームであり、工場自体がテーマパークのようであった。菓子パンは多品種小ロットなので、一日に何回も種類が変わる。一くちクロワッサンが嵐のように流れてきて、巻を整えながら所定の位置に並べていく作業では、ベルトコンベアの流れに酔い、平衡感覚が麻痺し、本当に目が回った。それでもこの工場は社員がしっかり指示を出してくれたので、言われたことだけやればよい、という気楽さが救いであった。

 関西エリアの中堅製パン会社では、同じような作業ではあるが、社員数が少なく指示が不明で、何をすればよいかがわからないままにただ突っ立っていることもあり、適当に見まねで手を出したら、いきなりパートおばさんに金切り声で叱られた。食品工場では全身作業着に覆われ、外見からは誰かは判別つかない。装置の騒音で声も聞こえにくく、皆が怒鳴り合っているよう感じた。

 ペットフード製造工場も作業風景はパン工場と同じようなものであったが、集合場所の駅からバスに乗せられて臨海地区に運ばれる過程には耐え難いものがあった。タバコを吸う目つきのよくないおっさんが、数十名の集合者たちに指示する雰囲気は、人買いと奴隷たちという構図を想起させた。

 コンビニエンスストアの食品工場には二度と応募しなかった。社員が少なく作業指示がないにもかかわらず、人相の悪いベテランに手が遅いと嫌味を言われる。一日の作業の流れがつかめないので、時間の経過がとてつもなく長い。かつ最低賃金だ。大好きなコンビニスイーツの低価格がこんな労働に支えられているとは、スイーツを食べるたびに胸がチクリと痛む。

 物流倉庫は設備もきれいで雰囲気も悪くないことが多かった。携帯電話の配送センターでは、スマホへのラベル貼りや、SIMカード加工などの作業を行った。場所は清潔で組織も働き手もきちんとしていた。大手家具量販店の倉庫でのピッキング作業では、IT化が進み機械の指示通りに動けばよいので、各個人が自由に作業できてストレスはなかった。通販会社の配送センターのピッキングも機械化が進んでいたが、初日はマンツーマンで作業ルールを指導してもらうというしっかりした組織運営だった。広い迷路のような倉庫をカートを押しながら、タブレットの指示で一品ずつ拾い集める作業を、指導員のお姉さんが後ろで見守るのである。「初めてのおつかいですね!?」と声を掛けると、明るく笑顔で応えてくれた。日雇い労働で唯一楽しいと思えた現場である。


 ちょっと変わった仕事として、コロナ対策ステッカーを飲食店に提供する業務があった。県下の数万軒の店舗を訪問し、点検し、ステッカーを渡す仕事には百名近い作業者が集められ、一斉に県内の飲食店へ散っていった。取り仕切っているのは、コロナで業績の落ちている某旅行代理店である。大都市の繁華街は店が集中しているが、スナックやクラブは夜しか開かない。自腹では入店したことの無いような高級クラブにはきれいなママがいて、おじさん達が毎晩吸い寄せられて貢いでいくことも納得できた。高級クラブのママは経営者としてはやり手なのであろうが、どこかか弱い雰囲気を醸し出し、あまり厳しく検査しないでね、、、というようなすがるような目をしている。地方で公共交通手段がないエリアでは、旅行会社借り上げのタクシーで一日回った。タクシーに終日乗車した経験は最初で最後だろう。これもコロナ対策事業費として税金が使用され、国債が増えるのだ。また、飲食店同士の悪口も聞かされた。あそこはほとんど営業していなかったのにコロナ給付金が始まったとたんに看板を出し始めた。逆に、自分は真面目に営業しているのに、コロナ給付金目当てと陰口を言われたとか、、、老店主が営業する住宅街の飲み屋は建物もボロボロ、「換気しなくてもすきま風で自然換気や!」という自虐冗談には、店と店主と街の歴史が感じられた。


 日雇い作業はネットでエントリする。あるいは作業員として登録すると斡旋会社からメールや電話で勧誘が入る。工場や倉庫の業務量に応じて要員数を調整するという仕組みで成り立っている。働く作業者は、老若男女さまざまである。学生、主婦、そしてヤスオのような中高年も少なくなかった。また、食品工場はアジア系の外国人も多く見受けられた。彼らがいわゆる語学留学生なのだろうか?いずれにしても、日雇い現場は社会的弱者の集まりだった。日本のデフレ、低価格はこうした人々の存在で成り立っている。そしてアラ還のヤスオもその一人であった。

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