第三話 学校の光と影
2週間の研修を経て小中学校のIT支援員となったヤスオは、某市の小中学校8校が担当となった。研修期間は、使用する教育アプリの操作実習と先生への説明会の予行演習で慌ただしく過ぎた。その自治体が採用したパソコンはCromeBookであり、ヤスオがこれまで使用してきたWindowsとは操作上の相違もあり戸惑いがあった。教育アプリについても使いこなすというレベルには遠く、概要をおぼろげに認識しただけであった。まして、学年、教科ごとにどのようにパソコンを使用していくかという応用に関しては全く手つかずの状況であった。
担当する8校にはヤスオの妻の卒業した小中学校も含まれ、またヤスオが6ヶ月通った職業訓練校も近くにあるという、何かしらの縁を感じる土地柄であった。着任当初3ヶ月間の仕事は、学校の先生に対して導入するパソコンとアプリを説明し、操作方法を知っていただくこと、児童、生徒にはログインするところまで支援することだった。8校で順に説明会を繰り返すうちに、ヤスオもだんだん教育用パソコンとアプリの操作を理解し、自信を持てるようになっていった。コロナのために児童が一斉に集まることはなく、一学期と二学期の終了式は校内放送で音声のみで実施していたが、三学期の終了式には、ビデオ会議機能を使用して校長先生の顔が各教室のTV画面に映し出され、各教室の児童の様子も校長先生はモニターで観ることができた。その様子をみて、ヤスオは着実にICTが学校に導入、定着しつつあることを実感し、3ヶ月の活動が形になったことに達成感を覚えた。ICT支援員という仕事を続けていこうと思った。
4月からの新学期となり、ICT支援員としてはステップを上げる時期となった。単にパソコンを触ってみるという段階から、授業の中で活用して成果を生んでいくことを目指さなければならない。しかし、所属する会社からはほとんどサポートはなく、独学と試行錯誤で授業での活用を先生方に提案していかなければならない。ICT好きな先生のスキルはどんどんアップし、もはやヤスオが出る幕はなく、一方ICT嫌いの先生には紙と鉛筆から移行するメリットを認識させるだけのヤスオ自身の実践経験がない。先生から支援依頼の声が掛からなければ、ICT支援員は一日職員室でじっと待機するだけとなる。仕事を作るためには、自ら先生に声を掛け、提案していかなければならない。いわば、保険のおばさんのような仕事であった。求められていないものを押し付けることは迷惑なのではないか?自分から積極的に売り込みにいけず、ヤスオは自分の存在意義に自信を失った。
当自治体担当のICT支援員は16名で非正規雇用の即席の集団である。そのとりまとめとしてコーディネータがいた。16名は元教頭先生のコーディネータ氏は、不慣れなICT支援員たちを温かく応援し、力を貸してくれる存在であったが、5月にあっさり退職した。理由は明かさなかったが、会社と運営方針が合わなかったように見えた。彼は学校出身者であり、学校現場がうまく回ることを目指していたが、会社は問題を起こさないことを優先する保守的な体質であった。例えば、システム上の不具合があっても、それを現場に通知して回避させるのではなく情報を隠蔽した。先生への説明用にICT支援員が資料を作成して配布しようとしても、証拠の残るデータや紙媒体での配布は禁じられ、非効率な伝言が学校とのコミュニケーション手段であった。元教頭のコーディネータの後任者では会社の保守的体質が一層進み、ICT支援員への現場管理が強化された。会社は自治体に支援実績をPRする必要があるので、ICT支援員にもその成果報告をノルマとして要求した。ヤスオには”支援しないことが最大の支援”という考えがあった。相手を影で見守り必要なときにだけさっと手を差し伸ばすことが理想のスタイルであった。しかし、先生も児童も自立してしまっては支援業務は事業として不要となる。会社としては積極的に手を差し伸ばす支援の実績が必要であった。ズカズカと教室に足を踏み入れる保険のおばさんスタイルを要求されていく状況で、会社方針との相違が埋め難くなり退職を決めた。炎天下の夏休みのことである。
また、体罰、非行といった見たくない、聞きたくない影の部分も学校現場には存在した。あからさまな腕力の行使はないものの、巻き舌で威嚇するような言動、廊下の拭き掃除を一時間あまり延々と強制するなど、子どもの人権がないがしろにされる“指導”とそれに目をつぶる同僚教師の姿があった。放課後の職員室では“問題児”に対する教師同士の世間話が絶えず、貧困や親の虐待など、生々しいリアルな実態が耳に入る。問題が存在していても家庭内に入り込む権限も解決する物理的手段も持たない教師の苦悩が忍ばれた。そして世界はポスト情報化時代を迎え、創造性が価値の源泉となっているのに、教育現場は産業革命以来の工業化のベースである標準化、規格化に基づいた思想に染まったままであった。不登校の生徒が久しぶりに学校に来ても、髪型が校則に合わないと“指導”してしまう教員は子どもを型にはめることが仕事であると思い込んでいるのであろう。髪型、下着、飲み物、行動・・・あらゆることを規定し、そこからはみ出ることを禁止することに貴重な時間とエネルギーが費やされていた。教員志望の大学生が減少し、教員不足の問題が深刻化するが、教職現場の闇は深かった。
わずか9ヶ月間のICT支援員業務であったが、得られたものは多かった。まず、ITスキルの刷新である。ながらくIT業界に身を置いたヤスオであったが、事業戦略や業務改善のためにいかにITを活用するか、というITの前工程への関わりが多く、実際にシステムを操作するという機会は少なく、インターネットアプリ主役の時代のITにはまったく疎かった。ICT支援員として先生方に紹介するなかで、今どきのIT事情をキャッチアップした。ICT好きの先生に教えてもらうことも多々あった。
また人的ネットワークの活用でも有益な経験をした。ICT支援員は16名いたが、経験者は2名のみ、各人が異なるバックグランドをもった人々の集団であり、ハードに強いもの、OFFICEが得意なもの、プロジェクト管理の経験があるもの、アート系のソフトに強いもの等、それそれが得意分野を活かし、知恵を出し合い、助け合いながら業務を回してきた。それまで、会社という固定された組織で、上層部から一方的に流れる情報にしたがって仕事を進めてきたヤスオにとって、非正規雇用の自発的なつながりによる情報共有と情報活用という仕事のスタイルは可能性を拡げるものとなった。危機感なく向上心もない正社員よりも、常に自己研鑽している非正規雇用の方が、よりプロフェッショナルな存在かもしれない。組織に依存しない非正規雇用として生きていくことに少し誇りを感じる。
もっとも大切な思い出は、子どもたちの純真で曇りない瞳に触れたこと。パソコンで絵を描くことに無邪気によろこぶ姿には心を洗われた。子どもから感謝の手紙をもらったこともある。35年以上に渡る職業人生のなかでも、打算なく素直に感動することのできた職場であった。あの子どもたちの未来が明るく充実したものになるよう、大人の責任として社会に真剣に向き合っていかなければならない、そう感じさせる場所であった。
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