第3話 雨の日の二人

 デッキチェアで啓太は目覚めた。木で組まれた天井が見える。

 意識を周囲に広げた。側にドロシーの姿はなかった。上体を起こして見たが、やはり誰もいない。

 不思議に思いながら立ち上がる。三歩、歩いたところで気が付いた。

「……僕、歩けるよ」

 真っ先に扉へ目がいく。音を立てないように歩いて把手とってを握り、体全体を使って押した。

 広大な草原が眼前に広がる。後ろを振り返ることなく、啓太は歩き出す。一歩毎に力強さが増した。階段を下りて草原に乗り出す。

 素足のままで突き進む。

「今なら」

 可能性を信じて足を速めた。更に力を込めると小走りになった。上体を少し前に倒し、意識して両腕を振った。引っ張られるように足が動く。

 啓太は走った。泣きそうな顔で笑い、感情のままに叫んだ。

「僕は走れるんだ!」

 前だけを見て走る。息が切れても構わず、走り続けた。最後は足がもつれて転んだ。

 草原をベッドにして空と向き合う。程よい疲れで目がとろんとなって程なく瞼を閉じた。

 仰向けに寝転がった状態でどれくらいの時間が過ぎたのか。啓太は突然の雨に降られ、激しく咳き込んだ。寒さで身体が震えた。

「帰らないと」

 起き上がって四方に目をやる。黒雲が空にふたをして辺りは薄暗く、建物はどこにも見えなかった。踏み出す方向がわからず、立ち尽くした状態で激しい雨に打たれた。

「僕は、どうしたら……」

 その場に両膝を突いた。正座の姿でしおれ、ふらりと横に倒れた。


「寒い?」

 耳元の声に瞼が強張る。

「寒いのね」

 一言で足音が遠ざかる。

「……行かないで」

 弱々しい自身の声を聞いた。沈んでいた意識が急浮上して目が覚める。強い瞬きを繰り返していると、ドロシーが顔を出した。

「もしかして寝言?」

「そんなことは、ないよ。本当に寒いって思ったから」

「それならいいけど」

 含み笑いで顔を引っ込めると壁際のまきストーブの前にしゃがんだ。

 啓太は視線を天井に向けた。点火の音に重なるようにして小さな音が聞こえる。

「……雨が降っている?」

「少し前に強く振り出して、今は小雨こさめの状態ね」

「だから、あんな夢を」

「やっぱり寝ぼけてたんだ」

 立ち上がったドロシーは啓太の背後に回る。緩やかに押して薪ストーブの近くに止めた。自身は簡素な丸椅子を持ち出し、横へ並ぶように座った。

「直に暖かくなるからね」

 すでに啓太の頬は少し赤くなっていた。やや遅れて頷くと黙って火を見つめた。

 ドロシーは神妙な顔になった。

「啓太は両親のこと、どう思っているの」

「感謝している、とても」

「そうなんだ。でも、お見舞いにきてもあまり嬉しそうな顔をしなかったよね」

 ドロシーは横目で反応を窺う。

「嬉しい思いより、悪いと思う気持ちの方が大きいのかもしれない」

「悪いことはしてないでしょ」

「……病弱に生まれたから。はっきりした金額はわからないけど、凄いお金が使われたと思う……僕のせいで」

 啓太は口を閉じた。ゆらゆらと揺れる火を眺める。

「全てをわかっていて産んだと、わたしは思う」

「そうなのかな」

「そうだよ。遺伝子や染色体を調べれば簡単にわかる。だから、啓太は悪くない。両親がどうしても欲しいと願って、誕生した命なんだよ」

 力説するドロシーに啓太は涙ぐんだ。何かが気になる素振りで顔を背けた。

「それに病弱のおかげで、わたしと会えた。悪くないよね?」

「悪くない」

 顔を背けた状態で言った。ドロシーは安堵あんどの表情を浮かべた。丸椅子をロッキングチェアのように前後へ揺らす。

「わたしも啓太に会えてよかった。これからもよろしくね」

「こちらこそ、よろしく」

 啓太は顔を戻した。ドロシーと目を合わせた状態で右腕を水平に上げる。微かに震える手を素早く握り、笑顔で握手を交わした。

 部屋は暖まり、二人の距離が少し縮まった。

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