第41話 ベルゼビュート
アクアからベルゼビュートと呼ばれた褐色の悪魔に招き入れられて、凪とアクアと神崎はフロアに入った。
フロアの中は、ひらけた真っ白な天井をティーカップに装飾されているような金の模様が施され、豪奢なシャンデリアが無数に吊り下がっている。中世ヨーロッパの大貴族の城を彷彿させた。中央には焦茶色の革張りのソファが2つ、ローテーブルを挟んで並んでいる。
「先程は失礼しました。こちらに、どうぞお掛けください」
ベルゼビュートは、そう言ってソファに促した。背中に棒でも入っているかのようなシャンと伸びた背筋、動作のひとつひとつに気品を感じる。
ベルゼビュートに言われる前からアクアはどかっとソファに座った。場違いな雰囲気の空間に萎縮しながら、凪もソファに掛ける。
ベルゼビュートが紅茶を淹れると、辺り一帯バニラの香りに包まれて、気が紛れた。全員分の紅茶を淹れ終わると、正面のソファに座り、口を開いた。
「私は、支配と服従を司る悪魔ベルゼビュートと申します」
「俺は
「神崎 アリスだ」
「今はアクアと名乗っておる。して、ベルゼビュートよ。貴様もダンジョンに居るということは、簒奪の王ヴーデゴウルと契約したのじゃろう? なぜヴーデゴウルより与えられた名を名乗らんのじゃ?」
「ああ、あれですか? 捨てました」
にこり、としてそう言った。褐色な肌に綺麗な金髪がなびき、あまりにも爽やかな笑顔の裏には、深い隔絶を感じさせる。
「アシュタロト……今はアクアですか。アクアはなぜここに居るのでしょうか?」
「凪と契約をしたからじゃ。ダンジョンから解き放たれヴーデゴウルへの復讐を見返りに絶対服従の契約をしたのじゃ」
「ほう……貴女が絶対服従ですか」
紫眼を細くしてねぶるように凪を見る。
「人間如きにそのような価値があると?」
「口を慎め。妾の主を侮辱するか」
睨み合う二人の悪魔の間に、一抹の緊張が走る。
ベルゼビュートは、先程までの朗らかな雰囲気から急転直下、明確な敵意を向けてくる。
「ふっ、あはは。冗談ですよ。そんなに怒らないでください」
「ちっ、食えん奴じゃ」
ベルゼビュートは再び笑顔に戻り、緊張は解かれた。いつもの調子だと言うようにアクアが嘆息する。
二人の様子をヒヤヒヤしながら見つめていた凪と神崎は、ほっ、と安堵する。
「私もこのダンジョンに入って、200年が経ちます。いい加減飽きましたので外に出たいですね。それで、アクア。貴女ほどの悪魔が、そこの御方のどのあたりに惚れ込んだのでしょうか?」
紅茶を啜っていたアクアの眉がピクリと動いた。少し間を置き、紅茶を置いてゆっくりと語り出した。
「……妾の守護していたダンジョンは、攻略難易度が高い。入り組んだ複雑な構造に、モンスターのレベルも高く並の者であれば、生き抜くことはできん。一体どんな奴が妾の元に来るのかと楽しみにしておった。軍隊が来ることを想定しておったがな。もし仮に軍隊が来ておったら返り討ちにしたじゃろう」
金眼を鋭く細めながらアクアは、紅茶を啜る。
ベルゼビュートも前のめりになって興味深そうに話に聞き入っている。
「だがな、妾の元に辿り着いたのは、痩せっぽちなひ弱そうに見える青年じゃった。それもたった1人じゃ」
「ほぅ……」
「ダンジョンに裏口でもあるのかと疑ったのじゃがな。話してみると本当に一人で来たことがわかった。その底しれぬ潜在能力に大いなる可能性を感じた。そして、何より胸の内にはの、地獄の業火でさえぬるく感じるような復讐心を抱いておる」
にやにやと嬉しそうに語るアクア。褒められているのかどうか怪しい話を聞きながら凪は、どんな顔をすればいいのかわからず、落ち着かない。ベルゼビュートは、一層興味深そうに凪を見ている。
「妾は、『魔界』が滅びたことなどどうでもよい。悪魔など滅びればよいのじゃ。そんなことに執着などない。じゃがな。妾を200年もの間、狭っ苦しいダンジョンに監禁したことは解せぬ。それに戦争に負けたままというのも妾の矜持が許さぬ。やられたらやり返さねば気が済まぬのじゃ」
「……」
憎しみを露わにするアクアの話をベルゼビュートは目を閉じて聞いていた。
「ヴーデゴウルを失墜させ『虚界』を滅ぼす。そのために凪の可能性に賭けてみたくなったんじゃ。それに先刻の戦。妹君のための復讐は、一興じゃったぞ。同じ報いを受けさせるために足をミンチにしておった。妾も久方ぶりに血が滾ったわ」
恍惚な表情を悪魔的に浮かべながらアクアが思い返す。
「話は以上じゃ。お前様よ。このベルゼビュートは、狡猾な悪魔じゃ。『魔界』でもNo.2に成り上がるほどの実力を有する。服従させるのであれば役に立つじゃろう。じゃがそれと同時に……毒でもある。判断は任せよう」
アクアの話を聞いたベルゼビュートが目を閉じ思案する。
少しして口を開いた。
「私は、貴方の実力をまだ測りきれてはおりません。それに愚王に仕える気も毛頭ありませんが。『魔界』の『六柱』に数えられるアシュタロトがそこまで言うのです。私も貴方に賭けてみたくなりました。是非契約させていただけないでしょうか」
『魔界』No.2。一つの世界の2番目になるほどの実力がある支配と服従の悪魔ベルゼビュート。
服従させれば俺の復讐を果たせる可能性は大いに高まる。強大な力の代わりに毒を口にするか……。
「見返りはなんですか?」
「見返りですか、そうですね……私は復讐には興味がありません。退屈だけが私の敵です。私を退屈させず楽しませてください。その代わり、貴方への絶対服従を誓いましょう」
「……わかった。楽しませられるかはわからないが、約束しよう」
俺は決断して、固く握手した。
■■■
契約の儀……のその前に。前にも行った受肉体との切り離しを行う。
俺は真紅の短剣を抜き出して、ベルゼビュートの前に立った。
「さぁ、遠慮なく。どうぞ」
ベルゼビュートはどこからでもかかってこいとでも言わんばかりに、手を広げた。
俺はふぅと軽く深呼吸し、意を決して黒シャツに身を包んだ悪魔の胸に、ダガーを突き立てる。
ずぶり、ずずずっと、ダガーを差し込んでいくと――
「アッ! イイィ〜〜〜〜〜〜〜〜〜!! もっと! もっと! 深くまで突き刺してください!」
ベルゼビュートは、褐色の頬を赤く染め上げて、愉悦に満ち溢れた表情で、さらに求めてくる。
早く黙らせるためにも、深く深くダガーをねじ込んでいく。が、逆に「アッ!」などと呻き散らしていて反応に困る。
「おいぃぃ!! やめろ!! お前、変な声出すの!!」
神崎が真っ赤になって手で顔を覆っている。
あ、神崎さん?違うんですよ?これは決してやましいことなんかじゃ……
「アリ……じゃな」
「おい! アクア! 意味深な言葉を口にするなよぉ!!」
そうこうしている内に、ベルゼビュートは、絶命した。
ダガーを引き抜くと、その場にばたりと倒れ、血溜まりが出来ていく。
「神崎さん、離れて」
「え?」
悪魔の亡骸が、ジジジと音を立て書き換わっていく。
受肉体はどうやらドラゴン系のようだ。大きい何かに徐々に書き換わっていく。
「え! えええぇぇ! 一体何が起こっているんだ!?!!?」
状況を飲み込めていない神崎が剣を構えて動揺している。
しばらくしてその全容が明らかになった。
全長10mにも及ぶ巨体全体を深緑色の鱗に包み込み、炎のような赤い目に金のたてがみを有したS級モンスター、リンドヴルムだった。
「いやぁ〜〜本当に死んじゃうかと思いましたよ。快感で」
「変な言い方はよせよ」
あははは、と無邪気に笑うベルゼビュートに対して、俺はというと、なんだかどっと疲れてしまった。先が思いやられる。いっそ死んでしまえばよかったのではと、少しだけ後悔した。
「え〜〜〜〜! ベルゼビュート! 死んだのでは? え? え?」
「神崎さん、すみません……後でちゃんと説明しますね」
状況が全く飲み込めていない神崎には申し訳ないが、後でちゃんと説明することにしよう。
「それでは、契約の儀を始めましょう」
そう言った金髪紫眼の悪魔は、褐色の手をこちらに差し出してくる。
俺は、一瞬躊躇するもその手を握り返した。
「私は、一条凪の思うがまま。絶対服従することを誓います」
「俺は、退屈させずに楽しませることを誓う」
――契約成立
金色の光が二人を包みこんだ。二人の誓いが魂に刻まれ、固い絆で結ばれる。
「それでは、我が主よ。私に新たな名を与えてくださいませ」
膝をつき胸に手を当てて頭を垂れる絶対服従の悪魔。
そういえば、名前をつけるんだったな。うーむ、俺はあまりこういうのにセンスがないのだが。
ヴーデゴウルみたく、変な名前をつけたりなんかしたら、名前捨てちゃうんじゃないかなと、少しの間思案していると、いい案が思いついた。そうだ、『ベルゼビュート』は長いし呼びづらいから――
「お前の名は、『ベル』だ」
「『ベル』――大変気に入りました。今後ともよろしくお願いいたします」
ベルは顔をあげ、にこりと笑顔でそう言った。
「では早速ですが。主、奥に『アーティファクト』をご用意しております」
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