第24話 帰還

 唐突に斬り掛かってきた神崎だったが、すぐに落ち着きを取り戻し、今は正座しながらさめざめと号泣している。


「生きていたのか……うっ。よかった……よかった!」


 神崎は、凪がダンジョンの大穴に落ちたこと、そして、海未が意識不明の重体なってしまったことに責任を感じていた。自分のせいだ。私が凪を死なせてしまったのだ。私が海未を植物状態にしてしまった。私が弱いせいで。私が情けないせいで。何もかも私が悪い。そう思っていた。

 そう思うことで、己を奮い立たせていた。


 凪がダンジョンの中で、毎日気が気でなかったのと同様に、神崎も取り返しのつかない過去の失態を悔やみ、それと同時に己の非力さを嘆き、日々苦しんでいた。自分が何も出来なかった事実は変わらない。それでも、死なせてしまったと思っていた人間が目の前に居る。

 それだけで、少しだけ救われたような感覚になる。

 よかった。

 本当に生きていてよかった。


「神崎さん……心配してくださってありがとうございます」


 目の前で号泣している神崎を見て、凪は動揺していた。まさか地上に自分をここまで心配して待ってくれていた人が居たなんて……思いもしなかった。正座している神崎の肩に手を当てて、凪は心配してくれていたことに感謝した。


「それで……神崎さん? 色々と状況を確認したいのですが……」

「ああ……そうだったな。君がいない間に色々とあったんだ。それに君にも聞きたいことが山ほどある。まずは場所を移そう」


 また襲撃を受ける可能性もある。安全なところに場所を移し、これまで地上で何が起こっていたのか。そして、自分の身に何が起こったのかを話そう。

 すると、はかったかのように神崎の携帯が鳴り、電話に出る。


「一条くん、ギルド連盟の支部局長が話を聞きたいそうなのだが、一緒に来てもらえないだろうか」


■■■


 俺は、アクアと神崎と共にギルド連盟へと向かった。ギルド連盟、日本支部は赤坂の高層ビルの一角にある。日付がまわった深夜だと言うのに、支部局長は執務室にいるようだ。

 もしかするとギルド連盟は、凄いブラックな職場なのかもしれない。


「失礼します」


 神崎がノックしながらそう言って、執務室の扉を開けた。

 中に入ると、ウェーブした橙黄色の髪に豊満な胸を携えた女性が、神崎目掛けて飛びついてくる。


「アリスちゃん。おかえり〜〜〜〜!!」

「ただ今戻りました。如月さん」

「あぁ〜〜ん。神崎ちゃん冷たぁい」


 神崎は慣れた手付きでそれを躱し、それでも抱きついてこようとする如月を手で抑えている。


「え! 何この子! 外国の子かしら! むちゃくちゃ可愛いじゃない〜〜。お肌すべすべ〜もちもち〜」

「なんじゃ! おおお、この、くっつくんじゃない。離れるんじゃあ〜……」


 如月の標的は神崎からアクアへと変わり。アクアは豊満な胸に押し潰されて圧死しそうになっている。


「あら、貴方が一条くんかしら。よろしくね〜」


 獲物を見るような青緑色の鋭い眼を向けられ、次は俺に来るのかと若干身構えてしまったが、如月はアクアで満足しているらしい。

 すると大量の書類の山で埋もれた机の奥から一人の青年が顔を出した。


「一条凪。よく来てくれた。そこにかけてくれ。如月、そのへんにしてお茶をもってこい。俺はブラック」

「はぁ〜い、ひじりん♡」

「誰がひじりんだ。局長と呼べ局長と」


 俺とアクアは入ってすぐのソファに腰掛けた。神崎はすぐ傍に立っている。

 向き合うように座った青年は非常に小柄で若々しい。


「俺は神宮寺 聖。ギルド連盟日本支部で長を務めている。よろしく頼む」

「あ、はい。俺は、一条凪です。こっちはアクアといいます」


 この人が神宮寺 聖。日本のハンター界において知らない者はいない。十代で五ツ星ハンターとなったギルド連盟の『神童』。実物は初めて見た。思ったよりも小柄な印象ではあるが、黒シャツに赤サスペンダーを着け、黒髪に黒革の右目の眼帯。見た目に反し、全身黒で統一された姿や放っている雰囲気は、まるで貴族のように気品に溢れている。


「神崎。こっちに座って説明してくれ」


 神宮寺にそう言われ、神崎は隣に座る。

 そして栗色の瞳がこちらを真っ直ぐと見据える。モデル顔負けの金髪の美人に見つめられるのは、まだ慣れない。やっぱりちょっと緊張する。


 それから神崎は、凪が大穴に落ちてから今日に至るまでの地上の話を聞かせてくれた。凪が居なくなって、すぐに烏龍が海未にコンタクトして攫おうとしたこと。それを神崎が保護したこと。ギルド連盟への移送中に事故に遭い、緊急搬送されたこと。それから海未は下半身不随となり意識が戻らないこと。


 すべての説明を聞いて、大枠は自分の予想通りだったと凪は思った。

 烏龍。必ず、ぶっ潰してやる。


 無意識にも烏龍のことを考えている凪からは殺意があらわになる。

 神崎は、頭を下げて謝罪する。たじたじになる凪。


「大変すまなかった……」

「え? いえいえ! 頭を上げて下さい!」

「いや、私の気が済まないんだ。君にはいくら謝っても足りない」

「いやいや、神崎さんのせいなんかじゃありません! 俺なんかのことを思ってくれてありがとうございます。大丈夫です。……悪いのは全部、烏龍ギルドなんですから」


 そう言い放った凪の声には、温度がなかった。神崎は、頭をあげると目の前に飛び込んできたのは、今にも人を殺してしまうのではないかと疑ってしまうほどに憎悪で歪んだ顔と憤怒で燃え上がりそうな眼だった。そんな凪の様子を見て背筋が凍った。

 虚空を見つめている凪は、焦燥し切っている。よく見ると目の隈がひどく、肌は蒼白で、唇もカサカサと乾燥しており、伸びた黒髪には白髪が混じっている。初めて会った時の初々しさはなく、その姿は全くの別人の様に感じる。

 一体どれほどの環境に身を置けば短期間で、人はここまで変わるのだろう……。


 コーヒーを啜りながら黙って話を聞いていた神宮寺が口を開く。


「一条凪。思い出したくはないだろうが、あれから君の身に何が起こったのか教えてほしい。それと、そちらのお嬢さんについても……」

「ええ。わかりました」


 淡々とダンジョンでのことを語りだす凪。その話を聞いている神宮寺、如月、神崎の3人の目が徐々に見開いていき、驚愕の様相となっていく。

 C級ダンジョンの下に、もう1つダンジョンがあったこと。一ツ星から三ツ星になったこと。スキルのこと。ハイクラス武器装備を沢山手に入れたこと。モンスター食で魔力総量が増えたこと。フロアボス。悪魔との契約。悪魔を海未に受肉させたこと。

 世界の秘密とヴーデゴウルについては、話がややこしくなるため伏せておいた。


「なんて、壮絶な……私では生き残ることは出来なかったかもしれない」

「にわかには、信じ難いな……」

「えっ! この子、悪魔だったの!?」

「ははは……僕もまさか地上に戻れるなんて思いもしませんでした」


 三者三様の反応を得て、大体のことは話しきった。

 突っ込みたいことはまだ沢山あったのだろうが、神宮寺が「ふむ」と目元にギュッと手を当てて嘆息している。


「一条凪。君は現在行方不明という扱いになっている。ダンジョンで起こったことについて、世間に公表する義務が、ギルド連盟にはある。烏龍ギルドの仕業といった不明瞭な情報は全て伏せて、行方不明とだけ情報開示している」


 如月も口を開く。


「世間を賑わせたあの一ツ星固有職業の少年がダンジョンで行方不明になった〜って、テレビで大きく取り扱われていたわ。貴方はマスコミの格好の的なのね……」


 その話を聞いて、凪には嫌な記憶が蘇る。2年前。奇異の目で自宅に群がるマスコミ。何でもかんでも聞いてきて、曲解した内容を公表され、何も知らない世間からバッシングを受ける。

 そんなこと、もう二度とごめんだ。


 神宮寺は再び「はぁ」と嘆息する。


「ああ、今回に至っては、行方不明になっていた青年がEX級ダンジョンをソロ攻略して帰還したという英雄譚だ。これが知られればマスコミは、黙っていないだろう」


 神崎も口を開く。


「それに一条くんが生きていると烏龍に知られたら、また命を狙われるだろう……」

「そうだな。いっそのこと、行方不明のまま偽名を名乗るということも出来る」


 神宮寺と神崎が俺の身を案じて、あれこれ議論してくれている。ありがたい。ありがたいが、俺の意思は決まっている。


「お二人共、ありがとうございます」

「おっと、すまない。こちらで勝手に話を進めてしまった。一条凪。お前はどうしたい?」


 こちらに向き直った神宮寺が、そう問いかける。


「色々と俺のことを案じてくれてありがとうございます。申し訳ないですが、偽名を使うつもりはないです。EX級ダンジョンというのは伏せてほしいのですが、隠しダンジョンから帰還したという情報は公表してもらっても大丈夫です」


 それを聞いた3人が驚いた顔をする。

 しかし、俺の意思は固い。逃げも隠れもしない。マスコミからも。烏龍からも。

 あの時の俺とは違う。

 もうコソコソなんてしない。

 全てと向き合う覚悟は地下大迷宮でしてきた。望むところだ。


「最優先事項だった妹の身柄は保護したので。これからは、烏龍を潰すために計画を練りたいと思います。まずは情報収集しないと……」


 俺の意思を確認し、神宮寺は少しの思慮を経て「やれやれ」と嘆息する。


「意思はわかった。そのようにしよう。だが、お前の命が狙われているのは間違いないし、それがわかっている以上、ギルド連盟で保護しなければならない。はぁ……仕方ない、神崎を同行させよう」

「え、いいんですか?」


 俺は想定していなかった提案に困惑する。

 一方で神崎は嬉しそうに神宮寺の方を見ていた。きっと俺に対して償いをしたいと思っていたのだろう。なんて義理堅い人なんだろう。


 今回の提案。俺からすると、心強い味方が出来るのはありがたい。ギルド連盟として、神崎は烏龍を捕らえねばならない。俺も狙いは烏龍だ。目的は一緒。俺にとってもバックにギルド連盟が付いているというのは好都合だ。


「一条凪。1つだけハッキリさせておきたい」


 改まってそう言い直し、茶色の眼を真っ直ぐと見据え、神宮寺は俺に問う。


「烏龍を潰すとお前は言ったが、具体的にどうしたいんだ? 二階堂龍騎を殺すのか?」


 その問を聞いて思わず目を丸くする。

 そうだ。復讐と言っても、結局俺はどうしたいんだ?


「正直なところ……まだ具体的にはわからないです。殺したところで、奴等と同じ道を行くことになる。それは妹のためにも避けたい。今はただ、罪に見合う報いを受けさせたい。そういう気持ちが強いです」

「そうか……わかった。いいだろう」


 これが今の本心だった。


 だが、実際に二階堂龍騎が目の前に現れたとしたら。

 俺はここまで冷静で居られるのだろうか?

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