第21話 契約

「妾の胸に、短剣を突き刺すのじゃ」


 銀髪の悪魔との交渉により、契約を行なうことになったのだが、心臓に短剣を突き刺せと要求してくる。


「えっ!そんなことしたら死ぬんじゃ……」

「死ぬのぉ」

「やっぱり!!」


 あっさりと死ぬと宣言する悪魔に困惑する。契約して早速死なれたら困る。能天気に返答する悪魔が、理由を説明する。


「実はの。妾は魔界の者であるから、本来であればこのダンジョン、つまり虚界には顕現できないんじゃ。もちろん現界にもじゃ」

「えぇ〜〜……」


 頭の中が、はてなで埋め尽くされる。共に行こう等と言っておいて、魔界でしか生きられないってことだよな? 虚界にも現界にも行けないと。でも実際に虚界であるこのダンジョンには存在しているわけだし、どゆこと?


「まぁ、小難しい話は後じゃ。さっさと妾のこの胸に短剣を突き立てよ」

「ふぅ〜〜……」


 何が何やらさっぱりではあるが、今は悪魔の言うことを聞くしかなさそうだ。悪魔も自分が破滅するようなことを俺に求めるなんてことはしないだろう。意を決して、真紅のダガーを取り出す。


「……どうなっても知らないからな」

「うむ。手早く頼むぞ」


 黒いゴスロリのような服に身を包んだ悪魔の、その控えめな胸に、ダガーを突き立てる。ずぶりと、胸にダガーを刺すと、手に肉を抉る生々しい感覚が残る。刃を伝って、ぽたりと、血が流れ落ちる。


「んっ……!もっとぉ奥まで……!」


 ぐぐぐっと奥の方までダガーをねじ込むと、銀髪の悪魔の顔が紅潮し、燃え盛るような金眼の火が、徐々に、生気を失っていく。ーーそして、絶命した。

 ダガーを引き抜くと、その場にばたりと倒れ、血溜まりが出来ていく。


「マジで、死んじゃったのか」


 呆然とその場に立ち尽くしていると、悪魔の亡骸が、ジジジと音を立て書き換わっていく。大きい。大きい何かに書き換わり始めた。


「!! なんだ! 一体何が起こってる……うおわあああああ!!」


 あまりにも大きな何かが出現しようとしている。ジジジと書き換わり始め、すぐに俺を超える大きさになった。まだ全体像がつかめない。

 咄嗟のことに動揺するが、距離をとって戦闘態勢に移る。


 驚くことにそこに現れたのは、数多の頭を持つドラゴン。

 S級モンスター、ヒュドラだった。


 まずい、こんな状態でヒュドラと相対するなんて……!


「……ん?」


 雑居ビルに引けを取らないサイズ感のヒュドラが、その場に出現する。が、よく見ると、生気なく項垂れていて、どうやら絶命している。


「あれ? 死んでる?」

「死んでおるの」

「うおわっああ!!」


 さっきヒュドラに書き換わっていったはずの銀髪の悪魔が俺の隣に立っていた。それと同時に俺は白い光に包まれて溢れんばかりの経験値を獲得する。

 え、これ、経験値がもらえるの?

 ありがたいけど、なんか達成感とか何もない。過去最大の経験値獲得記録を遥かに更新するのが、これになると思うと少しだけ複雑な気持ちになった。


「ん? おお、凪。ご苦労であった」

「いや、おまっ! え? 死んだんじゃ……っていうか、お前の正体はヒュドラだったのか!?」

「何を言うか馬鹿者。この蛇畜生は、妾が虚界に顕現しておるための受肉体にすぎぬ」

「ヒュドラを蛇畜生呼ばわりかよ。でも納得。どおりでとんでもない魔力だったわけだ」

「まぁ、こやつの体をもってしても本来の妾の力のほんの一部しか発揮できんがの!」


 フフンと得意げにする銀髪の悪魔が、さらっと凄いことを言ってのけた。ヒュドラは、S級モンスターだぞ……それをもってしてもほんの一部の力しか発揮できないって、こいつが本気出したらどんだけヤバいんだ……。

 もしかして五ツ星ハンターをも上回るのではないか?


「と、まぁそんなわけで、死ぬと言ったのは、ヒュドラが生きたまま出てきてしまうからだったわけじゃな。それにヴーデゴウルとの契約上、ダンジョンキーパーとしての務めも果たさねばならんかった。死ぬことで契約は終了。奴ともこのダンジョンともおさらばじゃ」


 説明をひと通り聞いて「なるほど〜」と相づちを打つものの、何が「なるほど」なのか1mmも理解できなかったのは、致し方ないと思う。確かに今この場にヒュドラなんか出てきたら終わりだったしな。


「それで、受肉体がなくなって、どうしてお前が目の前にいるんだよ」

「今の妾は、霊体じゃ。霊体であれば、現界にも顕現することができるからの。でもまぁ、このままの姿じゃと、ほとんどの力が失われておるがの」


 なるほど、そういう事ね。思わず俺は「はぁ」と嘆息する。まぁほとんどの力が失われている件は、後々なんとかしよう。早速、先が思いやられる。色んなものを背負いすぎている気がしてきた。


「凪よ。契約の儀を始めようかの」


 そう言った銀髪の悪魔は、スッと小さな手をこちらに差し出してくる。

 俺は、迷わずその手を握って握手するのようなかたちになる。


 悪魔との契約。迷いはない。全て目的を達成するためであり、未来のためだ。それが悪魔と契約することになろうとも、俺は一歩も引かない。この小さな銀髪の悪魔の力が俺には必要だ。


「妾は、一条凪の望みを叶えるために、この命に変えても遵守すると誓おう」

「俺は、ヴーデゴウルを討つために、共に歩むと誓う」


――契約成立


 金色の光が二人を包みこんだ。二人の誓いが魂に刻まれ、固い絆で結ばれたような、そんな感覚を覚えた。


「それでは、お前様よ。妾に新たな名を与えておくれ」


 新たな名前。そういえば、まだ名前を聞いていなかったな。いや、あえて名乗らなかったのか。憎んでいる敵であるヴーデゴウルが名付けたものなのだろう。


 正直なところ、あまりこういうのはセンスがない。名前か。

 考えを巡らせていると、ふと、妹の海未の姿が思い浮かんだ。


「決めた。お前の名は、『アクア』だ」

「『アクア』か、いい響きじゃの。気に入った」


■■■


「さて、契約も無事に締結できたわけじゃし。地上に行こうかの。ダンジョンキーパーを倒したことで、転移ポートが出現しているはずじゃ」


 転移ポート。ダンジョンを攻略すると現れるもので、転移ポートを使えば、外の入口まで転移できる。普段であれば、帰路に採集や発掘等を行なうため、あまり使わないものだ。ただ、この地下大迷宮をまた上へと戻ろうとしたら1ヶ月は彷徨い続けることになる。ありがたく使わせてもらおう。


「帰れるのか。地上に……」


 この1ヶ月と少しの間を振り返り、感慨深くなる。

 C級ダンジョンで山田に殺されかけ、大穴に落ちた。

 地下大迷宮に入った当初は、死を覚悟していた。

 それでも自分の可能性を信じ、数多の死線を乗り越えて、最下層であるこの50階層まできたのだ。


 S級モンスター、ヒュドラの亡骸をちらりと見た。

 まだ、この大迷宮を攻略したという実感が沸かない。

 まさか最後のダンジョンキーパーを倒すどころか、契約してお持ち帰りすることになるなんて。


 でも、これで地上に戻ることが出来る。

 ここはゴールではない、スタート地点。これからが本番だ。


 俺は別人に生まれ変わったように強くなっている。

 この大迷宮での経験は、自分にとって大きな財産になるだろう。


「おお、そうじゃった! お前様よ!」


 アクアが、思い出したように振り返る。満面の笑みを浮かべてこちらを見ているが、目が笑っていないので、嫌な予感がする。


「この先にヴーデゴウルの秘蔵コレクションが眠っておる。このダンジョン最大の秘宝。『アーティファクト』がの!」

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