第13話 救出

 一条 海未いちじょう うみは、二階堂 龍騎にかいどう りゅうきからの電話が切れても、部屋のベッドの上にうずくまったまま動けずにいた。一層強く降る雨音だけが、耳に入ってくる。


 ピンポーン


 部屋の静寂を遮るようにインターホンが鳴った。「すぐに迎えがいく」という龍騎の言葉が、海未の頭を過ぎった。あまりにも早い迎えの到着に海未は動揺する。兄はダンジョンに置き去りとなり、死亡扱いとなった。まだ全然理解が追いつかない。気持ちの整理もつかない。

 いまはただ、動きたくない。


 ピンポーン


 デリカシーの欠片もない無機質な音が家に響き、海未の思考を遮る。いや、思考は止まっているのだが。今は誰にも会いたくないだけだ。


 ピンポーンピンポーンピンポーン


 海未はうんざりするも根負けし、重い腰を上げて玄関へと向かいドアを開ける。


「……どちら様ですか?」

「突然押しかけてしまって申し訳ない。私は神崎。一条 凪いちじょう なぎの友人だ。貴女は、妹さんで間違いないか?」


 そこにはベージュのロングコートを身にまとった端正な顔立ちの女性が立っていた。雨に濡れてきたのか鮮やかな金髪から雫が滴っている。


「はい、そうですが……」


 神崎は安堵し、「はぁよかったぁ」と息を漏らした。この反応から目の前に立つ神崎が烏龍ウーロンギルドからの迎えではないことを察した。そして兄の友人と名乗る神崎を疑わずにはいられなかった。兄にこんな美人な友達がいたのか? いや、突っ込みたい衝動を抑え、まずは確認しなければならないことがある。


「あの……烏龍ウーロンギルドのお迎えの方では、ない? ですよね?」


 神崎の表情が強張り、栗色の目を見開いた。美人に見つめられ、海未は尻込みした。


「すまない、思ったより時間がなさそうだ」

「ちょ、ちょっと…!」


 そう言って少し強引に部屋へと押し入る神崎。


「私は、迷宮犯罪捜査局の者だ」

「え? ギルド連盟の方?」


 ギルド連盟の身分証を提示する神崎。身分証には、『ギルド連盟日本支部迷宮犯罪捜査局特殊捜査課、四ツ星ハンター、神崎アリス』と記されていた。


「落ち着いて聞いてくれ。貴女の兄、一条くんは、烏龍ウーロンギルドの手によって殺害されたんだ」

「えっ……」

「次は君の命が狙われているかもしれない。私と来て欲しい」


 また新しい情報が入ってきた。海未は更に困惑する。何が何やら全くついていけない。一体、何が真実なんだ?


「いや、でも、烏龍ウーロンギルドの二階堂さんは私たちの保護者ですよ? 兄を殺すなんて……」

二階堂 龍騎にかいどう りゅうきとは、そういう男なんだ。そして、烏龍ウーロンには多数の犯罪に関わっている可能性がある。君の身にも保険金がかけられているんだ」


 早口に、断片的に、そして簡潔に情報をまくし立てられ海未の頭が混乱を極めた。もう何も考えずに眠りたい。とにかく一人にしてほしい。


 兄は死んだと言われた後に、実は殺されたと言われた。

 私の命も狙われている? 何を信じればいいのかわからない。


「頼む、私を信じて付いてきてくれ」


 雨に濡れた金髪の隙間、眉間に皺を寄せ懇願する神崎の目には、うっすらと涙が浮かんでいた。


■■■


 海未は、神崎に連れられギルド連盟の紋章、鷲に包まれる地球が描かれた白いセダンに乗り込む。


 正直なところ神崎を信頼したわけではない。思考を放棄したかったが、海未の判断は至って冷静だった。


 ギルド連盟という身分を偽って、海未と烏龍ウーロンギルドの迎えとの接触を妨害する意味がわからなかった。恐らくこの人は本当にギルド連盟の人間だ。ギルド連盟の人が保護しようとしている。なのであれば、身に危険が迫っているのは本当のことだろうと思った。


 すぐに車を発進させる神崎。雨は更に勢いを増してきたのか、ワイパーが左右に忙しなく動いてる。


 プルルル……


 神崎のスマートフォンが鳴り、神崎はスピーカー通話で応答する。


「はい、神崎です」

『俺だ。一条 海未いちじょう うみは保護したようだな』

「はい、局長。一条さんを保護しました。これから支部に戻ります」

『<千里眼>で、動きは確認している。烏龍ウーロンのものらしい黒いワゴンがそちらに向かっているようだ。行き違いになってよかった。急ぎギルド連盟に戻れ』

「かしこまりました」


 ブツッと通話が切れ、気まずい静寂が訪れる。目を泳がせながら言葉を探っていた神崎が意を決したのか口を開いた。


「すまない……なんと言えばいいのか……混乱しているだろう」

「……はい、正直なところ、何が何やらという感じで」

「さっきは、一条くんが殺害されたと言ったが、実は正確には違うんだ」

「えっ?」


 海未は車に乗ってから俯き、虚ろに返事をしていたが、ばっと神崎の方に目を向けた。するとそこには、端正な顔を苦悶の表情に歪め唇を噛みしめる神崎の顔があった。


「先日のC級ダンジョンには謎の大穴があって、烏龍ウーロンギルドのメンバーが一条くんを突き落としたんだ」


 言葉をひねり出すように神崎は続ける。


「もう少しで救えたはずだったんだ……私が傍にいながら、大穴に落ちてく。彼の手を掴むことができなかった」


 たぶん、この人は本当のことを言っている。

 海未は神崎の表情を見ながらそう直感した。


 つまり、兄が今もなおダンジョンに取り残されているということか。

 それは、両親と同じだ。

 そう、結局は同じこと。帰ってこなければ死んだのと一緒。


「神崎さんは悪くないですよ」

「えっ?」


 助手席で車に揺られながら、海未は横手の窓を眺めながらそう呟いた。


「神崎さんが重荷に背負うことはないです。私は現に神崎さんに救われたようなので、兄に代わって感謝します。ありがとうございます」

「そ、そんな、私はただ……」


 意図しないタイミングで感謝されたので動揺したのか、神崎は少し紅潮した。紅潮したのは動揺したからなのか、泣いているのからなのか、それとも照れているのか、わからない。それでもこの人でよかったと、海未は思った。


「神崎さん、面白い方ですねーー」

「!?」


 ブオオオオオオオ!!


 右折する神崎の車に向かって、信号無視した黒いワゴンが、猛スピードで向かってくる。


「神崎さん!!!!」


 助手席に座って窓を眺めていた海未が悲鳴をあげる。

 それに気づいた神崎が咄嗟にハンドルを切るも、黒いワゴンは助手席側に思いっきり突っ込んできた。


 ドゴォオオオン!!


 神崎の車の横っ腹に突っ込む黒いワゴン。一瞬の浮遊感から、すぐに重力に引き戻される。白いセダンは二転、三転と横転した。


「うぐぅ……大丈夫か……」


 四ツ星ハンターである神崎は常人よりも身体能力が高く、体自体も頑丈にできている。それでも車の追突によるダメージは大きい。朦朧とする神崎の目に飛び込んできたのは、助手席で意識を失った海未の姿だった。ドアに押し潰された海未の体がどうなっているのかは確認できない。だが、頭からは血が流れている。


「おい! おい!! 一条さん!! うわあああああ!!!!!」


 勢いを増す雨の音を掻き消すように、神崎の悲鳴が路上に響き渡った。

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