第11話 地下大迷宮 - 第10階層

 地下大迷宮に入って、一週間が経過した。


 ダンジョンに入ってからというもの、安らぐ時間などひとときもなかった。

 いつ襲われるかもわからない環境下。そして何より、自らの危険よりも妹の海未の安否が気になって仕方がなかった。

 海未は、凪が帰らないことで心配していないだろうか。両親を失い、天涯孤独になってしまったと悲しんでいないだろうか。凪は、海未を思うと胸が張り裂けさそうになる。


 携帯食料は底を尽き、狼に似たD級モンスター、グレーハウンドの肉を食べて過ごしている。ストレスのせいか、味がしない。ボソボソとした肉の食感だけが口に広がり、強引に飲み込む。生き繋ぐだけならば問題ないのが救いだ。食料の問題は解決されたと言ってもいい。


 短剣の熟練度も上がってきている。今では、グレーハウンドのようなD級モンスターであれば瞬殺だ。経験値が溜まってきたのか、身体の動きも洗練されてきている。


 熟睡できていない上に、このストレス環境下で髪は潤いを失くし、肌もざらざらとしている。唇も切れて痛い。頬もこけ、目も落ち窪んでいる。が、不思議と身体はよく動き、成長を感じている。

 筋肉も付き始めている様に感じる。きっとこの先も、見た目が別人に変わり果てていくのだろう。直感でそう感じた。

 たとえ、見た目が変わろうと関係ない。たとえ、四肢が千切れようと、必ずこのダンジョンから脱出する。必ず海未の元に帰る。そして、全ての元凶である烏龍をこの手で潰す。必ず。

 復讐というモチベーションだけで生きている。


 洞窟に似たダンジョンの階段を降りていく。足取りはそれほど重くはない。この一段一段降りていく階段。一歩一歩、出口に向かっていると思えば、一縷の希望であれ、すがることができる。


 おそらく地下十階であろう新層に辿り着いた。


 ――スキル発動、<探知>


 これまでフロアボスのような強力な敵はいなかった。が、どうやら階層にはボスが居るようだ。ボスが佇むような空間を探知できた。ソロで挑む、初めてのボス攻略。


 ――スキル発動、<探知>


 より詳細の情報を得るために、<探知>を繰り返す。

 ボスは、C級モンスター、オーガだ。しかも三体。


 フロアボスの存在を確認した時に、真っ先に頭に浮かんだのは、倒したらどれほどの経験値を得られるのかという疑問だった。自分でも意外だ。不思議と恐れはなかった。


 確実に成長している。この一週間の経験が自信に繋がっていると感じた。

 それでも油断は禁物だ。


 今まで調子づいたハンターが、痛い目を見てきた光景をたくさん目にしてきた。自分がその二の舞にはならないように……いま一度、気を引き締めなければならない。


 変わらず最弱の一ツ星ハンター、『案内人』なのだから。


 <探知>でフロアボスまでの最短ルートを洗い出す。この作業も慣れたものだ。忌み嫌ったこのスキルがなければ、この地下大迷宮を生き抜くことは難しかった。まさか、自分のスキルに感謝する日が来るなんて……。凪は少しだけ感慨深くなる。


 ボスとのバトル前に消耗する必要もないので、他のモンスターを避けたフロアボスへの最短ルートを進んだ。そして特に問題なくフロアボスの佇む部屋の前に到着した。


「ふぅ〜……」


 この大迷宮に入るまで、C級モンスター三体をソロで討伐することになるなんて、微塵も思わなかった。ボスの扉の前に立っていると、緊張しているのか鼓動が耳で聞き取れるほどに高鳴っている。かつての自分であれば、この状況に絶望していたのかもしれない。だが今は、成長した自分がどれほど通用するのか楽しみですらある。


「……いくか」


 扉を開けると、やはり三体のオーガが待ち構えていた。アドレナリンで脳が沸騰しそうになる。


 オーガ。戦闘に秀でた人型モンスター。二メートルをゆうに超える、でっぷりと太った巨体。だが脂肪の下から鍛え抜かれた筋肉が浮き出ている。大人の頭をトマトの様に握り潰すほどの怪力を持っていると言われている。全身やや緑がかった皮膚に、荒々しい入れ墨が強さを誇張している。

 個体によって異なる装備をしていた。脛当てや籠手、肩当て等、鋼鉄を身に纏っていて、少なからず知性が伺える。強奪したであろう大剣は、手入れがされておらず、知性とは裏腹に獰猛さを象徴している。


 オーガたちはすぐに凪の存在に気づき、歯を剥き出しにして見据えている。


「オオオオオォォォォオオオォオオォオ!!」


 D級モンスター、グレーハウンドとは比べ物にならない威圧感。侵入者に向けた、怒りに満ちた覇気が襲う。


(勝算はある)


 凪の右手には、全てを燃やし尽くすような劫火の如き龍の短剣を持ち、左手には前のフロアで手に入れた新しいA級武器、ヒュドラの短剣を持っている。全体を薄紫の鱗で型どられ、水蛇を想起させる。その研ぎ澄まされた刃は、面妖な淡青。


 短剣を持った両方の拳をオーガに向けて突きつける。

 ここまでの道中、小さめの盾を片手に持つか迷ったが、両手に短剣を持つ双剣のスタイルにすることを選んだ。ただでさえ攻撃力が低い凪の職業。攻撃に特化することで補わざるを得ない。その代わり、防御はA級装備とフットワークに頼ることにした。


 凪は、飛び掛かってくるオーガの攻撃をひらりと躱し、懐に入り込む。そして、空いた腹めがけ真紅の短剣を振り抜く。その瞬間、短剣に魔力を込めると、切っ先から炎があがった。ここまでは、慣れた動作だ。スピードだけならグレーハウンドの方が上。いける。


 突如舞い上がった炎に驚いたオーガは、体勢を立て直すために少し引いた。脇の切り傷からは血が流れているが、致命傷には到らない。まだ先は長そうだ。攻撃を喰らってもオーガの勢いは変わらない。


 武器の熟練度が上がってから気づいたことがある。

 ハイクラスの武器には魔力を込めることで、その武器の本来の力が使えるようになるようだ。ハンターになってからの二年間。欠かさず<探知>を行ってきたきたことで、凪の魔力量はそれなりに上がっていたのが幸いした。真紅の短剣は魔力を込めることで、炎を生み出すことができる。効果としては、攻撃力UP、火傷のようだ。


 ここまで、想定通り。

 攻撃力のない凪にとって、長期戦は想定内だ。


 凪は双剣を握り直し、魔力を込める。すると、真紅の短剣が炎を纏う。薄紫の短剣は、刃が淡青から濃い菫色に変わり、どす黒い瘴気を放ち始めた。


 態勢を立て直したオーガが、今度は三体同時に向かってくる。


 最前線のオーガは、右手の炎を警戒しているのか、左側から突進してくる。向かってくるオーガに対して、凪も駆け出す。

 凪は、オーガの振り下ろす大剣をひらりと躱し、二体の間に潜り込むことに成功。薄紫の短剣で一体目の左足を斬り裂き、そのままの勢いで回転しながら続く二体目のオーガの右足も斬り裂いた。

 そして、正面からは三体目のオーガが、突進の勢いそのまま大剣を突いてくる。凪は寸でのところで身を捩り大剣を躱し、すれ違いざまにオーガの肩口に薄紫のダガーを突き立てた。


 一瞬の出来事にオーガたちは混乱し、雄叫びを上げている。


 ヒュドラの短剣。魔力を込めることで、刃に猛毒を宿す。

 斬り裂かれた傷口に猛毒を付与し、グレーハウンドであれば、ものの数秒で動けなくなり、五分も経たずに絶命する。オーガに対して効果が出ることは未知数だったが、斬り裂いた傷口は黒く淀み、傷口の周りの血管が黒く浮き上がっているのを確認した。よかった、しっかりと効いているようだ。


(……あとは、時間との戦いだ)


 最初から凪の狙いは、毒を付与することだった。攻撃力の低い凪が、オーガを両断することは難しい。オーガが毒で息絶えるのが先か、己の体力が尽きるのが先か。これはそういう戦いだ。


 何かを示し合わせたのか、オーガが連携してくる。やはり少なからず知恵は働くようだ。一体正面に立ち、退路を塞ぐと同時に、残り二体が凪の両端に立った。凪は、三体のオーガに囲まれてしまう。


 今の凪の実力であれば、タイマンであれば、たとえC級モンスターであったとしても倒せるだろう。しかし、今回は三体同時。

 三体のオーガが、じりじりと間合いを詰めてくる。このまま囲まれ続けるとマズい。凪は意を決して正面のオーガに向かって駆ける。


 が、正面のオーガが大剣の切っ先を横手にして、防御の姿勢をとった。


「!?」


 凪はそのまま突っ込み、囲いから脱出すればよかったものの、オーガの想定外な対応に、踏み込む足に一瞬の迷いが生じた。次の瞬間、片方のオーガが凪の右足に掴みかかってきた。

 脛あたりを掴んだオーガが、そのまま怪力で握り潰そうとしてくる。


「グオオオォオォオ!!」

「痛ッーー!!」


 幸い、A級装備の脛当てのおかげで握り潰されはしないものの、残り二体が血眼になって迫ってくる。

 ――瞬間、感じる死の匂いに、先程までの冷静さは吹き飛び、ガチガチと歯が鳴った。


(ヤバイヤバイヤバイヤバイ!!!!)


 向かってくるオーガの大剣に怯える自分の姿が映る。


(死ねない……こんなところで、死ねない!!!!)


「死んでたまるかあああっっぁぁぁっぁああ!!!」


 生き残る術を模索するように、脳が高速で回転し、目の前が真っ赤になる。凪は両手の短剣を足を掴むオーガの腕に突き立てた。


「おおおおぉぉおぉ!! 離せ! 離せ! 離せ! 離せ! 離せ! 死ね! 死ねぇぇええええ!!」

「ッグガァアアァ」


 真紅の短剣に全開の魔力を注ぎ込み大火の如く炎を撒き散らす。同じく全開の魔力を注ぎ込んでいる薄紫のダガーからは、どす黒い瘴気が視界を覆った。がむしゃらに何度も突き刺した。

 短剣を刺し、すぐに抜く。また刺し、今度は切っ先を捩じ込む。切っ先をズブッズブッと、引き抜く度にオーガの腕からは鮮血が飛び散り、徐々に握力が失われていった。


 迫りくる二体のオーガが、凪の元に到着し、息の根を止めるべく大剣を振り下ろした瞬間――凪は辛くもその場を脱出した。脱出の勢いそのまま、薄紫の短剣で二体の足に切り傷を追加した。


「はぁっはぁっ……いまのは、ヤバかったぞ……」


 凪は掴まれていた右足が、まだ繋がっていることを確認した。骨は折れていないようだが、踏み込むと鈍い痛みが走る。まだ、戦える。大丈夫だ。まだ、いける。

 凪の足を掴んでいた片腕を失ったオーガは毒が回ったのかピクリとも動かなくなった。やれる。やれるぞ。


 先程まで全開の魔力を注ぎ続けていた真紅の短剣の炎が、ふっと弱まり始めた。すると、凪に、どっと疲れが押し寄せる。魔力を消費しすぎた。ハイクラスの武器は強大な威力を発揮するが、相応の魔力を消費する。

 両手に握っているのはA級武器。一ツ星ハンター程度が扱いきれるものではなく、乱発すればすぐに魔力が枯渇するのは目に見えていた。

 足を掴まれたパニックに陥った凪は、気が動転して殆どの魔力を双剣に吸い取られたのだ。


(やばい……目が霞んでくる……)


 凪は、ふらつく足に力を込める。するとすぐに鈍い痛みに襲われる。もうめちゃくちゃだ。

 予定は変更。これ以上の長期戦は難しい。オーガに頸動脈があるかは知らないが、ヒュドラの毒を首筋の太い血管にぶち込むしかない。


 凪は真紅の短剣を鞘に収め、薄紫の短剣を構える。狙うは、大剣を振り下ろしたその一瞬。振り下ろした勢いで頭が下がったその首に、短剣を突き立てるぞ。


 呼吸を整え、オーガに身を向ける。二体のオーガは、凪を挟むように位置どった。束の間の静寂。


 ――次の瞬間、間合いを肩口から出血していたオーガが膝を着いた。


(今しかない!)


 凪はもう一方のオーガに向かって突進する。

 オーガは向かってくる凪に目掛けて大剣を掲げて振り下ろす。


「オオオオオオ!!!!」


 オーガの渾身の一撃。凪はそれを受け流し、下がってきた首筋に全力に魔力を込めた濃紫の刃を突き立てた。すぐにオーガの表情が険しく歪み、白目を剥いた。


(殺った!!)


 凪はオーガの首筋に突き立てた短剣をすぐさま引き抜き、片膝を着くもう一体のオーガにとどめを刺した。


「――――終わった……」


 凪は疲労感から立っていることが叶わず、膝から崩れ落ちた。

 まさに満身創痍。安堵からアドレナリンが切れたのが、すぐに右足に激痛が走った。


「ッ痛〜〜〜〜!! チクショー! でもやったぞ! 初めてのC級モンスター討伐。俺は、また強くなった――」


 凪は、途切れそうになる意識を辛うじて繋ぎ止めるように、オーガ三体を倒した経験値を獲得し、余韻に浸った。全身が白い光に包まれる。


 ――クラスアップ、『探索家』


 どこからともなく聞こえてくる無機質な機械音に似た音声が、凪の頭に響いた。


 こうして一条 凪いちじょう なぎは、一ツ星ハンター『案内人』から二ツ星ハンター『探索家』へクラスアップしたのだった。

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