エピローグ

夜越えたサキュバス【ハッピーEND&ざまぁ】

「そう、三島杏美のサイン。欲しがっていただろう」


 咲ちゃんがはっとした顔をする。

 瞼を何度も綴じて唇を引き締めて、彼女はここち顔を後ろに引く。


 それは『喜び』というよりも『驚き』の反応だった。


 そして――。


「……三島杏美って、誰?」


 僕がサインを手に入れたことではなく、手に入れてきたサインが想定していた人物のものと違うことに、彼女は驚いた。なんどもマヌケでコミカルな顔で……。


 いや、ちょっと待ってね。

 少し待ってね。


 今、めちゃくちゃシリアスなノリでモノローグ入れてたのよ。

 気持ち切り替えるのにちょっと時間をちょうだい。

 昼ドラのクライマックスから、すれ違いコントはきついんだ。


 えーっと?


「三島杏美だよ。君が好きな『あずみん』。ほら、名前をもじって『あずみん』ってみんな呼んでるんだろ?」


「いや、『あずみん』は『あずみん』だよお兄ちゃん?」


「……どういうこと?」


「どういうことって『あずみん』の本名なんて知らないもの。彼女、プライベートの情報は公開していないから。芸名からそもそも『あずみん』でしょ?」


 お兄ちゃん知らないの?


 そんな目が、僕を貫く。


 うん、知らないの。

 テレビとか興味ないし。

 そもそも僕『三島杏美』のこと大っ嫌いだから。

 顔もみたくないし、名前も見たくなかったら、そんなの知らなかったんだ。


 へぇ、そっか『あずみん』で活動してたんだ。なるほどな。そういえば『ジョー』もあだ名で活動してたもんな。昔っからアイツってば、本名隠すとこあったよな。


 てへっ、うっかり☆


「ちょっと待って⁉ なんで、お兄ちゃんがあずみんの本名知ってるの⁉」


「はいやぶへび!」


「もしかしてだけれど、お兄ちゃんが不倫してきた相手って――あずみんなの⁉」


「そっちもバレバレ! もうやだ、なんでいつもこうなるの!」


「答えなさいお兄ちゃん!」


 咲ちゃんが僕の首をぎゅっと絞めた。

 ダメだよ咲ちゃん、僕たちまだ高校生なのに、こんな高度な愛し方をしたら。

 あぁん、愛が苦しい。咲ちゃんが僕に注ぐ愛が痛い。


 ほんとこのまましにてえ。(白目)


「ちょっと、どういうことお兄ちゃん! 『あずみん』とエッチしたの!」


「いやーん! もうやだ、病んでて暗い感じで終わらせてよ! どうしてこんなトリガーハッピー脳内麻薬キメキメ展開になっちゃうのー!」


「他の女の匂いさせてといて、バレないと思ってるの! サキュバスの鼻をなめないで! わざと見過ごしてあげて、弱味を握ろうと思ってたのに!」


「こいのかけひきがえげつなさすぎる」


「ほら、さっさと言いなさいよ。『あずみん』と、どんなプレイしたのよ――」


◇ ◇ ◇ ◇


「なーほーね。あずみんがお兄ちゃんの親友で、元は心が男の子だったんだけど、今は女の子が入ってて、その子が妊娠した不安からお兄ちゃんを襲ってきたと」


「はい。理解がはやくて助かります」


 じろりと僕を腕を組んで睨む咲ちゃん。

 誰が発言していいと言ったのか、みたいな視線に僕はしゅんとなる。

 不倫がバレ、ジョーとの関係と事情があきらかになり、咲ちゃんを騙そうとしていたことまで知られては、もう何も言うことはできなかった。


 座して死を待つ。


 場所は変わって我が家のリビング。

 いつものソファに肩を並べる僕たち。

 二人で真剣家族会議。いや恋愛裁判。セフレ同士の打ち合わせ。

 もうよくわかんにゃい。


 なんにしても『不倫許して、傷の舐め合いSEX』を中断すると、僕たちは冷静に状況を整理していた。


「まったくもう、それならそうと言ってくれればいいのに。一人で抱え込むなんてほんとお兄ちゃんてば真面目過ぎ。美人局とかそういうのに引っかかるタイプよ」


「……いやけど、やっぱりこれは言いにくいというか」


「何が?」


「……不倫じゃないですか。それを、恋人や奥さんに言うのは」


「どこが?」


「……どこが?」


「私とお兄ちゃんはたしかに『兄妹』で『セフレ』で『恋人』だよ。それと、今回の不幸な事故に何か関係があるの?」


 不幸な事故って。

 そんな犬に噛まれたみたいに。


 咲ちゃんが、ひょいとソファーの上に脚を乗せてあぐらを掻いた。

 スプリングの揺れが収まると、彼女は僕の鼻先をぴっと人差し指で突く。


 眉を吊り上げて「いいこと!」と、義妹は僕にはっきりとした口調で言った。


「別に私たち結婚してる訳じゃないでしょ? 私たちの関係はいつだって解消可能な緩いもののはずよ?」


「……けど、僕は真剣に咲ちゃんのことを!」


「思ってくれているのは嬉しいよ、けど、それってお兄ちゃんの自己満足の領域の話よね。自分が『他の女の子とSEXしちゃったのが許せない』ってだけ」


「そうかもしれないけど! 嫌だろ、咲ちゃんもそんなの!」


「ぜんぜん?」


「ぜんぜん⁉」


 けろっとした顔で僕の義妹は、僕が他の女性と寝たことを許した。

 いや、許すも何もそもそも、彼女の中でそれはどうでもいいことだった。


 うそですやんそんなの。

 つごうのいいおんなすぎる。


 信じられなくて僕の顔面の筋肉が突然死した。

 がっくりと僕が顎を落としたのを見て、ぷっと吹き出す咲ちゃん。

 さっぱりとした僕の義妹は、そのままお腹を抱えて笑い出してしまった。


「もう、お兄ちゃんてば。浮気かどうかを判断するのは自分じゃなくて交際相手よ。なに一人で思い詰めちゃってるのよ」


「だって、普通に嫌かなって思って」


「嫌なのは間違いないけれど、お兄ちゃんが望んでした訳じゃないよね? 『通り魔にレ○プされたお前が悪い』だなんてそんな残酷なこと、愛する人に言えないわ」


「……いやまぁ、そういう側面もあるけれど」


「そういう側面もあるじゃなくて、そういうことでしょ?」


 肩を揺らすと可愛くウィンクして「違う?」と咲ちゃんが尋ねる。

 違う――と思いたいのは、たぶん僕だけなのだろう。

 冷静に考えると確かに咲ちゃんの言う通りだ。


 僕は杏美と不倫したんじゃない。

 逆レ○プされただけ。

 僕が被害者なのだ。


 僕の膝に手を置いて、咲ちゃんがそっと身を寄せる。

 上目遣いに僕の顔を覗き込んだ妹は、遠慮がちに鼻キスを仕掛けた。

 咲ちゃんの重さが増す。それはまるで全てを僕に任せているようだった。


「お兄ちゃんの心が私にある限り、私はお兄ちゃんを愛しているわ」


「……咲ちゃん」


「いいよ、お兄ちゃん。許してあげる。恋愛クソザコだものね」


「……もうちょっとうまく立ち回れるようになるね。努力するよ」


「やめて。それうまく浮気しますって言ってるようなものだから。これくらい不器用な方が、私としては安心よ」


「……どうすればいいのさ」


 むず痒く笑う義妹の頬に触れた。


 微かに、本当に微かにだけれど、彼女の身体が震えているのが分かった。

 何かを必死に堪えて。自分の感情に蓋をして。彼女は毅然と振る舞っていた。


 咲ちゃんが僕に「どうしたの?」と尋ねて微笑む。


 きっと表情で僕が感づいたことは分かっている。それでも、頑なに彼女が強い女を演じるのは何故だろう。どうして彼女は涙をこぼして僕を責めないのだろう。

 理由なんてもう説明されるまでもなかった。


 彼女は自分の全てを使って僕を手に入れようとしている。


 サキュバスとして。


 ただ、それだけ――。


 頬に添えた僕の手を優しく握ると、彼女はそれを少し横にずらした。


「じゃぁ、今度『あずみん』を家に呼んで、3Pしよっか」


「……しよかって。何をそんな」


「あら。私、王子さまだから、女の子とも経験あるんだよ?」


「嘘でしょ⁉」


「うそ! やだもう、ほんと純粋なんだからお兄ちゃんってば!」


「……やめてよ。心臓に悪い」


「そう? 割と本気だったんだけれど? 私、『あずみん』のファンだし!」


 耳の後ろに生い茂る艶やかな黒髪に僕を触れさせる。それに触れられる僕が特別なのだ、光栄なことなのだと言いたげに彼女は不敵に笑った。


 薄い胸が吐息に揺れて、広い肩がむず痒そうに悶える。

 跳ねるように彼女は僕の膝の上に跨がった。


 ムチムチとした太ももで僕の腹を締め上げればサディスティックに瞳が輝く。

 息はいつの間にか上気して、甘くせつなく僕の瞳を温めていた。

 無意識かそれとも意識してできるようになったのか、彼女から漂う濃厚な色香――フェロモンに正常な判断ができないほど脳が痺れた。


「……さぁ、納得してくれた所で続きをしようか、お兄ちゃん?」


「……咲ちゃん。僕は君が好きだ。世界の誰より大切だ。だから」


 僕の唇を今度は激しいキスが塞ぐ。

 根こそぎ僕の身体から生気と言語を奪い去ると、義妹サキュバスどちゃくそ可愛い咲ちゃんは、唇の端を濡らすせつなさを舌先で掬う。


「お兄ちゃん、うぬぼれないで」


「え?」


「貴方が私を好きなんじゃない。私が貴方を好きなのよ。好きの総量は私が上なの。だから――私のこと可哀想だなんて思い上がりよ」


 僕の首筋を咲ちゃんがなぞった。

 入念にせつなさをすり込むと、彼女は大きく口を開いて僕に近づく。


 顎先を彼女の頬が掠めて、鼻先を先ほど僕が撫でた髪がくすぐる。

 耳裏から漂う濃厚な香りに気がどうにかなりそうだった。


 いや――もうどうにかなっているのだ。


「だから、安心して私に人生滅茶苦茶にされて――ね?」


 男の精を搾り取るためにこの世に生を受けた女の子は、こんな冴えない男一人を虜にするために、健気にもその身全てを捧げてくれた。

 その見返りに僕の中で育てた『愛』を寄こせと――彼女は首を啜った。


 その『愛』だけが私は欲しい、と。


【了】

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