第20話 未来にBiBiBi(バイバイバイ)【NTRエンド】

 2022年11月21日月曜日9時21分。


 平日朝のマンションはやけに静かだった。

 エントランスに人影はなくエレベーターも動いていない。三角形のマークが描かれたボタンを押せエレベーターはどの階にも停まらず降りてきた。


 エレベーターのドアが開く。入りざまに22階のボタンを押すとクリーム色の内壁にもたれかかった。浅いため息が僕の口を吐く。

 目を閉じれば瞼の裏に昨晩の出来事が浮かんだ。


 柔らかい親友の身体。

 甘い体液。

 媚びた女の嬌声。

 肌を裂き肉を噛み潰す痛み。


「……やってしまった」


 痺れる指先に我に返る。少し寝ていたようだ。

 気がつくとそこは22階。エレベーターはそこで停まっていた。

 乾いた喉を鳴らして僕は緑色の「開」ボタンを押した。


 壊れてしまった杏美を僕は拒絶することができなかった。

 彼女とお腹に宿っている命を、僕のエゴで奪うことなどできなかった。


 杏美が僕に求めたことは一つ。

 産まれてくる子供の父親になること。

 それは書類上のものでも実態を伴うものでもない。あくまでただの口約束。

 僕は彼女と生計を共にする必要もなければ、法的に彼らの人生に責任を持つ必要も無かった。東京に行く必要も無い。ただ、彼らの父になることだけを求められた。


 杏美は男を必要としていたのだ。


 ファンには晒せず、誰ともしれない男には任せられない、今度こそ絶対に自分を裏切ることはない、『愛することができる男』を求めていたのだ。


 まるでサキュバスのように。


『よろしくね、謙太。ううん――あなた』


 気がどうにかなってしまいそうだった。


「……ただいま」


 重たい玄関の扉に僕は鍵を差し込んだ。

 もう、泥のように眠りたかった。

 シャワーを浴びて咲ちゃんの作ってくれたご飯を食べて、それからふかふかのベッドで眠るのだ。そして義妹が帰ってきたら、何食わぬ顔で「おかえり」って……。


 それで全てが元通りになる。


 願いを込めて僕は鍵を回した。


「……あれ?」


 鍵は開いていた。

 扉は僕が手をかけるまでもなく開いた。


「おかえり、お兄ちゃん」


 薄暗い玄関に義妹が立っていた。

 重い玄関の扉を引いて、灰色をした土間を素足で踏みしめて。

 制服姿。露出が少なく古めかしいお嬢様学校のセーラー。髪は丁寧にセットされていて、お嬢様学校の王子さまの風格があった。


 ローファーを履けばすぐにでも学校に行ける。


 けれどもその目の下に、黒い影が落ちている――。


「帰って来るの遅かったね。楽しかった?」


「咲ちゃん。ごめん、連絡ができなくて」


「友達と盛り上がったんでしょ? いいわよ、東京から帰ってきた友達と久しぶりに遊べば、ついつい時間も連絡も忘れるわよね」


 そんな風には全然見えなかった。


 その手が僕のくたびれた腕を引く。

 下手な刺激を与えれば涙顔に変わりそうな儚い笑顔を浮かべて、咲ちゃんは僕を家の中へと招き入れた。


 僕たち兄妹が暮らす日常の空間へと――。


「ごはん、できてるよ。食べるよね?」


「……うん」


 僕はまた彼女達の優しさに甘えた。

 咲ちゃんが何も聞かないのをいいことにつけ込んだのだ。

 最初からそうするつもりだった。何も問題はない。何も。


 なのに胸が痛い。


 咲ちゃんが僕の腕を引いたまま立ち止まる。

 振り返った義妹を、僕は全てうやむやにするように抱きしめた。


 抱いて――つい先ほどまで、他の女の肌をむさぼっていた唇を、彼女の汚れのない部分に押しつけた。強く。荒々しく。義妹の中に助けを求めるように。


 後ろ手で扉に鍵を掛けた。

 義妹の腰に手を回してゆっくりとその身体を廊下へと誘う。

 僕に押し倒されて義妹は、その精悍な顔立ちを甘くふやけさせていた。濡れた唇の余韻を舐めとると彼女はそれを丁寧に飲み下す。


 それから――少し寂しい顔をした。


「もう、そんなに寂しかったの? だったら帰ってきてくれればよかったのに」


「……ごめん、咲ちゃん」


「いいの。お兄ちゃんが私の前に居てくれることが事実よ。私の下に帰ってきてくれればそれでいいわ。それより……」


 彼女はスカーフを緩めて襟元から見える肌色を広げた。

 そこに触れて欲しい。そんな願いを受け止めると、僕は彼女の身体に体重を預ける。柔らかい義妹の身体に触れている時だけ、僕は辛い記憶と現実を忘れられた。


 愛おしくてその首元を唇でむさぼった。


 可愛い声が耳元に響く。

 背中に回った彼女の指が悲しく震えるのを感じた。


 また、僕たちは何かぼたんをかけ間違えたのだ。

 あの日、僕が咲ちゃんの下着を手にした時のように。


 そして今度はもう二度と、正しく戻ることはない――。


「そうだ咲ちゃん。君にプレゼントがあるんだ」


「……なに?」


「サイン、欲しがってだろう。貰ってきてあげたよ」


「……あずみんの?」


 せめてもの償いにと僕は親友の身体に間借りした悪魔にそれを頼んだ。

 彼女の名前が書かれた色紙を僕は妹のために用意したのだ。

 義妹から託されたその約束だけは、せめて果たしてあげたかったのだ。


 そんなもので許されるはずがないのに――。


【了】


☆★☆ ここまででNTRエンドとなります。以降はハッピーエンド展開(ギャグと伏線で無理矢理巻き戻す&当初一緒だったのですが「NTRの余韻が欲しい!」っていう需要も強いかなと思い分けました)となりますので、「濃いめハッピーえちえちエンドがいい……」という方だけお読みください。ここまで本作をお読みください、ありがとうございました。 m(__)m ☆★☆

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