第17話 錆び付いた腕で何度もがいた
11月20日日曜日13時51分。
くずはモールダイニングストリート。ヨーロッパの街並みのような飲食店街のただ中、カフェテラスを間借りしてイベント会場は設営されていた。
四人でやるには少し狭いステージと長椅子が10席ほど並んでいる。
出入り自由のフェスティバルのため席に着いているのは老若男女さまざま。
買い物客、親子連れ、カップル。けど圧倒的に多いのはバンド関係者だ。
大盛況というほどではないがイベントとしてはまずまずかな。
手作り感溢れるステージで歌うテノール歌手。
白いシャツを着た彼は大きな腹を震わせて美声を空に響かせる。
道行く人たちが歌に釣られて足を止めると、歌い手よりもそれを見守っている音楽好きたちの方が笑った。
こういう会場の一体感は嫌いじゃなかった。
「楽しそうだな、謙太」
「まぁね。やっぱりバンドはいいね。僕も、またやろうかな」
「そうしろ。学校で軽音楽部にでも入れ。お前ほどの腕がもったいねえ」
膝の上の箱からピザをノブさんが持ち上げる。
近くにあるイタリア料理店特製のそれは、焼きたてだったのだろう、オリーブがつるりと落ちれば、釣られてチーズもずるりと零れた。
チーズマシマシになった箱を眺めて、僕たちは苦笑いを浮かべた。
当初の予定通り、僕はノブさんと音楽フェスにやってきていた。
こんな事をしている場合か、ジョーのことを真剣に考えろ――という気持ちもあったが、もう僕の方がキャパオーバー。
すさんだ心を早急に癒やす必要があった。
「お、ケンチン。羽衣ちゃんがスタンバってんぞ」
ノブさんが指を向けたのはステージ後ろのカフェ。
出演者やライブスタッフたちが店の中にはたむろしている。
その中に、知り合いの銀髪娘の姿もあった。
僕の視線にしーぽんが顔をしかめる。そんな反応しなくていいじゃないのよ。
まぁ、昨日の夜に約束をドタキャンしているのだ。顔を会わせづらいか。
気にしなくていいのに。
僕だって、ジョーのことについて何も決められていないんだから。
ふと、昨日のさおりさんとのやり取りがふと僕の頭を過った。
僕の望み。
今、なによりもやりたいこと。
心と身体が求めているもの。
妙な場所が動いたので慌てふためいたけれど答えは簡単だ。
僕の身体と心はサキュバスの義妹――咲ちゃんを強く求めていた。
僕は『今の咲ちゃんとの生活』を壊したくないのだ。
「ジョーの誘いは魅力的だけれど、今の生活を僕は壊したくない」
やっぱり東京にはいけない。
僕が本物じゃないからではない。東京に居場所がないからでもない。
咲ちゃんの隣が僕が居たいと思う場所だからだ。
東京に行かない理由が僕にはちゃんとある。
けど――。
「ジョーの気持ちも裏切れないよ」
椅子の上に置いていたスタバのコップを僕は手に取る。
日替わりコーヒーを口に含めば、ツンとした刺激と熱に口内が痺れた。
けれども頭の中にかかった暗いモヤが晴れることはない。もっと強烈な眠気覚ましが、僕の気持ちを切り替えるのには必要だった。
「咲ちゃんと一緒に居たい。ジョーとも一緒に居たい。僕はどうしたら……」
ズボンのポケットでスマホが揺れた。
届いたのはLINEのメッセージ。送り主は咲ちゃんだ。
一日中バイトで拘束される僕へのあてつけだろうか、彼女は学校の友達と梅田で遊んでいる。出かける際の拗ねっぷりときたらもう本当に凄いものだった。
おそるおそる僕は義妹からのメッセージを確認する。
『お兄ちゃん! あずみんがくずはモールに来てるんだって! もしサイン会とかあるなら貰っといてくれるかな!』
「どこから仕入れてくるんだよ、こんな情報」
なるほど納得。内容は彼女がご執心のあずみんに関してだった
痴話喧嘩も忘れてサインを求めるとは、気合いの入った追っかけ精神だ。
しかしそんな話、僕は聞いてないけどな。
ノブさんに尋ねても「知らない」って首を振るしどこ情報だろう。
ファンって怖いや。
ここまで熱心だと、咲ちゃんとジョーが出会わないか不安になってくる。
ジョーってば普通に女の子OKだし。しーぽんはもちろん、ファンの子も時々食ってたし。充分ありうる展開なんだだよな。
義妹を兄とその親友がバチバチに取り合う。
修羅場ラブコメはいやよ……。
「え? ちょっと待って? ジョーが来てるの?」
僕は慌てて立ち上がると辺りを見回した。
冬空の下で寒いくらいだというのに、心臓がバクバクと高鳴り、脚はガクガクと子鹿のように震えた。
まだ結論を出せていないのに鉢合わせたくない。
どういう顔をしてジョーに会えばいいんだよ。
見渡すかぎり、客席に亜麻色の髪は見えない。
遠巻きに見ている人々の中にも。スタッフが待機しているカフェの中にも。というか、もしジョーがいるなら、元カノのしーぽんがもっとはしゃいでいるはずだ。
咲ちゃんの情報がガセなのでは?
その時、握りしめたスマホがまた唸った。
咲ちゃんからの追加メッセージかと思いきや――それは別人。
「坂本さん⁉ なんでこんな時に⁉」
しかも、予想もしてない内容だった。
『謙太くん、くずはモールの音楽祭に居ますよね?』
『実は移動中にちょっとトラブっちゃって。まだ会場じゃないんです。』
『代役とかってお願いできますかね?』
『あ、運営にはもう連絡しておきましたんで。』
『出番はこのあと14:00からです。』
『これでゆるしヒヤシンス♡』
『【胸元アップのHな自撮り】』
「ファーッ⁉」
僕の絶叫と入れ違いに場内にマイクアナウンスが入る。
内容は、このあとの演目がトラブルにより急遽変更になったこと。
代わりに演奏するのは『あの関西の伝説的ミュージシャン城端信彦の秘蔵の弟子――遠原謙太』ということ。
淡々とそれは告げられた。もはや決定事項のようだった。
そして観客の拍手がダイニングストリートに響き渡る。
嘘だろ。
「お前、今日ライブ出る予定だったの? 聞いてないんだけど?」
「僕もですよ!」
僕を驚いた顔で見上げるノブさん。
ピザを食う手をいっさい止めない『関西の伝説的ミュージシャン』は、こぼれたオリーブを今度は手でキャッチすると、あんぐりと口の中に放り込んだ。
このモブ顔のおっさんに演奏させたほうがよくない?
なんで弟子にわざわざお鉢が回ってくるかなぁ。
絶望している暇はない。
13時57分。告知された次の演目まであと3分しかなかった。
◇ ◇ ◇ ◇
「しーぽん。申し訳ないけどサポートをお願い。とりあえず開始5分はギターソロで繋いでみるよ。準備ができたら、ステージに合流してもらえるかな?」
「わーった。すぐに準備するから」
「ごめん。お礼はまた後で」
「んなこたいいから、演奏に集中しろ」
「皆さんすみません。なんか急に演奏することになりましたが、なんとか頑張ってみます。お手数ですがよろしくお願いします」
カフェの中に入ると挨拶もそこそこに僕は準備に取りかかった。
カフェ内は坂本さんの遅刻で騒然としていた。
なんとか代役が見つかったからいいが、それでも急な演目の変更に戦々恐々としている。僕みたいな若いバンドマンに代役を任すのも気が気じゃないだろう。
彼らを安心させるには、言葉を尽くすより実際に演奏した方がいい。
大学生って感じのスタッフさんから、トラブル用に準備してあったギターを受け取ると、僕はさっさとテラス席のステージに上がった。
去り際、しーぽんに目配せ。
僕の視線を機敏に感じ取った元バンドメンバーは、肉付きのいい腕を突き出してサムズアップをキメる。僕が頷く。すると彼女はすかさず上下を逆転させた。
別に本気でキレてるんじゃない。彼女なりのジョークだ。
こんな時でもパンクの精神を忘れないんだから。
ほんと頼もしいよ――。
『おまたせいたしました、それでは急遽演目を変更いたしまして、あの関西の伝説的ミュージシャン城端信彦の秘蔵の弟子――遠原謙太によるギター演奏です!』
MCの説明が飲食店街のスピーカーから響き渡る。
まばらな湧き起こる拍手。そりゃ、こんな意味分かんない肩書きの奴が出て来たら、そういう感じにもなる。本人でさえ「どういう紹介?」ってなってるんだから。
観客達のざわつきを収めるべく僕は適当にギターの弦を弾く。
ノブさん仕込みのはったりパフォーマンス。
音が出ると、観客は黙るしステージに集中する。「音楽っていうのは、いかにうまく弾くかじゃなく、いかに観客を心地よくするかだ」とは、よく言ったモノだ。
まぁ、それ言ったのは、なに弾いてもうまいおっさんなんだけれども。
「えー、ご紹介にあずかりました遠原謙太です。ただの高校生なんですけど、ちょっとギターできます」
くすっと何人かが吹き出して場が和む。
場を繋ぐだけの人間なので、別に舐められたって構わなかった。
むしろその方が、久しぶりにステージに立つ僕にはありがたかった。
バンドはやっぱり楽しくやるのが一番だ――。
『君の演奏には魂がない。必死に何かをなぞろうとするその姿はとても滑稽だよ』
そんな僕の心を、急にあの日の言葉が貫いた。
僕をバンドマンとして再起不能にし、ジョーとの絆を切り裂いたその言霊。
この一年間、僕の心にこびりついて離れなかったもの。
ジョーと一緒に東京の事務所に呼ばれた日のことだ。
彼が所属していたプロダクションの社長から別室に呼び出された僕は、彼の会社が僕に下した評価の内容を知り、呪いの言葉を投げかけられた。
咲ちゃんとの生活で忘れられた気がした。
音楽から遠のく日々で、もう聞こえなくなったように思っていた。
なのに、このタイミングでぶり返すなんて。
「……クソ」
チャカチャカと弦を弾いては、心の中に渦巻く呪詛が静まるのを僕は待った。
けれどもチューニングが終わらない。
ギターではなく、僕の心の。
誤魔化すのにも限度がある。
観客も、なかなか始まらない演奏にちょっと騒ぎはじめる。
中には、僕が調律がとっくに終わっているのに気づいている人もいた。
MCが「大丈夫ですか?」とわざわざ尋ねる。
飲食店街の二階部分の外廊下。その下に設置された放送席を眺めると、「すみません。こんな人前でやるのはじめてなので」と、僕は苦笑いでとぼけた。
不安そうにステージを見守る観客。
マイク入力を切って僕を黙って見つめるMC。
カフェの窓辺に立って僕を見つめるイベントスタッフたち。
電子ドラムを担ぎながらステージ脇で待機しているしーぽん。
ビールを飲む手を止めてじっと僕を見る関西の伝説的おっさん。
からっ寒い風が樟葉の街に吹く。どこから飛んで来たのか分からない木の葉が舞って、空には暗い色をした雲がかかった。
胸の不安と動悸はまだ止まらない。
頭の中のあの声も。
『君、才能ないよ。誰かの真似しかできないんだから。ねぇ、正解男クン』
ギターの弦を弾く指先が重い。
さっき食べたハンバーガーが胃の中で暴れだす。
堪えきれない目眩に動悸。吹き出した汗が容赦なく熱を奪う。
どうすれば、この声は消えてくれるんだろう。
僕はもうずっと間違い続けているっていうのに。
間違ったって何も変わらなかったじゃないか。なのにこんなの――!
やっぱり、僕に音楽をやる資格なんて、なかったのだ。
僕は『正解男』。
誰かの演奏をなぞることしかできない男。
決して自分の『間違い』を外に出さない恥ずかしがり屋。
ロックンローラーとして最も大切な『エゴ』をどこかに置き忘れたギター。
そんな男が音楽をやる価値なんて、やっぱりないんだ――。
「ケンチン! 頑張れ! 気合いを入れろよ!」
助けを求めて見上げた、鈍色の樟葉の空に彼女がいた。
本当に、咲ちゃんが言っていた通りだった。
飲食店街二階の通路。スタッフ達が詰めているカフェの頭上。中華飯店の外廊。赤茶色をした金属製の柵にもたれかかって、こちらに人影が手を振っている。
悪魔のようにあくどく笑うそいつは――亜麻色の髪をしていた。
はじめて僕はその姿を美しいと思った。
同時に、なぜ多くの人がその姿に憧れ、彼のことを慕い、幻想を胸に抱くのかようやく感覚として分かった気がした。
こんな美しい少女に微笑みかけられて、恋に落ちない奴がいるだろうか。
男も、女も、きっと無理だ。
そして――。
「俺の顔に泥塗るんじゃねーぞ! こんなライブぱっと終わらせて、もっとでかいいこと一緒にしようぜ!」
「……なに言ってんだよバカ」
そんな美少女が自分を応援してくれるなら百人力。
彼の言葉で、僕の指先はようやく長い長いその眠りから醒めた。
美少女の願いを叶えるために。
そして、僕にかけられた呪いを今度こそ完全に消すために。
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