第16話 僕の心はテンテコマイマイ……ハァ↓↓↓↓

「再婚したら義妹がサキュバスだったって! なんてバカな青春送ってんだよ!」


「……いや、いたって大真面目だよ」


「だはははは! はは! は、腹痛え……!」


 目の前のバーテーブルをしこたま叩いて笑うジョー。

 しーぽん仕込みのそれはなかなかのパッション。僕の心を粉々にするエネルギーがあった。ひどい、そんなに笑わなくってもいいじゃないのよ。


 ライブハウスの中ほど。

 お客さん用のバーテーブルを挟んで僕とジョーは向き合っていた。ノブさんは、明日の準備がまだあると離席中。僕たちが話しやすいよう気を利かせてくれたのだ。


 久しぶりの親友との再会だ、積もる話はいくらでもあった。


 東京に行ってしまってからジョーは関西に一度も帰ってきていない。

 バンド仲間の僕たちはもちろん、兄のノブさんにも連絡を取らず、一人で「三島杏美」として活動していた。その一緒に居られなかった日々を、僕と彼は必死にそして速やかに埋めようとした


 僕が知らない東京での日々を、彼は活き活きとした表情と声で語る。


「東京はヤベーぜ、ケンチン。バンドのレベルがぜんぜん違うわ。小さな箱でもバケモノみたいな奴がいやがる」


「その代表がなに言ってるんだよ」


「俺なんてただのピエロさ。物珍しいからってちやほやされるだけで、全然たいしたことなんかねえよ。ほんと、嫌になるぜ」


「変わったな。昔は、そんなこと言わなかったのに」


「……まぁな。変か?」


「変。物わかりがいいジョーなんてらしくないよ。そういうのは僕の役割だろ?」


 へへっと笑って、鼻頭を人差し指で擦る。 

 その癖はちっとも変わっていない。


 どこからどう三島杏美。

 誰もが羨む清純派アイドル。清涼飲料水が似合う美少女。

 カフェテラスでコーヒーを手に本を読んでいるのが似合う女の子。


 テレビで見る変わり果てた彼の姿に、僕は勝手に彼が遠くに行ったと思っていた。

 けど、そんなことはなかった。やっぱり彼はジョーのままだったのだ。


 僕の親友。大事なバンド仲間。苦楽を共にした兄弟子。


「なぁ、聞いてもいいかジョー?」


 だからこそ聞かずにはいられなかった。


「なんだよ? スリーサイズか、ちょっとそれは教えらんねーな。企業秘密なんだ」


 そんな風に自分を演じてまで、彼が何を求めていたのかを。

 彼が東京に強く拘り、一人でも旅立ってしまった理由を。


 僕はジョーの『東京行き』の誘いを断った。

 自分には彼と一緒にいる才能がないからという子供みたいな理由で、一緒に行けないとその申し出に首を横に振った。


 けどその一方で、彼がそんな僕のために大阪に残ってくれるんじゃないかと期待してもいたのだ。天才が僕のために凡人たちの場所に降りてきてくれるんじゃないか。そんなセコい駆け引きを、子供の僕は平気で親友にしかけた。


 けれども、一年前の彼は泣きそうな顔で僕に言った――。


『……じゃぁ、解散するしかないな』


 と。


 それ以上のことを彼は語ってくれたなかった。

 今も、彼がどうして僕たちの前から去ったのか、去らなければいけなかったのか、僕は分からなくて苦しんでいる。ギターが手につかなくなるほどに。


「ジョー。教えてくれよ、お前はいったい何がしたかったんだ?」


「……まぁ、その話になっちまうよな」


 これまでの明るい空気をすべて吹き飛ばす、重いため息が出た。

 気まぐれな猫のようにジョーがバーテーブルに頬を擦る。鏡面になった天板に視線を泳がせるその姿は、三島杏美の姿でするとすさまじい色気があった。


 男を惑わせる魔性の女。

 堕落を誘う悪女。

 明るくけれども淫らな魅力。


 目を伏せて身体を起こすと、ジョーはテーブルの脇に置いていた鞄に手をかけた。

 似合わないキルト生地の手提げ鞄。その中からクリアファイルを彼が取りだす。


 入っているのは二枚の書類。

 ほぼ文面は同じだが『遠野謙太』と『志波羽衣』と名前が違っている。

 さらに、明らかに印刷じゃない直筆のサインが右下に入っていた。


 書類中央上段に書かれているタイトルは――『契約書』。


「新しい社長を言いくるめるのに苦労したぜ。こっちでメンバーは用意するって言ってんのによ、東京のバンドマンをゴリ押そうとすんの」


「……新しい社長?」


「ほら、私が所属してたプロダクション、社長が元所属タレントに刺されておっちんだじゃない? それで俺、移籍することになったんだよ」


 刺されたのは知っていた。

 けど、ジョーの移籍は知らない。

 興味がない。


 だってテレビとかどうでもいいし。

 そして、そんな話が僕はしたい訳じゃなかった。


 僕はジョーを威圧するためにテーブルを叩く。

 それは、彼がよく僕と話をしている時に使ったテクニック。

 自分の話を無理に聞かせるための演技を僕は真似した。


「僕が聞いているのは『お前が東京に行って何をしようとしてたか』だ。お前の事務所の話がどうして出てくるんだよ?」


 亜麻色をした髪の中から怯えた瞳が僕を睨み返してきた。

 テーブルに置いたジョーの手が微かに震えている。

 唇をキュッと噛んで彼は何かを堪えていた。


 彼の「女みたいな反応」になぜだか僕は無性に腹が立った。


「……東京で叶えたかった夢が、新しい事務所のおかげで実現できるから」


「は?」


「前の事務所は音楽活動はあくまでおまけ。アイドルとして俺を売りたかった。だからたんこぶは要らない。ジョーだけを東京に呼んだ」


 テーブルが激しく揺れる。

 僕がさっきやったことを彼にやり返されたのだ。


 愛らしい姿になったジョーがそれをやると、暴力的な話し合いも悪くない気分になる――のかもしれない。ふわりと舞ったロングヘアーに僕はそんなことを思った。


「今度の事務所はバンドをやらせてくれる。こんな惨めな格好もしなくていい。『あずみん』は『ジョー』に戻れる。大阪の俺に戻って東京で闘えるんだ――」


「……なに言ってんだよ、ジョー」


「俺が見つけた最高の男と最高の女で、俺のためのバンドをやる! スリーピースバンドだ! 男と女とそれ以外の私でこの世界をぶっ壊すんだよ!」


 熱く語るジョーにまた昔の面影が被る。

 見たことのある表情の彼。見たことのない姿の彼女。

 激しく切り替わる目の前の人間の表情にもう僕の心はパニック状態だった。


 気が滅入ってしまいそうな僕の手をジョーは両手で握り込む。

 バンドマンだった頃よりも、随分と彼の手は柔らかさを増していた。咲ちゃんのおかげで知ることができた、年頃の女の子の感触がジョーの中にも確かにあった。


 そんな女の子の身体の中で彼の魂は燃えていた。


「ケンチン、俺とまたバンドをやろう! しーぽんも一緒だ! 今度は東京で暴れるんだよ! 三人でこのクソつまんねー現実をぶっ壊してやろう!」


「……は?」


「忘れ物はお前だケンチン! ジョーが大阪に置いていったお前としーぽんを迎えに来たんだ! 私は――お前達と音楽がやりたくって東京に行ったんだよ!」


 ジョーは僕の手を痛いくらいに握りしめた。

 その手つきに、愛する義妹が僕を求める時の息づかいを微かに感じた。


◇ ◇ ◇ ◇


 即答はできない。

 そう返事をした僕に、ジョーは「そうだろうな」と頷いた。

 言うに事欠いて「よく考えてくれ」とまで。


「事務所の移籍手続きが複雑でさ。俺もしばらく活動はできないんだ。しばらくこっちに滞在してるから、また気持ちを聞きに来るよ」


「……ジョー」


「東京での暮らしは任せろ。稼いだ金は全部貯めてある。三人で暮らす家にも心当たりがあるんだ。高校だって通おうと思えば通える。全部、私に任せてくれよ」


 きらきらとした目で夢を語るジョーが眩しかった。

 僕みたいなどうしようもない奴を、気にかけてくれていたことも嬉しかった。


 僕たちの間に絆はあったんだ。

 ジョーは僕の事を『本物』だと思ってくれていた。

 東京に呼ばれなかった『正解男』をずっと求めてくれていた。


 けれども、そんな事実を受け入れられるほど僕の心は丈夫にできていなかった。

 この気持ちにすぐ答えを出してあげられるほど賢くもなかった。


 結局、僕は助言を求めて、また河川敷にやってきた――。


「昔のジョーなら『考えてくれ』なんて言わなかったはずです。『東京に来い』って、解散した時みたいに言うはずなんです。僕の頭の中のジョーと、現実のジョーの食い違いが、もうどうしていいか分からなくて」


「……なるほどな。常連客の顔とちん○が一致しなくなって、『この人の好きなプレイは素○だったっけ? フェ○チオだったけ?』となった訳だな」


「ぜんぜんちがいます!」


 11月19日土曜日18時51分。

 僕は樟葉駅裏の土手に赴くと、暗い空の下で銀色の乙女に面会した。

 出会った時と同じように彼女はそこで空を眺めていた。両脇に紙バケツに満タン詰め込んだフライドチキンを置いて。


 報酬(夕飯)の後払いを約束して、僕は彼女にまた相談を持ちかけた。

 そして返ってきたアドバイスがこれである。


 だから「高校生に配慮した言い方」がもっとあるんじゃなくって?


 しくしく。


「とにかくそういう訳でして、僕はもうどうしていいか分からなくて」


「なるほど、それで私の所に来たという訳だな」


「こんなこと相談できるのは、さおりさんだけですよ」


「ふむ。年若い少年に頼られるのは実に面はゆいな。任せなさい、ソープランド『万宝館』の玉袋と言われた私がずばりお答えしんぜよう!」


「どうしようやっぱりふあんだ」


 紙バケツのフライドチキンは既に空。

 あぶらっぽいゲップを吐き出したさおりさんは、「むん!」というかけ声と共に眉間に皺を寄せると僕を睨んだ。


 そんなことで何が分かるのだろうか。

 やっぱり、相談する人を間違えたかもしれない。


「少年。しかし答えは既に出ているぞ」


「ふぇ?」


 オーバーリアクションを解いたさおりさんが僕にウィンクをする。

 さっきのはただの演技らしい。

 からかわれたのだ。


 瞳に夜空を映したまま、さおりさんがその場に立ち上がる。銀色の髪がミルキーウエイのように揺れて、大夜空に弱々しく煌めく星々を挑発していた。

 銀色の星の海に浮かぶ二つの黄色い恒星。それが静かに瞬く。


「君が迷ったということが答えだ。友人が変わってしまったと感じるのも、それが受け入れられないのも、全てその迷いを誤魔化すための二次的感情だ」


「僕が迷っているからジョーを拒絶しているってこと?」


「少年、君は『友人の願い』と『自分の願い』を天秤にかけているんだ。友人と自分のどちらを優先するか、それを決めかねて迷っている」


「僕の願い……」


 迷っているというのはしっくりきた。

 けれども僕の願いについては、いまいちピンと来ない。


 そもそも、僕に願いなんて――。


 考え込んだ僕にくすぐったい笑い声がかかる。

 不思議と嫌な気にはならなかった。


「少年。君は自分の心に問いかけるのがヘタクソみたいだな」


「……そんなのうまい人の方が少ないんじゃないですか?」


「そう理論的に考えるな。心は言葉で表せるものではなく理屈でもないのだ。頭で考えず感じろ。自分の肉体にもっとよく耳を傾けてやるんだ」


「……僕の肉体?」


「そうだ肉体の声を聞くのだ、少年」


 意識高い系の有料セミナーみたいだな? 大丈夫かな?


 疑いながらも僕はとりあえずやってみる。

 目を閉じ、耳を澄まし、感覚を研ぎ澄まし、僕は自分の身体に尋ねた。

 いったい僕は何がしたいのかと――。


 風が淀川の土手に吹き付ける。

 前に来たときには川に沿って生い茂っていたすすきは、今は穂がほとんど落ちてみすぼらしいことになっている。強い風が川面を撫でればススキもまたその高い背を揺らす。残った穂は簡単に北風にさらわれていった。


 茂みで鳴く虫の声。

 遠くに聞こえる樟葉駅前を通る人々の声。

 川沿いの主観道路を走る車の騒音。

 冬も近いというのに熱心に自転車を漕ぐバイク乗りたち。


 そんな雑然とした音の中に混じって――何かが脈打つ音が聞こえてくる。


 その音に合わせて僕の身体が踊る。

 身体の芯まで震わせる力強い生命の鼓動を感じる。

 もしかしてこれが僕の身体の声なのだろうか。


「肉体の声を聞いたらその出所を探すんだ」


「出所?」


「そうだ。そこが君の身体で最も大事な場所。どうするべきかの答えが宿る場所だ」


 いったいどこからこの鼓動は現れるのか。

 僕の身体のどの部分が訴えかけているのか。

 いったいどうしたいのか。


 答えを求めて僕はその内なる鼓動の在処を探す。集中するほどに、濃くなる気配を探っていけば――わかりやすい場所にそれはあった。


「……分かりましたさおりさん。僕の身体の一番大事な場所」


「ほう。初めてにしてはやるじゃないか。それで、そこはいったいどこだ? お前になんと言っている? それは何をするために君の身体についているものだ?」


 そんなの決まっている。

 ここで考えることなんて一つしかない。


 今すぐ――家に帰って咲ちゃんと仲良ししたい!

 家に戻って、リビングで待っている咲ちゃんを強く抱きしめ、蕩けるようなキスをして、その服を優しく脱がして、大事な部分に触れたい。


 そして最終的にはその部分を使って、咲ちゃんと一つの存在になりたい。


「おちん○んやん!」


 今、自分の身体で一番使われているもの。

 よく脈打っている部分。

 一つしか使い道のない器官。

 そして、一番大事な場所。


 それは間違いなく、ぼくの『お○んぽ』だった。

 どうやら僕の心は『○んぽ』に全てを握られているようだ。

 握るものなのにね。おかしいね。やってられないね。


「なるほどちん○か。確かに、かの哲学者パスカルも言っていた。『人間は考える○んぽ』であると……」


「いってるわけねー」


「ところで少年、心なしかちょっと匂うぞ?」


「もうこれいじょうこころをこわさないで。おねがいだから。しくしく」

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