第15話 をかしくなっちゃった僕たち

 モテまくり! サキュまくり!


 そんな一週間があっという間に過ぎていった。

 学校に行けば女の子達からキャーキャー言われ、家に帰れば義妹にキャーキャー言われる。脱童貞により垢抜けたシティーボーイな僕。

 モテてモテて辛い――。


「なんで一緒になってくれないのよぉおお! 一目惚れのなにがいけないのぉおお! アンタを○して、アタシも死んでやるぅうう!」


「ただのとおりまさつじん」


 いやマジで辛い。デッド・オア・アライブで告白されるのしんどいです。

 モテ期っていうのも考え物だ。


 そんな騒がしい日々を終えてようやく迎えた週末。


 11月18日金曜日21時5分。

 僕は咲ちゃんに誘われて、一緒にリビングでドラマを見ていた。


「なんかちょいエグめの三角関係のドラマなんだって。ドロドロだよこわーい」


「どう見てもこれ高校生だよね? 高校生なのにドロドロの恋愛?」


「もーっ! そんな冷めること言わないでよ! フィクションなんだから、あり得ないくらいでちょうどいいの!」


 僕のほっぺたを左右両方から引っ張る咲ちゃん。

 その肩には白いシーツ。僕の頬をいじめるのに夢中な咲ちゃんの肩から、それがするりと滑り落ちれば白い膨らみがぽろりと露わになる。


 小さいながらも愛らしい二つの膨らみ。

 桜色をしたドライフルーツのような小さなぽっち。

 僕がつけた噛み痕。


 ドラマとか興味の無い僕だけれども、ピロートークの流れでこういうの誘われちゃうと断れないよね。咲ちゃんってばほんと策士だ。ちょっと怖い。


「あっ! 見てみてお兄ちゃん、あずみんだよ! きゃわぁーっ!」


 そんな咲ちゃんの瞳には今をときめく人気アイドルが映っている。


 あずみんこと三島杏美。

 ここ最近というもの義妹は、同い年のタレントにずいぶんと熱を入れていた。


『先輩、私のことを振ったらきっと後悔しますよ? いいじゃないですかあんな女のことなんて。私が先輩のこと、代わりにちゃんと愛してあげますから』


 主人公らしきイケメンを誘惑する小悪魔な後輩。


 指先に髪を絡めながら少女は目を伏せる。

 本心を隠しているというよりもどうでもいい感じ。男を堕落させようとしながら投げやりな態度が、逆に男をほっておけない気分にさせる。

 シーツを羽織り直した咲ちゃんが「はうぅっ!」と唸る。

 同性にもこのムーブは効くようだった。


 よく分かんないな。

 何がいいんだろうか。


「咲ちゃんってば、ほんとあずみんが好きなんだね」


「大好き! 同い年で頑張ってるっていうのもポイントかな! 私たちの世代の代表としてあずみんに頑張ってもらいたいって感じ!」


「なるほどなぁ」


「あずみん好きっていう若い子は、みんなそういう気持ちじゃないかな」


 自分達と同世代のスターを応援したいってことか。

 そういう気持ちなら僕もちょっと分かった。


 ただ、それでも僕は三島杏美のことが……。


「どうしたの、なんか怖い顔しちゃって?」


「いや、なんでもないよ。ほら、彼女の事務所の社長が死んだじゃない。そのこと思い出しちゃってさ」


「あぁ、大変なことになってるよね。あずみんもその影響で一ヶ月くらい活動休止してるし。たぶん事務所移るんだろうけれど、前みたいに活動できるのかな」


 どうなんだろうねと、僕は話を誤魔化した。


 頭からシーツを被ってお化け状態。

 咲ちゃんは布の下からじっと僕を見てくる。


 やれやれ、藪蛇なことを言うんじゃなかった。反省しつつ、「ほらほらドラマを見るんじゃないの?」とその腰を軽くタッチ。

 不意打ちの弱点攻撃に義妹は大げさに飛び上がった。


 スプリングの入ったソファーが大きく揺れる。


「……あれ、お兄ちゃん?」


 体勢を崩した彼女が裸の僕の胸へと転がり込んできた。

 そこまで密着すればいろんな部分がよく見える。ドラマの邪魔をしてはいけないと、義妹の目に入らないように気を使っている部分を僕は見られてしまった。


 きまりが悪くて天井を向いたがもはや意味は無い。

 気がつくと僕の内股を冷たい掌が怪しく撫でていた。


「もう。物足りなかったならちゃんと言ってよ」


「……ごめん。咲ちゃんがドラマ見たいかなって」


「録画してるから大丈夫だよ。もうっ、お兄ちゃんってば遠慮しいなんだから。そんな風に自分のやりたいこと我慢してても身体に毒だよ?」


 甘皮を綺麗に剥いた滑らかな爪が、僕のいちばん敏感な場所をぺしりとはじいた。

 硬く冷たい感触に――濁った声が口から漏れる。


 もどかしくて目を綴じた。

 たったそれだけ。


 次に目を開ければ、僕を悪戯に見上げていた義妹の顔が消えて――温かく、粘っこく、硬いものが、僕の弱い部分をやさしく包んでいた。

 鼓膜を溶かすような、甘い水音が聞こえてくる。


「ほにぃふぁん、おふひへひへはふふへ?」


「……なに言ってるのか、分かんないよ」


 駆け引きのための嘘を吐いて僕は義妹の身体に触れる。嬉しそうに彼女は小鳥のようにさえずると、速度を速めて一心不乱に僕の身体をついばんだ。


 テレビはいつの間にかCMに入っている。

 亜麻色の乙女がそこに戻ってくる前に終わらせるとしよう。


◇ ◇ ◇ ◇


 11月19日土曜日17時51分。

 今日も今日とてライブハウス『韜晦道中ヒザクリゲ』。


 本日もライブは無し。絶賛臨時休業中。

 そんなライブハウスで僕とノブさんは、くずはモールで明日開催される音楽フェスティバルの準備をしていた。顔の広いノブさんはフェスティバルの運営から、当日の音響周りの設営手伝いと機材の貸し出しを頼まれたのだ。


 今日のお仕事はそんな機材の車への搬入。

 普段ライブハウスで使っているモノを持って行くので取り外しから大仕事。気がつくとあっという間に時間は過ぎ、身体もへとへとだった。


 ようやく荷物を積み終えた僕とノブさんは、バーカウンターに腰を下ろしてくたびれた息を吐き出した。残り物の気が抜けた炭酸水がありがたいほど身体に沁みた。


「悪いな謙太。こんなこと手伝って貰って」


「いいですよ。別に仕事ですし」


「今日の仕事はこれで終わりだから、あとは自由に店を使えよ。久しぶりに羽衣ちゃんと心ゆくまでお話ししてくれ」


「そんなに話すことないと思いますけどね。しーぽんのことだし」


「そういや羽衣ちゃんも、明日のフェスに助っ人でくるらしいぞ」


「なんだそれ。知り合いばっかり出るな」


 まぁ、狭い関西のイベントだから仕方ないんだけれどね。


 ちなみに坂本さんも出るらしい。つい先日、LINEで「小さい音楽フェス出るから見に来てね!」と写真付きでメッセージが来た。

 投げキスの写真付きで。


 うーん、モテてモテて困る。(こなみ)


 なんてふざけていると、急にノブさんが重苦しい顔をした。

 カウンターに突っ伏していた彼は身を起こすと、腕を組んでこっちを見る。


「なぁ、お前もバンドやったらどうだ?」


「……なに言ってるんですか。メンバーのアテがないのにできませんよ」


「そんなもん、適当に学校の奴らに声かけろよ。集まるだろ高校生なんて暇だから」


「ジョーに悪いですよ。アイツの誘いを断って、解散させたのは僕なんだし」 


「謙太だけが悪いって話じゃないだろ。解散はお前ら全員が納得した結論だ」


 ノブさんの目が久しぶりにバンドマンのものに戻っていた。

 僕たちバンドの裏方として世話を焼いてくれていた頃の表情に。

 そんな彼の姿に、僕は中学時代の記憶を呼び起こされた。


 思い出したくない、日常の中で強く封印した、けれども逃げられない記憶を――。


 中学時代。僕はノブさんの兄弟弟子だったジョー、そして当時ジョーの恋人だったしーぽんの三人で、小さく手探り感のあるスリーピースバンドを組んだ。


 ジョーがボーカル兼ベース。

 しーぽんがドラム。

 僕がギター。


 中学生三人組のバンドはそこそこ巧かった。

 大阪のライブハウスでもてはやされくらいには。僕もジョーもしーぽんも、親が放任主義だったため活動時間は存分にあった。青春の退屈を惜しげもなく音楽に注ぎ、芸のためにと金を浪費し、芸術活動と称して無軌道な行動に走った。


 なんでもできると本気で思っていた。

 けど、そんな漫画みたいな青春はあっけなく幕を閉じる。


 中学生バンドの中に紛れ混んでいた本物。

 ジョーの才能が業界人に知られたことで僕たちの青春は終わったのだ。


「ジョーは東京に行き、お前達は大阪に残った。それだけのことだろ」


「ちがうよノブさん。僕は音楽から逃げたんだ。本物のジョーの隣に立つのが怖くて逃げたんだ。僕には音楽の才能なんてないんだ」


「中坊バンドごときが分かったような口をきくな」


「じゃぁ、なんでジョーに歌い方を教えたのさ?」


 幼いジョーと僕に音楽を教えてくれたのはノブさんだ。

 彼から僕はギターを。ジョーは歌い方を学んだ。彼の弟子である僕たち二人が、バンドを組むのは当然の成り行き。もはや運命だったのだろう。


 伝説的なバンドマンから直々に教えを請うたというのは、僕にとって活動する上でのモチベーションだった。自分は特別なのだ、選ばれた人間なのだ、いつか輝かしい場所にたどり着くことを約束されていると、純粋に信じていた。


 隣を一緒に歩いている歌い手と一緒にそうなるのだと。


 けれども、『本物』は一人だけだった。

 僕は、師匠の真似から抜け出せない『正解男』。

 世界は『本物』の歌い手だけを欲した。


 少年の人生から音楽を奪うには、それは十分に残酷な挫折だった。


「いつまでもぐちぐち言ってんじゃねえよ。お前、いい加減にしろよ」


 苛立たしくノブさんが舌打ちをする。

 普段は生きる屍のような男がめずらしく感情的になっていた。

 まるで、うだつの上がらないバンドマンを描いた青春漫画の主人公のように、彼は思い詰めた顔で僕の腕を掴む。けれどもその光景が滑稽なのは、彼に掴まれた男に反応らしい反応がないからだろう。


 怒りの炎が静かに燃えるノブさんの瞳。

 その中で、眼鏡をかけた少年は――どうでもよさそうに笑っていた。


 まるで他人事みたいに。


「なんだよ。ケンチンと兄貴が喧嘩なんて珍しいな。どうした、ケンチンにエロ本でもくすねられたか?」


 その時――ライブハウスの天井に馴染みのある声が響いた。

 裏口。僕たちが荷物の積み込みに何度も潜ったドアに人が立っている。開きっぱなしのそこから、11月の夕方の外気がフロアに吹き込んだ。


 ラベンダーの甘い香りがした。

 ジョーが好きでいつも服につけていたコロンの香りが。

 煙草の臭いが混じるようになっても、僕はそれを嗅ぎ分けることができた。


 そして、一年半を離れて過ごしてもそれは変わらなかった。


「しーぽんなんだけど調子が悪いみたい。イベントに出なくちゃだから、今日は悪いけれど休むってさ。俺たちだけで話といてだって」


 打ちっぱなしのコンクリートをヒールが叩く。

 歩く度にアクセサリーがきらびやかな音をたてる。


 聞けば聞くほど吐き気を覚える、彼に似合わない媚びた女の声――。


「一年半ぶりの帰省だぜ。元気してか二人とも。まぁ、俺の活躍はテレビでかねがねご存じかと思いますが」


「……ジョー?」


 暗いライブハウスで亜麻色の髪がふわりと揺れた。


 僕たちとバンドを組んでいた時には刈り上げていたその髪は、丁寧にアイロンをあてられて、くるりと毛先がカールしている。ゆったりとした淡い緑のワンピースを着て、彼はライブハウスの真ん中で照明を浴びていた。


 ピンクのルージュを引いた唇が憎たらしく歪む。

 煙草の脂にまみれた歯は見る影もない。

 清涼飲料水の恋人のような唇がそこにはあった。


「あれ? 言ってなかったっけ? 東京では『あずみん』で通ってるんだぜ?」


 目の前の人間の名前は三島杏美。

 ジョーというあだ名は両親が離婚する前に名乗っていたもの。

 旧姓城端の名字から取って『ジョー』。


 その由来を正しく知っているのは僕が知る限り、彼女と幼い頃から一緒にいた兄貴と、彼に一緒に音楽を教わった弟弟子の僕だけ。恋人だったしーぽんすら知らない。


 肉体的には女性。

 けれど、精神的には男性。

 早熟のトランスジェンダー。


 自分の抱える矛盾を音楽にぶつけ、暴力と反抗と退屈を飼い慣らした僕の一番の親友は、その全てを失って誰もが羨む『オンナノコ』になってしまった。


 彼が僕たちを捨てた罰なのか。

 それとも僕が彼から逃げた罰なのか。

 どちらかは分からない。


 けれども、テレビの中で彼が「あずみん」として微笑む度、僕は何か自分の人生にとってとてつもなく大切ものを失ってしまった気分になるのだった。


「会いたかったぜ兄弟! 元気にしてたか! まだ童貞か!」


「……なにしに戻って来たんだよジョー」


「んふ? なにって、忘れ物をとりに来ただけさ!」


 オンナノコが僕の前に立ち塞がる。

 頭一個半の身長差をものともせず、一年前にはなかった女性の象徴を誇らしげに見せびらかすと、僕だけが知っている彼女本来の笑顔を不意打ちで見せた。


 テレビでは絶対にみせない、あくどく、傲慢で、自信に満ちた笑顔。

 それに懐かしさを覚えた時だった――。


「ケンチンの童貞! 高校になっても彼女いなかったら貰うって約束だよな!」


「……あ!」


 僕はそんなくだらない約束を思い出した。

 こんなオンナノコになるなんて思っていなかった、オトコオンナな幼馴染とのふざけきった昔話。反故にしても決して誰も咎めない子供の戯言。


 けれど、どうしよう。


 もう、童貞、残ってないよォ……。ふぇえぇ……。(大混乱)

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