第二部 アイアンメイデンガール

第11話 この友情は腐っているんだよ

 2022年11月11日金曜日11:38。


「祝! お兄ちゃん退院! おめでとーございます!」


「はい。ありがとね咲ちゃん」


 樟葉駅前にある総合病院のエントランス。

 少なくない人が行き来するそこで、僕は義妹にもみくちゃにされた。平日だというのにわざわざ彼女は退院祝いに駆けつけてくれたのだ。


 お見舞いの品は、花束でもなく、ケーキでもない。


 い・も・う・と!(おめめぐるぐる)


 幸せと狂気をめいっぱい噛みしめると、僕はお世話になったスタッフさんたちに頭を下げて病院を後にした。目指すは我が家。二週間ぶりの帰宅だった。


 隣を歩く咲ちゃん。

 僕の腕を抱きしめて、肩にぴとりと頬を寄せてくる。

 久しぶりにお外を一緒に歩くけれども忠犬ムーブは健在。むしろ、ここ最近お出かけできなかった分、強くなってるまであった。


 もう介助は必要ないんだけれど――まぁ、今日くらい甘えておこう。


「えへへ。やっとお兄ちゃんが元気になってくれた。寂しかったよ」


「ごめんね。一人で暮らすの怖くなかった?」


「それは大丈夫だけど、お兄ちゃんが居てくれたらなって、せつなくなっちゃった」


「咲ちゃん。そんなに僕のことを」


「お兄ちゃんの身体を知っちゃったら、私、もう……」


「やめようね。さきちゃん。おそとだからね」


 すりすりと僕の腕を咲ちゃんが悪戯っぽく指でさする。

 触り方がとってもエッチ。掌でスリスリじゃなくて、指でスリスリは大人の触り方だ。ほんと、いったいどこでそういう駆け引きを覚えてくるんだろう。


 引き離したいけれど、義妹に強く言えない。

 ダメなお兄ちゃんなんだ、僕ってば。


 とほほ。


「あっ! そうだお兄ちゃん! せっかくだから駅前でお買い物してこ!」


「なにか買いたいものとかあるの?」


「お兄ちゃんの退院祝いに、何か食べようよ」


「無駄遣いはダメだよ咲ちゃん。それに、僕は咲ちゃんの手料理が食べたいかな」


「……もうっ! そんなこと言っても、今日の夕飯の献立はもう変わらないよ! うなぎも頼んだし、とろろもいいの買って来たし、クマの肝もマムシの生き血も用意したんだから!」


「あ、僕、死にますね」


 にやりと笑った口元にはきらりと涎が光っている。

 咲ちゃんってば、もうお腹ペコペコ今にも食べたいって感じだ。


 何を食べるんだろうね。ここはお外なのにね。(そらとぼけ)


 サキュバスの本能が漏れっぱなし。アクセル踏みっぱなしな僕の義妹。これは、もうちょっと入院していた方がよかったかもしれない。

 これから自宅で待ち受ける苦難に僕は力なく肩を落とした。


 仲良し兄妹カップルの背中に少し早い北風が吹き付ける。

 寒そうに腕を擦った咲ちゃんは秋コーデ。白いニット地のタートルネックに、カーキ色のワイドパンツ。お洒落な茶色いショートブーツ。

 浅葱色のショルダーバッグの紐が、彼女の身震いにあわせて揺れている。


 大切な義妹に風邪を引かれては困る。

 僕は自分のウィンドブレーカーを脱ぐと震える義妹に渡す。


「ほら、咲ちゃんこれ着て」


「えぇっ? いいのお兄ちゃん? 寒くない?」


「……寒い。けど、咲ちゃんの方が大事だから」


「そっか! ありがとお兄ちゃん! じゃぁ、借りとくね!」


 なんでよ。

 恋愛ドラマみたいな感じで言ったじゃない。

 軽くスルーされてしまったんだけれど。

 ここは頬を赤らめて「ありがと!」のシーンじゃないの?


 好きな女の子との距離感がちょっと分からなくって感情がバグる。


 僕のウィンドブレーカーをひったくり、義妹がショルダーバッグの上から羽織る。

 温かそうに袖で頬を擦ると、咲ちゃんは急に駆け出した。並木の前で立ち止まってこちらを振り返れば、んべぇと舌を出して右目の瞼を吊り下げる。


「お兄ちゃんってば忘れてない? 私はお兄ちゃんの、彼女でセフレで義妹なんだよ? 義妹の身体をお兄ちゃんが気遣うのは当たり前だよね!」


「……えぇ」


「だからお礼は言わないよー! ふっふーん、かっこつけたのに残念でしたー!」


 襟元を引き上げて頬を隠すとドヤ顔。

 すぐにかわいくお尻を揺らして彼女は僕に背中を向けた。冬の物悲しさに染まる樟葉の街を彼女は軽やかに駆けて行く。


 どうやら厄介な女の子に惚れてしまったようだ。

 シーンによって立場を使い分ける狡猾な妹。そんな彼女を想いながら、彼氏でセフレでおまぬけお兄ちゃんの僕は、少し薄いセーターの袖を女々しくさすった。


 ふと、見慣れた街並みの中に気になるものを見つけた。

 駅前にあるフォトスタジオ。冠婚葬祭、入学・卒業式などの写真が飾られたショーウィンドウの中に、ひときわ目立つ女性のポスターが掲示されていたのだ。


 三島杏美。

 それは義妹がご執心の女性アイドルだった。


 亜麻色のワンレンを靡かせてこちらに笑顔を向ける美少女。縦縞のカットソーを着て口元の前で手を合わせる彼女には、目が眩むくらいに魅力的だった。


 まさに理想のオンナノコ。

 男も女も憧れる美少女。


「ほんとすごいよな……」


◇ ◇ ◇ ◇


「しーぽんありがとね。おかげさまで無事に義妹の件は解決したよ」


『おー。なんだようまくいったのか。「もう無理。僕、義妹に嫌われちゃった。生きていられないよ。先立つ不孝をお許しください」って、なるかと思ってたぜ』


「あいかわらずひどい」


 ゲタゲタとスピーカーの向こうで愉快に笑うしーぽん。

 長い付き合いだ。その様子がありありと瞼の裏に浮かぶ。


 人の不幸でそんな笑わなくってもいいじゃない。


 昔から彼女はこんな感じだけれども、最近ますます毒気が強くなっている。

 なんか強めのストレスでも溜まってるのかしら。そんなことを思うと、口は悪いが面倒見のいい昔なじみが急に心配になった。


「やっぱり持つべきものは友達だね。しーぽんも僕でよければ頼ってよ。できることはあんまりないけれど、できる範囲で君の力になるよ」


『なんだよ気持ち悪いな』


「いや、友情って大事だなって思ってさ」


『勘違いすんなよ。たまに遊びに来る野良猫が腹すかせてたから、猫まんま食べさせてやったようなもんだ。別にお前のこと、なんとも思ってねえから』


「またまた」


 くそうぜぇと悪態をつく素直じゃない女友達。

 なんでもないこんな会話が、どうしてちょっと嬉しく感じてしまった。


 時刻は15時41分。場所はくずはモール。

 通路の真ん中に置かれているケーキみたいな椅子の上。


 鎌倉パスタで平日ランチをした僕たちは、駅前複合商業施設をウィンドウショッピング中だった。そこに、急に友人のしーぽんから電話がかかってきた。


 電話どころかメールも少ないしーぽん。

 彼女からのレアな呼び出しに僕は慌てて応対した。

 きっとなにか重要な話に違いない。バンドの助っ人のお願いとかだろうか。


 ただ、しーぽんって妙にこういう時、おくゆかしいんだよね。

 なかなか肝心の話題を出してくれない。


 今もまさしくそんな感じだった。


「それで、今日の用事ってのはなんなの?」


『うん。まぁ、連絡ないから普通に心配してたんだよ。ノブさんに聞いたら、退院予定は今日だって言ってたからさ』


「やっぱり心配してくれているんじゃないか。しーぽん、僕は嬉しいよ」


『だからやめろって。次、それ言ったら縁切るからな』


 そう言いつつしーぽんは電話を切らない。

 そして話題を切り出す機会をうかがってもじもじしている。

 さっぱりしているようで、しーぽんはかなり重度のコミュ障なのだ。


 どうしたものかなと顔をしかめた僕。

 その視界に咲ちゃんの姿がひょっこり現れる。「長くなると思うから、先にお店に入っていて」と別れたが、どうやら僕の様子が気になるらしい。


 心配そうなその顔に、「大丈夫だよ」と僕は手を振った。


『あー、それでさ、お前の義妹ちゃんだけれど、どんな感じなの?』


「どんな感じって?」


『そりゃお前、いろいろあるだろ。週に何回くらいヤッてんのとかさ』


「ぼく、にゅういんしてたんだけど、できるわけないよね?」


 本人を前にぶっこまれたアダルトトークを虚無になってしのぐ。

 いきなりなんてことを聞いてくるのだろうか。やめてくれよまったく。


 まぁ、だいたい週五ペースですね。


 しない日も吸われています。

 僕の義妹サキュバスですので。


 今日もドラッグストアに入った時「そういう関係なる前より、なった後の方がコンドーム代ってかかるんだな……」とか思いました。

 相手するのが大変。けど、彼女のために苦悩するのもまた楽しい。


 恋って素敵やね。(大阪弁)


『サキュバスなんだっけ。相手するのが大変そうだな。体力大丈夫か?』


「まぁね。いまのところはなんとか」


『お、意外に逞しいんだな。やるじゃん絶倫マン』


「ぜつりんまんはやめてもろて」


『けどなぁ、そんな娘がエロアピールするってのもなんか変な話だよな』


 世間話にしてはちょっと気になる内容。

 おもわず「うん?」と詰まった声が出た。


 エロアピールの何がいけないというのか。

 エッチなことに積極的で、甘く男の子を誘惑してくれる女の子って、最の高じゃないですか。咲ちゃんでなくっても、そういう娘とお付き合いできたら幸せだなって、僕は普段から思っていますよ。


 咲ちゃんがまた洋服屋さんに入ったので虚無モード解除。

 知性を上げた僕は「その話、詳しく」と、しーぽんに食いついた。


 ついついスマホを握る手にも力が入る。


『いや、エロアピールってのは典型的なブラフだから。本気でそんなこと言ってる女がいるわけないじゃん』


「そうなの⁉」


『頭ん中はまだ童貞かよ。さっさとそっちも捨てろ、このバカ野郎』


 咲ちゃんのエッチなキャラが演技だっていうのか。

 だったらどうして咲ちゃんは、そんなことをしているんだ。


 もしかして僕に言えない何か秘密があるのか――。


 ショックで言葉が詰まった僕。

 言いたいことはあるのに、口はパクパクと空気を食べるだけ。

 息苦しくて窒息しそうだ。


 そんな僕に、しーぽんがあきれたようにため息を吐く。


『まぁ、お前に襲われないように、わざとそういうキャラを演じてたとアタシは踏んでいたんだけど、普通にヤッちまったってことは、なんか違うんだろうな』


「そんな駆け引きあるんですか?」


「尻軽っぽい女を演じりゃ、潔癖な男は寄ってこなくなるわな。逆に女好きっぽい奴の前では、真面目でつまんない女のフリしたり。そんなもんだよ」


「うわ、なんかガチっぽい」


『男みたいに女はテキトーに生きられないの』


「……なんか、ほんとすみません」


『けどまぁ、お前に懐いている所を見るとそういう男避けに使ってた線はない。となると、予防線張ってんのかもな』


 予防線とは?


 エッチなアピールをすることでいったい何が予防できるのだろう。

 逆に、ちょっと相手に入り込まれない?


 分かんないのに悩んでも仕方ない。

 素直に「どういうこと?」と、僕はしーぽんに尋ねた。


『普通に考えて、そういうことする自分に納得できてないか、あるいは、もっと重めの願望を抱いているかって所だな』


「……よく分かんないけど、なんかちょっとヤバそうだね」


『機会があれば妹ちゃんの部屋とか注意して眺めてみろよ。何気ない所に人間の本心なんて隠れているからさ。本棚の漫画とかに深層心理が出てたりするもんだぜ』


 なるほどなぁ。本棚に深層心理が現れるか。

 なんか普通にあり得そう。


 そういえば、かれこれ三ヶ月ほど一緒に生活しているけれど、咲ちゃんのお部屋って入った覚えがないな。記憶にあるのはベッドの上のおパンティだけだ。


 改めて考えると、僕は咲ちゃんのことを何も知らない。


 うすうすのセクシー系より布地がしっかりしたキュート系のパンツが好み。

 ブラジャーはホックのないスポーツブラが楽で常用している。

 胸には自信ないけれどお尻には自信あり。

 されるよりするほうが好き。


 そんなことしか、僕は彼女のことを知らないんだ……。


『まぁ、他人の私からはこれ以上なにも言えない。あとは自力で調べてみろ』


「うーん、分かった。ちょっと気にしてみるね」


 胸に重いくさびを打ち込まれた気分だった。

 今すぐにでも家に帰って、咲ちゃんの部屋を確認したい。

 さっそく彼女と合流したら、今夜遊びに行っていいか聞いてみよう。そうしよう。


 そんな決意と共に、僕は電話を切り上げようとした。


『あ、ちょっと待てケンチン』


「なに? まだなんかあった?」


『悪い。ちょっと顔を合せて話したいことがあってさ。今月中のどこかで、ノブさんのお店で集まれないかな?』


 と、ここでようやく本題を話してくれた。


 今回は随分と長くかかっちゃったな。

 あんまりもったいつけるから僕もすっかり忘れていたよ。


 あぶなかった……。


「いいけど。来週の土曜日なら、僕もバイトが早上がりだから都合つくかな」


『うっし、来週の土曜日な。伝えておくよ……』


 珍しく僕にお礼なんて言い残してしーぽんは電話を切った。


 話はまた後日。

 直接じゃないと話せない――か。


 しーぽんはやっぱり奥ゆかしいよ。


 頑張ってダイエットして、パンクファッションやめて、言葉使いを丁寧にして、男の子を立てるようになればきっとモテるだろうな。

 少しもしーぽん要素が残ってないけれど。


 そんなふざけたことを考えながら僕はスマホをポケットにしまった。

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