第10話 僕に教えてくれないか

「ぐへへ、お兄ちゃん。精○をよこすのじゃー」


「やだ離して! 妖怪精○よこせ!」


「ちがうよ、お兄ちゃん――アイ・アム・サキュバス!」


「あ、なるほどこりゃ一本取られた。サキュバスだから搾○するのはあたりまえ。これがむしろ当然の光景ってことか。いやはやまいっちゃうな」


 じゃないよ!


 したり顔で「うんうん。サキュバスだからね。それもしょうがないか」と受け入れそうになったけれども、学校で何をするつもりなのさ。


 人気のない学校の保健室。

 先生の姿もなく、生徒達は授業中。

 柔らかいベッドの上に、組んずほぐれつ男と女。


 エロゲのスケベイベントのフラグが立っているけれども、ここはメッセージ高速スキップだ。僕は咲ちゃんを振りほどこうと力をこめた。


 しかし――。


「固い! びくともしない!」


 義妹が僕をがっちりホールド。

 地獄義妹固めを決められてしまって脱出不能。


 僕は身動きがとれなくなった。


「えっへっへ。お兄ちゃんと私の体格差じゃ、取っ組み合いになったら勝てないと思うな。だってお兄ちゃんちびっこだもの」


「くそっ! 自分の貧弱な肉体が憎い!」


「そんなこと言わないで。そんなお兄ちゃんだから私は好きになったのよ。こそこそエッチなことしてても、『またやってる。かわいいな』って許せちゃうのは、いざとなったら『腕力で勝てる!』と思えるからだよ?」


「……『またやってる』とは?」


「直接使ったのはお風呂がはじめてだけど、おかずには前からしてたよね?」


「……いつからきづいていたんだ?」


「お風呂で一回、私の部屋で二回、リビングで二回。ひらひらのレースタイプの奴が好きなんだよね? お兄ちゃんの趣味はもう分かってるよ!」


 余罪まできっちりバレてる。

 嗜好まで調べ上げられてる。


 逮捕、待ったなし。


 説明させてください。

 これには海より深い訳があるんです。

 確かに僕は咲さんのそれで――いけないことをしました。

 しましたけれども、それは見える所にそれが置いてあったからなんです。


 帰ってきたら咲ちゃんの部屋の扉が開けっぱなしになっていて、「もう、しょうがないんだから」と親切心で閉めようとしたら、そこに可愛いおパンティが――。


「まさか⁉」


「……いやぁ、まさかあんな罠に引っかかるとは」


「謀ったな咲ちゃん!」


「引っかかる方が悪いのだよ、お兄ちゃん!」


 悪代官みたいな企み顔を咲ちゃんがキメた。


 うがああああああっ!(逆ギレ)


 情けなくってふんぞり返りたくても、それを咲ちゃんが許してくれない。

 僕を胸の中に抱き込んでベッドに転がると、義妹はによによと笑顔を近づける。


「いやぁ、お風呂は流石にやり過ぎたなって思ったよ。まさかそれまで見るだけだったのに、いきなり手に取って使っちゃうんだもの」


「もう、やめて。許して、お願いだから」


「ねぇ、何がそんなにお兄ちゃんの琴線に触れたの? やっぱり汚れてるのがよかったのかな? それとも匂いフェチなの? くんかくんかしてたよね?」


「わァ……ぁ……」


「泣いちゃった」


 僕のここ数ヶ月の罪悪感はなんだったのだろう。

 義妹の手の上でまんまと踊らされて、いいように弄ばれて。彼女へのこのせつない思いも、全部仕組まれたものだったっていうのか。


 究極の脱力が隙間を生み出す。

 弛緩した僕の身体がするりと咲ちゃんの身体から滑り出た。

 そのまま床でしたたかに僕はお尻を打つ。だが、その代わりに僕は身体の自由を手に入れたのだった――。


「咲ちゃん。どうしてこんなことを」


「お兄ちゃんのことが好きだったからよ」


 膝立ちになって保健室の床の上。

 滑り落ちたベッドを見上げれば、僕の返事に満足したように咲ちゃんが笑う。

 窓から伸びるのどかな光を背にして、彼女はベッドに腰掛けて僕を見下ろす。


 黒くて長いプリーツスカートが揺れて、その下に純白のソックスをはいた足先が揺れる。まるで振り子時計のようにそれを揺らして、彼女は僕を誘惑した。


「ねぇ、お兄ちゃん。もう分かったでしょ」


「分からないよ咲ちゃん。僕は、君が分からない」


「お兄ちゃんが私のことを想って迷ったのと同じよ。私もお兄ちゃんのことを想ってこんなことをしちゃったの。どうかしてるよね。恋ってほんとおかしいわ」


 白いソックスが音もなく教室の床を撫でた。

 薄い桃色をしたふくらはぎにかかったスカートが、少しずつ舞台の幕を上げるようにずりあがっていく。


 その端を摘まむ小さな手には透明な汗が滲んでいた。

 こんな風に男を誘惑して、どうしてそんなに怯えるのだろう――。


「君が私に触れればいいだけなの。それで、もう、私はお兄ちゃんのもの」


「……咲ちゃん」


「この邪魔な肌色の膜を破って、私に触れてお兄ちゃん。乱暴にしてくれてもかまわないの。君がつけてくれた傷なら、きっと私は愛せるから」


 プリーツスカートが膝の上にあがれば深緑の布地が現れる。

 スカートの暗闇の中にうっすらと光るその模様。丁寧に編み込まれたレースの刺繍は、僕の脳の奥深くに強烈に焼き付いているものとまったく同じだった。


 あの日汚した僕の純情がスカートの中で嗤っていた。


「……きて、謙太くん」


 誘われるまま触れたのは義妹の白いおしりではない。

 僕はその場に立ち上がり、震える義妹の肩を抱いて彼女をベッドに押し倒した。


 きょとんと僕を見上げる義妹に、理性を振り絞って普通の顔を僕は向けた。


 もうちょっとだけ時間が欲しい。

 まだ快楽に溺れたくない。


 白いスカーフが添えられた彼女の首元を撫でることで、僕は息絶えそうな理性をなんとか延命する。快楽になにもかも台無しにされる前に伝えなければ。

 僕が本当に咲ちゃんとしたいことを。


「咲ちゃんごめんね。これから僕は君を傷つける」


「いいよって、言ってるじゃない」


「君の思い出を悲しいものにしたくない。だから、ごめんね咲ちゃん。独りよがりかもしれないけれど、余計なお世話かもしれないけれど……」


「ほんと、バカなお兄ちゃん。自分がしたいだけなんじゃない」


 どうせ思い出になるならこっちがいい。

 優しく僕たちの関係をはじめたい。


 僕は目の前の女の子にその唇をせがんだ。

 心の底からの偽りない本心で、彼女のそこに触れたいと願った。


◇ ◇ ◇ ◇


「なるほど。典型的な精○の欠乏状態の症状ですね。二日間お預けをくらったせいで貧血を起こしたんですよ。大丈夫、大人のサキュバスでもよくある話です」


「だって! 安心してお兄ちゃん! 私、変な病気じゃないから!」


 つやつやとした顔で僕の方を向く咲ちゃん。

 その笑顔と肌つやを見たら、元気だなってのは一目で分かるよ。


 君が元気でお兄ちゃんは嬉しい。

 とても嬉しい。


 けど、その喜びを表現する元気がお兄ちゃんにはないんだ。


「…………へぇ」


「まぁ。欠乏状態の反動で暴走したのは残念ですね。咲さんも、搾○経験がありませんでしたから、加減を間違うのは仕方ないですよ」


「…………へぇ」


「ある意味、お兄さんが過保護すぎたんです。なんでもかんでも与えるのが愛ではありません。時に相手に身を委ねることも大切ですよ」


 咲ちゃんの初潮を見てくれた女医さんが爽やかに微笑む。

 僕はまた「…………へぇ」と力なく頷いた。


 11月9日水曜日11時23分。

 僕は病院のベッドの上で約二週間ぶりに目を覚ました。


 保健室での告白のあと、僕と咲ちゃんは男と女の行為に挑んだ。

 はじめて同士。おぼろげで不正確な知識を持ち寄って行ったそれは、たどたどしくて、いじらしくて、愛おしいものになった。


 ただ、愛おしさがちょっぴり暴走した。

 僕たちは本当に無限に相手を求めようとしてしまったのだ。


 結果――少年はミイラになった。


 白目を剥き、泡を吐き、干からびた状態で、咲ちゃんに腰を打ち付けられていた僕は、休み時間に様子を見に来た保健医によって救出された。

 そのままサキュバス科のあるこの病院へと搬送され、集中治療室にぶち込まれ、二週間ほど昏睡し、さきほどようやく目を覚ましたのだ。


 サキュバス、おそるべし――。


「まぁ、意識も無事に戻ったので、あとは点滴打っておけば三日くらいで治ると思いますよ。サキュバスの搾○の基本は、生かさず殺さずですから」


「…………へぇ」


 物騒な基本だなぁ。


 それじゃお大事にと女医さんが手を振る。

 咲ちゃんに車椅子を押されて僕は診察室を出た。


「いやー、酷い目にあったねお兄ちゃん。はじめて同士は危険がいっぱいね」


「咲ちゃん。僕になにか言うことないのかな?」


「……ごめんなさい。だって嬉しかったから」


 車椅子を押しながら、しょぼんと肩を落とす咲ちゃん。


 彼女が真面目な娘なのは知っている。反省もちゃんとしている。

 流石にこれに懲りて、今後は同じ失敗をしないだろう。なのでまぁひと安心。


 本来年上の僕がちゃんとリードしなくちゃいけないのに、早々にへばって戦線離脱しちゃったこともある。あんまり言ってあげるのは可哀想かもしれない。

 僕はそれ以上義妹を責めるのはやめておいた。


 全て許そう、愛故に。


 義妹に車椅子を押されて病院の五階へ。

 たどり着いたのは、咲ちゃんが前に運び込まれた病室だった。


 パリッとした白いシーツが敷かれたベッドに近づくと、咲ちゃんの介助を受けつつ僕はそこに乗り移る。

 二週間眠っていた身体はさび付いており、ただ移動するだけなのに咲ちゃんに随分頼ってしまった。けれどもそんな僕の願いを、義妹は快く聞き届けてくれた。


 サキュバスって悪魔じゃなくて聖母なのでは?


「……世話をかけるね咲ちゃん」


「全然平気だよ。お兄ちゃんってば軽いから」


「それ、男のセリフだよね。流石は王子さま」


「ひどーい! そんなこと言うお兄ちゃんには、もう色々してあげないから!」


「色々って?」


 僕の身体をベッドに移し終えた咲ちゃんがにへらと笑う。

 どうやら色々したあの日のことを思い出しているようだ。

 ぼっと火がついたように赤い頬に、さっそく身の危険を感じてしまった。


 そんな義妹から逃げるように僕は病室の窓から樟葉の街並みを眺めた。


 街に降り注ぐのは冷たい光。

 空は鈍い青色。薄い雲がたなびいている。

 少し下に視線を向ければ病院の中庭が見える。丸い広場に沿って植えられた街路樹の枝は寂しく、庭を彩る緑もどこか精彩を欠いていた。


 なにより外を出歩く人の少なさよ。ダッフルコートを羽織ってせわしなく写真を撮る少女以外に、庭で遊ぶ人の姿は見当たらない。


 季節はもうすっかり冬支度を終えてしまっていた。


「随分、長いこと寝てたんだなぁ」


 ひょいと咲ちゃんがベッドに腰掛ける。

 掛け布団を羽織った僕の身体に優しく腕をのせると彼女は僕の方を振り向いた。

 ふざけたノリはちょっとおしまい。僕の心に潜り込むように顔を近づけると、じっと視線を重ねて僕の次の動きを待つ。


 そうやってまた僕を試しているのだろう。


 そうはいくものか。

 先手を打って、僕は頭の中のとあるマニュアルをひもといた。

 義妹との共同生活を経て書き上げたそれは――『女の子取り扱いマニュアル』。


 そこには、こういう時は『何も言わずにキスをする』のが正解とあった。


「寂しかった、咲ちゃん?」


 けど、僕は彼女の気持ちを尋ねた。

 素直に自分の心に従った。


「……うん、とっても。この寂しさを、はやく埋めて安心させて?」


 そのためにはきっと、キスだけではちょっと足りないのだろう。

 ならお兄ちゃんは義妹のために頑張るしかない。


 どういう意図かせっかく用意してもらった個室だ。

 存分にそこは使わせて貰おう。幸いにも学生の身分だ、時間はたっぷりある。

 惜しむらくは体力が少し心許ない。


 まだ点滴を打つ前だけれど――持ってくれ僕の身体!


 心と体を勇気で震わせると僕は腕を持ち上げる。

 僕は咲ちゃんに優しく口づけすると、期待に震える彼女の肩を抱いた。


「きて、お兄ちゃん。貴方のしたいように私を愛して」


 そのまま押し倒すべきか。

 それともしばらくそうしているべきか。


 童貞を卒業した僕には、もう悩む必要なんてなかった。

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