第8話 湯煙☆スク水☆大妄想

 どうしてこうなった。


 迂闊なことなんて言うもんじゃない。「なんでも言うこと聞いてあげる」という優しさにつけ込んで、エッチなお願いをされるのはラブコメの王道パターン。

 それを想像できない僕がいけない。


 いやけど、女の子の方から来るのは予想外じゃない。


「嘘でしょ。僕、これから咲ちゃんの前でするの?」


 時はちょっと進んで20時。

 食事の後の腹ごなしにちょっと兄妹でゲームでも。

 僕と義妹はNintendo Switchをテレビに繋ぐと、パーティーゲーム三本勝負をしていた。それはいつものありふれた我が家の日常だった。


 ゲームをしながら僕は義妹の様子を窺った。

 そして、彼女が三連勝を決めた所で「それじゃお風呂入るね」と立ち上がった。勝利のうれしさに、「○ナニーをしている所を見せる」という僕との約束を、義妹が忘れたと踏んだのだ。


 しかし、咲ちゃんはそんなに甘くはなかった。


「分かった! それじゃ準備してくるから、お風呂で待ってね!」


 獲物を狩る肉食動物のような機敏さで、彼女はリビングから逃げようとする僕を捕まえた。体中からヤル気と喜びが溢れている。ちょっとその姿が輝いて見えた。

 いつもの天真爛漫さがとてつもなくつらい。


 そんなこんなで、断ることもできず今ココ。

 お風呂場の浴槽で僕は膝を抱えていた。


 もちろん全裸で。


 クリーム色した浴槽に溜まったお湯はまだ膝の高さ。

 給湯器がただいま全力で湯沸かし中だ。

 ぽこぽことお湯を吐き出す給水口の前で、僕のごつごつとした足が水を跳ねる。


 ほんと、どうしてこうなった。


「本当にするのか? 咲ちゃんもきっと僕のことをからかって言ってるだけだろ? けど、なんか目が怖かったし……」


 義妹にせがまれて目の前でオナニーするなんて――それなんてエロ漫画。

 なし崩しでエッチしちゃうフラグ立っちゃってる。サキュバスとか、義兄妹とか関係なく、ここまで来たらもうやるでしょ。

 それ以外の展開にはならないでしょ。


 落ち着け謙太。

 まだこの運命を回避する方法は残されている。

 冷静にパズルのピースをかき集めるんだ。大丈夫だ僕ならできる。


 このまま咲ちゃんとお風呂ではじめてだなんて、そんな経験をしてしまっていいのか。記憶に残るお互いのはじめてが、ちょっと特殊な感じでいいのか――。


 いや、いいだろ。


 お風呂でイチャラブむしろ最高では?


「お・に・い・ちゃん!」


「ひゃい!」


 脱衣所の方から響いた声に僕は浴槽から顔を上げる。


 脱衣所と風呂場を隔てる折れ戸。

 そこにはまった磨りガラスの向こうに黒い影が揺れていた。

 その女子高生にあるまじきボディライン(胸を除く)は間違いない。


 マイラブリースイートビッグリトルシスター!


 不意打ちで甘い声をかけてきた彼女は、リアクションを楽しむように「ふふふ」と扉の向こうでさえずる。お尻を小刻みに揺するのは、嬉しいのか挑発しているのか。

 どっちにしても生殺しだよこんなの。


「ねぇ、入ってもいいかな?」


 と、尋ねてきたので。


「待って、まだ心の準備が!」


 と、返す。


「もーっ! 心の準備なんて入りながらすればいいでしょ!」


 と、咲ちゃんが言うと、がらりと折れ戸が勢いよく開いた。


 問答無用で入ってくるんかい。(驚愕)


 いやんばかんと急いで僕は顔の前に手をかざす。咲ちゃんの肢体を見てはいけないと、なけなしのお兄ちゃん心を僕は振り絞った。


 けれども、そんな気遣いとドギマギは不要――。


「……あれ、スク水?」


「じゃじゃーん! そうだよ、ウチの学校のスクール水着です!」


 頭と腰に手をあてると身体をS字にくねらす美少女。

 むちっとした太ももが揺れて、柔らかく張りのあるお尻がぱつんと弾ける。

 そんな彼女の魅惑のボディは紺色の布で覆われていた。


 スク水は股下までじゃなく太ももの半分まで包むパンツタイプ。けれど、それがまたエッチ。細い肩紐のおかげで大きく開いた首回りもセクシーだ。

 ショートボブの髪は後頭部でおだんごになってまとめられており、いつもより義妹の笑顔がはっきりと見えた。

 あと、えっちなうなじも。


 スク水に着替えるだけでこの破壊力。

 お風呂場に現れたビッグな天使に僕は絶句する。


 今すぐ、スマホで連射して彼女のかわいさとエッチさを永久保存したくてたまらない。ここが電子機器厳禁のお風呂場ということが実に悔やまれた。


「どう、似合ってるかなお兄ちゃん?」


「……に、似合ってる。とってもカワイイ」


「やだもう、お兄ちゃんったら! もっと言って!」


「かわいい。咲ちゃん、かわいい。ほんとに天使みたいだ」


「かわいくてエッチな妹でごめんね。興奮しちゃった?」


「いや、かわいいとエッチは別だから……」


 強がりです。

 めっちゃエッチです。

 写真集くれるなら言い値で買います。

 現金即払いします。


 浮かぶ思考に犯罪臭しかない。


 認めるとヤバイ義妹へのエッチな感情。

 僕は必死にそれに蓋をしようとした。


 けれどもそっちに気を取られ過ぎた。僕の入ったバスタブに、どこか冷めた視線を義妹が注いでいるのにちょっと気がつけなかった。


 ふぅんと、冷たい声が頭にかかる。

 見上げればどこか遠い目をした義妹。

 先ほどまでのはしゃぎっぷりがまるで嘘のよう。


 ようやく義妹の様子がちょっとおかしいことに僕は気がついた。


「……咲ちゃん。なんか怖いよ?」


「……お兄ちゃん、なんだかやけに冷静だね?」


 いっぱいいっぱいですけど?

 

 義妹の発言の真意が分からず頭を捻る僕。

 その股間でばしゃりと飛沫が舞う。咲ちゃんが足を降ろしたのだ。


 あっという間に浴槽に入り込んだ僕の義妹。

 背中――というよりお尻を向けて彼女はそこに立つ。僕の鼻の先に紺色のスク水がどアップで「こんにちは!」と迫ってくる。


 パンツタイプのスク水だけれど、この距離だとデザインはなんなの意味もない。

 布の下に浮かび上がる女の子の輪郭に、僕の心臓が猛然とヒートアップ。たちまち不気味なビートを大音量で刻みはじめた。


 なになになんなのこのてんかい。


「寒いから私もお風呂入るね」


「なにやってんのさ! ダメだよそんなの!」


「エッチじゃないから大丈夫でしょ。はい、どぼーん」


 その日――僕の股間に義妹のおしりが降ってきた。


 このやわらかさはいったいなに。

 伝わってくる温もりはどういうこと。

 鼻をくすぐるお団子からは強烈な彼女の匂いが香ってくる。

 汗とシャンプーが混じったそれは、すごくえっちな香り。


 うりうりと僕の股の上でお尻を揺らすとまた意地悪に妹が笑う。

 どこでこんなの覚えてくるんだろう。サキュバスっていうパーソナリティー以前に、ちょっと咲ちゃんの豊富な性知識が心配になった。


「さぁ、それじゃお兄ちゃん、よろしくお願いします」


「お願いしますって。咲ちゃんが前にいたらできないでしょ」


「大丈夫だよ。私のお尻、使っていいから」


「だから! ダメでしょ! 兄妹でそんなことしちゃ!」


「私、胸はないけれどお尻の形には自信あるんだ。柔らかさにも」


「ぐりぐりしないで!」


「ほーらほら。お兄ちゃんは妹のお尻にコスコスしたくなーる」


 座ったまま器用に咲ちゃんは僕の股間を虐めてきた。


 逃げるように顔を上げれば視線の高さに義妹の綺麗なうなじ。

 うっすらと汗ばんでいるだけの肌に、なんで心臓がさらに逸るのか。


 どこを向いても逃げ切れないエロス。

 上下左右にしかけられたエッチの気配。

 もう、観念して負けてしまってもいいだろうか。


 頭の上で激しく天使と悪魔が葛藤するのを感じながら、僕は最後の悪あがきにと咲ちゃんから逃げるように腰を引いた。


 そして妙なことに今更ながら気がついた。


「……あれ、これだけされてるのに勃起してない?」


「ほら、ほらほら! お兄ちゃんってば、こういうのが良いんでしょ! 私のこと好きになっちゃった? 妹に興奮してエッチな悪戯したくなっちゃった?」


 咲ちゃんのふにふにお尻に虐められている僕の息子が思った以上に優等生。

 たとえるならば、からかいギャルに対して「やめないか咲くん」と冷たく返す、堅物委員長みたいなムーブをしている。いや、堅物なのに硬くないとはこれいかに。


 興奮していない?


 なんでだ?


 自分で言うのもなんだが、異常でエッチなシチュエーション。バトルものなら喉元に刃を突きつけられてるくらいの状況だ。

 なのに、どうしてこうも僕の息子は頑ななのだろう。


 まるでどこかに性欲を置いてきたみたいだ――。


「あ」


 そこでようやく僕は自分がしたことを思い出した。

 ついでに、夜の淀川で優しく微笑む乙女の姿も。


 そういえばさおりさんに僕ってば搾○されていたんだ。


 なんかあまりにも一瞬の出来事だったのと、非現実的な出来事だったので忘れていたけれど。なるほど、そりゃちょっと反応が鈍くなるのも納得だ。


 いやけど、そんな一発抜いたくらいで勃たなくなるなんて――。


「……お兄ちゃん? さっきから全然、変わらないけど?」


「えっ⁉ な、なにが⁉」


「なにがってそれは……」


 あるんだなこれが。


 咲ちゃんの言葉がその証拠。

 僕の勘違いなんかじゃ決してない。


 確かに僕のそれは――男としての機能を失っていた。


 正直に言うと助かった。けど、ここまでエッチに迫ってくれた義妹に、なんの反応もしないっていうのも、それはそれで失礼な気がする。

 興奮したくない。けど、してあげたい。

 二律背反する欲求に、また僕の心と体がフリーズする。


 その隙を狙って、咲ちゃんはまた僕にエッチな攻撃を仕掛けてくる。


 立ち上がりくるりときびすを返せば、お湯で濡れた彼女の股下が見える。

 紺色の布地がさらに一段暗くなったそこを、彼女は僕の鼻先と視界に押しつけた。


 ちょっとこれは――反則じゃないか?


「……お兄ちゃん。いいんだよ、そんなに難しく考えなくて」


「むごっ、むごごっ。むごっ、むごぁーっ」


 口を塞がれて声も出せない。

 逃げようにも既に浴槽のきわ。

 背中の方向に逃げるスペースはない。


 壁と迫り来る義妹のスク水に僕は挟まれ脱出不能。

 もう劣情と彼女の温もりに潰されるのを待つだけだ。


 なのに勃たない。

 ウンともスンともしない。


 なんでなの。「なんでエレクチオンしないのよ!」と僕の男心が叫んだ。


「ほら。手を伸ばせば届く場所にお兄ちゃんのことを大好きな女の子がいるんだよ。貴方にならどんなことをされてもいいと思っている女の子が」


「もごごもっごもー! もっもーご!」


「少し勇気を出して、君は彼女の肌に触れるだけでいいの」


「もご、もごごもご、もごももっご、もっご」


「兄妹とかサキュバスとか、そういうのは今は忘れていいの。お兄ちゃんがしたいようにしていいんだよ。大丈夫、私はどんなお兄ちゃんでも大好きだから」


「もごっほほ! もっご! もごっご!」


「だからお願い。お兄ちゃん。貴方の気持ちを私に聞かせて……」


 勃たず興奮していないからだろう、咲ちゃんの慌てた様子がよく分かった。


 こんなにきわどく迫りながら、スク水からは塩素の匂い以外感じない。

 布を濡らすお湯の熱しかそこには感じられなかった。


 僕のことをとやかく言えないほど咲ちゃんは落ち着いている。


 咲ちゃん。

 君はどうして、こんな愛を試すようなことをするんだ。

 いったいなにをそんなに恐れているの。


 ぽたりぽたりと頭に何かがしたたった。

 シャワーではない。不規則に僕の髪を濡らすそれが、いったい何か分からないほど僕もバカじゃないし鈍感でもない。


 けれども、義妹の顔を見上げる勇気がどうして僕の中に湧いてこなかった。


「……お兄ちゃん。私のこと、好き?」


 咲ちゃんの身体が僕の鼻先から離れる。

 乳白色の光が白い内壁に跳ね返り浴室は眩しいくらいに明るい。

 ようやく僕が顔を上げれば、答えを求めるように咲ちゃんが僕を見ている。頭の後ろにまとめたおだんごはほどけ、彼女の表情を誰にも悟られないよう守っていた。いつも明るい義妹の顔がこの時だけは、このお風呂場の何よりも暗く冷たかった。


 その瞳からはぼろぼろと熱いシャワーがこぼれる。


 義妹の顔に驚いている間に全てが終わった。


 僕の言葉なんて必要なかった。

 そんなものより雄弁に、僕の身体の一部がその問いの答えを義妹に告げていた。


「やっぱり私は、貴方にとって『ただの可哀想な女の子』なんだね」


「……ちがうよ、咲ちゃん!」


 悲しい足音が僕の身体に響いた。

 涙だけを残して僕の大切な女の子はクリーム色の浴槽から飛び出す。

 脱衣所の扉を乱暴に引いて彼女は僕の前から姿を消した。


 逃げる義妹の背中を僕は追えなかった。


 これ以上、どうやっても彼女を傷つけてしまう気がして。

 どんなに言葉を尽くしても、もうこれは手遅れだ。


 そんな後悔がお湯と一緒に浴槽に揺れていた。


 こんなことにならないよう、咲ちゃんのパートナーになったくせに。

 情けなくって僕は頭を抑える。彼女の身体も心も救えない自分が情けなくって嫌になる。このまま浴槽で溺死してしまえとさえ思った。


 顔に残る咲ちゃんの感触も思い出せないほど暗い絶望が僕を包む。


 その日、僕と咲ちゃんが言葉を交わすことはもうなかった。

 そして翌朝も。


◇ ◇ ◇ ◇


 10月31日月曜日6時12分。


 僕は咲ちゃんと顔を会わさないように家を出ると、学校をサボった。

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