第7話 イッてるとこ見たことないや

「すまない。仕事上がりに河原で食事をするのが生きがいでね。なにせソープ嬢というのは体力勝負できついんだ」


 銀髪のサキュバスは土手に座ると袋の中から紙バケツを取り出した。


 バケツ一つにチキン10ピース。

 両脇にそれぞれセットして「いただきます」と呟けば、孤独なフードファイトがスタート。彼女はフライドチキンをバケツから抜いた。

 見事、それは二刀流。食いしん坊スタイル。


 目にも留まらぬ早さで彼女はチキンにかじりつく。その姿はビーバーが木を削るが如く。さくっと平らげれば、骨には肉片はもちろん軟骨さえなかった。

 余韻もなにもなく彼女は次のチキンを握る――。


「……けふぅ! 満足!」


「……ひぇ」


 完食までおおよそ五分。

 まるで大食い特番を早送りで見ているような気分だった。


 銀髪の彼女が満足そうにお腹をさすった。

 夕暮れ時の淀川。彼女が脚を組み替えれば純白のワンピースの裾が揺れる。

 河川敷に吹いた秋風にそれはふわりと膨らんだ。


 黙っていれば画になる美女。

 職業意識からかそれとも生来のものか、男の視線を吸い込む白い腕を彼女は空に向かって伸ばす。まだ薄い暗闇に浮かぶ月とそれは同じ色をしていた。


 彼女の名は「さおり」さん。

 とある風俗街でソープ嬢をしているサキュバスとのこと。

 年齢は不詳。


 そんな彼女とこうして一緒にいるのは他でもない。

 その色気に僕が魅せられてしまったから――ではなく、咲ちゃんとは別のサキュバスと話してみたかったのだ。


「……いや、浮気じゃない。これは断じて浮気とかじゃない。咲ちゃんのことを理解する為の勉強なんだ」


 強く自分に言い聞かせるのはさおりさんが魅力的だから。


 僕より頭半分小さい背丈。

 細いように見えてしっかりと肉がついたエッチな腕。

 風にそよげば煌めく銀髪。

 琥珀色の瞳。


 性格は「けちょんけちょんのぱぁ(意味不明)」だけど、ビジュアルが補って余りある。強烈なトランジスターグラマー(つまり合法ロリ)に僕は唸った。


 極めつけが、その胸のビッグバンおっぱい。

 僕の瞳のおっぱいスカウターでも計測不能。

 これは――実際に触って確かめるしかないぜ!(ごくり)


『浮気したら、ちん○もいじゃうんだからね、お兄ちゃん☆』


 暴走する僕の頭の中で義妹が怖いことを言う。

 妄想によるタマヒュンで僕はようやく我に返った。


 いけない。いけない。


「それで少年。話したいこととは何かね。袖触れあうも多生の縁というが、筆まで触れあった仲ではないか、遠慮するなよ」


「どうしよう、素直に甘えにくいセリフだ……」


 何から話そうかなんて考えるまでもなかった。

 僕は彼女に最近の悩み――サキュバスに関わって起きた出来事を語った。


 こんな受け答えをする人に込み入った話をして大丈夫かとは思ったが、話してみるとこれが案外すんなりと進んだ。赤の他人だからこそ話しやすかったのだと思う。


 初対面の僕の話を、さおりさん穏やかな顔で聞いてくれた。

 言動はともかく彼女はやさしいサキュバスだった。


「なるほど。君はサキュバスのパートナーをしているのか。だとしたら悪い事をしたな、せっかく溜めていたのに無理矢理奪ってしまって」


「あ、いえ。お気遣いなく」


「君が気にしなくても君のお相手が気にする。せっかく手に入れた自分専用の精○生搾りサーバーを盗み飲みされたのだからな。許せる話ではない」


「高校生にも配慮した発言をしてくれます?」


 ほんと言動は酷いけれど。


 僕が話し終えると、さおりさんは静かにその場に立ち上がる。

 尻に敷いていたワンピースが解放され髪と混じってふわりと広がった。


 夕日はもう薄く青い夜闇が空に広がる下で、微かな光を拾って銀色の房と白い衣が輝く。たったそれだけ。そんな姿をめにしただけなのに、美しいという感情に僕の全てが支配される。彼女のどこかおかしな言動など途端にどうでもよくなった。


 それは満月の下にたゆたう海のようだった――。


「サキュバスのパートナーになるのはそれは戸惑うだろう。ただ家族だから、恋人だからで務まるなら、こんな大事にはならないよ」


「そうなんですか?」


「パートナーの存在なくして一人前になったサキュバスはいない。サキュバスの一生を左右するものを笑うほど、私も寝ぼけてはいないさ」


 その言葉に少しだけ勇気が出た。

 湧いた勇気を胸に、僕はもう少し踏み込んだことを尋ねた。


「継母と先生が言っていました。『血の繋がらない異性に身を任せることができるのは幸せなことだ』って。それ本当なんですかね」


「そうだな。それは幼いサキュバスにとって真理ではある」


「どうしてです? 僕はそんなの、やっぱり間違っている気がします……」


 物悲しい視線が僕を射貫いた。

 思わずその冷たさに身体がすくむほど。


 踏み込みすぎた。


 さおりさんは笑顔を崩さない。

 けれども、そこには分かりやすい絶望も拒絶の気配もない。ただただ、どうあがいても踏み越えることが出来ない、男と女あるいは人間とサキュバスの壁があった。


 僕はその拒絶の壁に知らずに脚をかけたのだ。


「君の質問に論理的に答えることができるほど、私は賢いサキュバスではない」


 さおりさんはそう前置きした。


 彼女のような人でもそんな予防線を必要とする話なのだ。

 そう思うと身体を流れる血が凍りつく。膨張したそれに僕の心は無様に軋んだ。


「『サキュバスのはじめての男は実父で最後の男は愛した伴侶』。これは、この世にサキュバスという存在が産み落ちてから言われている格言だ」


「……え?」


「初潮を迎えたサキュバスは、まず彼女にとって最も身近な異性である父親を誘惑する。そして、それまで自分を育ててくれた家族をまず破壊するんだ」


「待ってください。そんなことって」


「精神的に成長したサキュバスはやがて自分の家庭を持つ。そして、自分の分身の娘をこの世に産み落とす。その娘に、自分の伴侶を奪われるのを知りながらね」


「……嘘なんでしょ?」


「格言でおとぎばなしさ。長く生きたサキュバスなら誰でも知っているね」


 銀色の海の中にぽっかりと浮かぶ二つの琥珀の月。

 僕をじっと見つめるそれは、悲しみを投げかけるだけでなにも答えをくれない。


 昨日今日、サキュバスに関わったような男には、到底到達することができない感情が、静かにその瞳の奥には揺れていた。


 謝ろうとする僕の肩をそっとさおりさんが抱いた。

 あやすように彼女はやさしく二の腕に触れる。たったそれだけのことなのに、僕の中に張り詰めていた感情は惨めな音を立てて崩れた。


 さおりさんの優しさに僕は縋った。

 サキュバスの胸を借りて、僕は情けない感情を吐き出した。


「君はきっといいお兄さんになるだろう。けれども覚えておきなさい。全ての物事が論理と正しさで解決できるなら、この世に不完全な性である男は必要ない。時に男の愚かさが、システムが取りこぼした何かをその手に掴むこともあるのだと」


「……もっと、高校生にも分かるように言ってくださいよ。わかりませんよ、そんな言い方じゃ」


「君はもっと自分に素直に生きてもいいってことだよ、少年」


 義妹といったいどうなりたいのか。

 さおりさんは最後に僕に尋ねた。


 その答えを僕は結局、彼女に打ち明けることはできなかった。


◇ ◇ ◇ ◇


「おっそーい! どこで寄り道してたの! お腹ぺこぺこなんですけど!」


「ごめん咲ちゃん。ちょっとお店が混んでて」


「……ウソでしょ? 本当のことを言いなさい、お兄ちゃん!」


「ほんとだって!」


 ウソです。


 河原で大人のサキュバスさんとお話ししてました。

 けど、言うと咲ちゃん絶対に怒るから、これは内緒にさせていただきます。


 時は進んで18時前。

 テレビから賑やかな音が響く我が家のリビング。


 さおりさんとの対話を終えて家に帰れば、時刻はすっかり夕飯時。

 寄り道について何も話していなかった僕は、咲ちゃんから「勝手にどこへ行っていたのか?」と、凄まじい追求を受けていた。


 独占欲が強すぎるよ僕の義妹ってば。


「心配したんだからね。急にバイトが入ったのかなとか、まさか事故に遭ったのかなとか、いろいろ考えたんだから」


「それは、ほんと申し訳ない」


「まっ、お兄ちゃんみたいに冴えない男の子なら、女の子にナンパされることはないから、そこは安心だけれどね」


 ぷりぷりと怒ると義妹は腕を組んでそっぽを向く。

 ツンデレかな? なかなか彼女も素直じゃない


 そんな咲ちゃんを前に、僕は自分の気持ちに素直になってみることにした。


「……咲ちゃん」


「ふぇ?」


 義妹との距離を僕は急に詰めた。

 彼女の柔らかいお腹に腕を回して、背中に僕の胸を押しつける。心臓の距離が近いおかげだろう、彼女の動揺はすぐに伝わってきた。


 ドキドキドキドキ、と――。


「お、お兄ちゃん⁉ なにするのよ⁉」


「ごめんね咲ちゃん。今度から、家に帰るのが遅れるときは必ず連絡するよ」


「……そ、そんな別に。私たちほら兄妹だし。今日は、たまたまご飯を頼んでいたから気になっただけで。別にいちいち報告なんてしなくても」


「して欲しいんじゃないの?」


 うぐっとうなり声。


 顔を上げれば、真っ赤な顔をして咲ちゃんが唇を噛みしめている。

 怒ったような驚いたような、困ったようなかわいい顔に思わず笑いが零れた。


 照れ隠しに咲ちゃんが腕を振り上げるが、それが僕に向かって振り下ろされることはない。潤んだ瞳が黙って僕に許しを請うていた。


「……お兄ちゃん、束縛するのとか嫌じゃない?」


「うーん、分からないってのが本音かな。僕ってば、女性経験がないから」


「私たちの関係ってセックスフレンドみたいなものじゃない? 兄妹だけど、同時に割り切った関係でもあるっていうか?」


「兄妹でセックスフレンドだから、恋人みたいなことするのはおかしい?」


「……そんなはっきり言わないでよ」


 またうなり声。

 いちいち可愛くってむずむずしてしまう。

 うちの義妹が「うーうー」可愛い件について。


 ASMR動画作って全世界に配信してやりたい気分だ。

 いや、いかん。これは独り占めしなくては。(錯乱)


 おふざけはともかく、僕は咲ちゃんのやりたいことに付き合うつもりだ。

 自分が彼女とどうなりたいかはさておき、どんな関係性になっても目の前の大切な義妹に世界一幸せになってもらいたいって願いは変わらない。


 だから、そんな僕の気持ちに素直に従うことにした。

 そしてそれを義妹にちゃんと伝えることにした。


 僕は義妹の顔に手を伸ばす。

 耳の横の黒髪を優しく避け頬に触れると下瞼に沿って掌を添えた。

 僕に触られて義妹がくすぐったそうに微笑む。


 うなり声はようやく止まった。


「咲ちゃんのしたいようにしてくれればいいよ。僕は、それに従うから」


「……それじゃ、なんだか私が面倒な女の子みたいじゃない」


「あれ、自覚なかったの?」


「それは本当にひどいよお兄ちゃん!」


 ぽかりと頭を打とうとした手を咄嗟に防ぐ。

 その余勢をかってひょいと僕は咲ちゃんの唇に触れた。


 驚きに咲ちゃんの顔が染まる。

 悪戯なキスを長々やるのはよろしくない。

 僕はすぐに唇を離した。


 義妹は触れられた箇所をその小さな指先でそっとなぞった。

 なんだかとても嬉しそうに。そしてとても愛おしげに。


「ひどいわ、お兄ちゃん。妹のことをなんだと思ってるの。サイテーなんだから」


「そんな笑顔で言われても説得力ないんだけれど」


「……やっと、お兄ちゃんからしてくれたね」


 嬉しいと義妹が言ったような気がした。

 それを確認する暇もなく、今度は悪戯じゃない本気のキスが僕を襲う。


 自分の感情を押しつけるような大人のキス。痛いのが気持ちいいような荒々しい口づけを、どうして止めることができない。僕と義妹は時間も忘れて想いを交わす。


 練り込まれた愛情は最後に透明の糸になって僕らの間を渡る。

 それが音もなく弾けて消えると、僕たちはようやく冷静に視線を交わした。


「……じゃあ、甘えちゃうね。これからお家に帰るのが遅れるときは連絡してね」


「分かった」


「あと、もっと家で一緒に過ごす時間を増やそう。休日もできれば一緒にいたい」


「バイトも減らしてもらうように相談してくるよ」


「ご飯は毎日一緒に食べるの。朝も、夕もね。お昼ご飯は、私がお弁当つくるからそれを食べて。買い食いしちゃダメだよ。おでぶさんなお兄ちゃんは嫌」


「分かった。今からお弁当が楽しみだよ」


 なかなかしたたかにつり上がっていく義妹の要求。

 この娘は将来大物になるんだろうなと、ハメられながらも感心してしまった。


 けれども不思議と嫌じゃない。

 彼女にがんじがらめにされることに、僕はちょっと喜びを感じていた。

 男の甲斐性みたいなものだろうか。あるいは、ちょっと僕はマゾなのかも。


 だから、ついつい余計なサービスをしてしまう。


「もういいの。他に、僕になにかして欲しいことはない?」


「……なんでもいいの?」


「いいよ」


「……怒ったりしない?」


「怒らないって。咲ちゃんのために、今の僕はなんでもしてあげたい気分なんだ」


「じゃぁ、精○出してる所を見せて!」


「……え?」


 そしてつけこまれる。(白目)


 なんか良い感じの雰囲気に突如として差し込まれた不穏なワード。

 ふふっとあくどく笑う咲ちゃん。

 冗談や失言ではない。


 彼女、本気だ。


 余裕たっぷりに咲ちゃんが首を振る。

 彼女の綺麗な黒髪が揺れれば、濃い彼女の香りが僕の鼻を満たす。まるで挑発するようなそんな仕草のあと、僕の義妹はしてやったりと悪い笑顔をしてみせた。


「お兄ちゃんのひとりエッチしてるところ、見てみたいな?」


 もう一度、妹はその望みをはっきりと言葉にした。

 より分かりやすく。よりハレンチに。


 自分で招いたことだが、ちょっとこの流れで断るのは無理そうだ。

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