第6話 ドチャシコサキュバスサディスティック
「忘れろ! 忘れろ! 忘れろビーム!」
「忘れられないでしょこんなの」
不意打ちの高濃度忘れろビーム(ハート型)をココアの缶で跳ね返す。
友達たちをお見送りして咲ちゃんの病室。王子さまキャラを解除してベッドに寝そべった義妹は、くすんと鼻を鳴らすと枕に顔を押しつけた。
そのままベッドの上でじたばたとバタ足運動。
季節外れの水泳の練習のようだ。
うぅん、不憫かわいい王子さまだこと。
「やだぁ、なんでこんなの見られちゃうの。恥ずかしいなぁ」
「咲ちゃんって、本当に王子さまだったんだ」
「そうだよ。最初はおふざけでやってたのにいつの間にかガチな感じになってね。やめたくても中高一貫だから、固まったイメージを覆す機会がなくて」
「……心中お察します」
ごめんねそれしか言えなくて。
すんすんと鼻を鳴らす咲ちゃん。
かわいい義妹アザラシの頭にそっと手をのせる。
健気に頑張る義妹を、僕はせいっぱい慰め、めいっぱい愛でた。
よしよし。
「けど、兄さん呼びちょっとよかったかも。またよかったら呼んでよ」
「からかわないでよ、兄さん!」
ひと悶着はあったけれども無事に解決。
これだけ立派に王子さまできるのだ、咲ちゃんの体調はもう心配ないだろう。むしろエネルギーを持て余しているまである。
女医さんと僕たち家族の心配は杞憂に終わった。
いじける義妹のかわいさを堪能したい所だが、面会時間のリミットがある。
「果物でも剥こうか。何が食べたい」
「メロン!」
そんな感じで気を持ち直す。
僕と咲ちゃんは、メロンを食べ、溜まったゴミ箱を片付け、明日の退院の手続き確認なんかをして、19時までの面会時間をせわしなく過ごした。
「お兄ちゃん。昨日は家に一人で寂しくなかった?」
「あぁ、蓮さんと父さんが家に泊まっていったから」
「えーっ! 私だけ仲間はずれ⁉ ひどいよ!」
「けど大変だったよ。いつから咲ちゃんとそういう関係だったのかとか。これからどうするのとか、根掘り葉掘りで」
じとりと咲ちゃんが湿っぽい視線を向けてくる。
顔はばっちり赤い。口を枕に押しつけて、ちょっと何か言いたげ。
うまくごまかしたよねってところかな。
そっと僕は咲ちゃんから顔を逸らした。
できればこんな騒ぎになっていませんよ。
ダメなお兄ちゃんを許して。
逃げた病室の窓辺からは暗い淀川が見える。
ススキの生い茂る川辺は、闇にすっかりと飲み込まれて見る影もない。ナイター営業しているゴルフ場の水銀灯がやけに眩しい夜だった。
時刻はそろそろ面会終了時刻。
「寒くなってきたね」
空気の入れ換えに開けた窓から秋の夜風が流れ混んでいる。
季節特有の寂しい匂いが病室の消毒液の匂いと混ざってなんとも言えない。
そしてそろそろ肌に冷たい。
僕はパイプ椅子から立ち上がると、ベッドの反対側に回って窓を閉めた。
そろそろ帰るよという何気ない合図。そんな意味に気がついたのだろう、咲ちゃんが甘えるように僕の腰にその腕を絡めた。
そのまま、僕はティディベアのようにベッドの義妹に抱き寄せられる。
「こら! 咲ちゃん!」
ベッドに腰を落とした僕。
そのうなじに義妹が鼻先を当てる。
泣き喚く代わりにすんすんと鼻を鳴らし、胸板を爪先で遠慮がちに肌を掻く。
素直じゃない拗ね方が可愛らしくて、僕はついつい手が出せなかった。
「……ねぇ、お兄ちゃん」
「なんだい?」
「……私のパートナーになったこと、後悔してない?」
猫みたいな義妹の様子を楽しんでいた僕は、脈絡のない話題にぎょっとした。
「どうしてそんなこと聞くのさ?」
反射的に僕は義妹にその質問の意味を問う。
自分の質問をスルーしたことを責めるように、咲ちゃんが僕のお腹に爪を突き立てる。肉に食い込む爪先の冷たさに僕は少し顔をしかめた。
けれど、そんなことより咲ちゃんの態度の方が気になる。
彼女は何でこんなことを聞くのだろう。
「……もし、嫌になったらいつだって言って良いんだからね? 巻き込んだのは私の方なんだから、お兄ちゃんは何も責任を感じなくていいのよ?」
質問はまた質問によって返された。
義妹はその本心を頑なに僕に隠そうとしていた。
沈黙が病室を支配する。
お互いの気持ちを試すやりとりの物悲しさに僕たちは浸った。
高校生。未成年。子供。恋愛弱者の立場にどこまでも甘えて、僕らは自分達の身に起こったすれ違いをただ嘆いた。
嘆くことしかできなかった――。
「……ところでお兄ちゃん」
「……なに、咲ちゃん?」
辛い沈黙を破ったのは義妹だ。
彼女は腕に添えた僕の手を取ると指を絡ませて掌の中をまさぐる。
ねだるような仕草の理由は単純に――。
「今日の分の『食事』だけれど。用意してくれた?」
「……あ」
今日の日課の催促だから。
沈黙を破るのにはちょっとコミカルが強い質問。
そして違う方向にセンシティブ。
がらっと変わった温度に「ヒュッ!」と僕の喉を冷たい吐息が抜けた。
そして、言われて僕がそれを忘れていることに思い出した。
「……ごめんなさい、ドタバタしてて」
「もーっ! 困るよ! パートナーなんでしょ!」
「……すみません」
青春を過ごすために特殊な『食事』を欲するサキュバス。そんな彼女を支えるために『パートナー』になったというのにさっそく大失態だ。
そして、なるほど。さっきの暗い雰囲気の正体が分かったぞ。
普通に『食事』の催促をされていただけだ。
直接は言いづらいよね。そりゃあんな回りくどい聞き方もするさ。
メロドラマみたいな感じでシリアスになって損してしまった。
「えっと、どうしよう。もう時間ないしな」
「じゃぁ、ここでしていく?」
「なにいってんのさ!」
「大丈夫よ。直に飲めばお布団も汚れないし道具も必要ないわ」
「心の準備が必要だよ!」
僕の失態を嬉々としてリカバーしようとする咲ちゃん。
あと少しという所まで迫っていた義妹の手を僕は慌てて振り払った。
油断も隙もあったもんじゃない。
ありがたいけれども勘弁して。いつ看護師さんが来るか分からないような場所で、そんなことする勇気はありません。
パートナーの前に僕は童貞で高校生なんだなぁ。
「もう、恥ずかしがらなくてもいいのに。私たちパートナーじゃない」
「そういうことじゃなくてね」
「心配しなくても、お兄ちゃんの全部受け止めてあげるよ。だから安心して?」
「じゃぁ、僕の純情をまず受け止めてくれよ」
結局、時間もする場所もないので、今回は咲ちゃんには我慢してもらった。
今後このようなことが二度とないよう善処いたしますと丁寧に詫びて。
とほほ。
猛省。
◇ ◇ ◇ ◇
翌日。
10月30日日曜日17時2分。
病院を無事退院した咲ちゃんは、二日ぶりに愛しい我が家に帰ってきた。
せっかくなので退院祝いに軽くパーティでも。
なにか食べたいものでもあるかと本日の主役に尋ねると、ソファーに寝転がった咲ちゃんが、リモコンを軽やかに振ってドヤ顔をした。
「ハロウィンだし、ケンタッキーくんがなにかキャンペーンしてると見た!」
そんなこんなで、やって来ました樟葉モール。
病み上がりの咲ちゃんを家に残して、僕は一人で駅前の複合商業施設を訪れた。
ふと、周りを見ると仮装した人たちが目につく。
フランケンシュタインにミイラ、猫娘にメイドさん、あと謎のアニメキャラ。
小さな地方都市だというのに、街はハロウィンの熱気に浮かれていた。
「そう言えば、咲ちゃんもサキュバスなんだよな……」
唐突に頭の中にエッチなコスプレイメージが浮かぶ。
ツイッター漫画でよく見るサキュバスの姿。
艶やかラバーのサキュバススーツ。
胸の谷間を強調したショート丈のキャミソール!
極限まで布を削ったローライズショーツ!
そして黒いストッキング!
腕と脚、両方が覆われているとなおGood!
もし、そんな状態に義妹がなってしまったら――。
『お兄ちゃん。今日はこの格好でいーっぱいご奉仕してあげるね。さぁ、妹の本当の姿をよくその目に焼き付けてね……』
いけない。
網膜がこんがり焼けてしまう。
コミカルなノリで、冗談にするにはキツい妄想を僕はしれっと流した。
カウンターから少し離れた場所で番号の呼び出し待ち。
手持ち無沙汰に景色を眺めると、通路の向こう側に三島杏美の広告が貼られているのに気がついた。
化粧品広告。ハロウィン仕様。
ちょっとエッチなファンタージ小悪魔ファッション。
サキュバススーツじゃないのでちょっと露出は控えめ。けど、ふわふわとした愛らしい衣服を着ている。小動物みたいな可愛さの路線だ。
ただ、胸は小動物じゃないけど。
なんか東京に行ってから急に成長したな。
亜麻色をしたワンレンの少女は、もうすっかり大人の色気まで纏っていた。
いっそ暴力的なそれに僕は少し胸焼けを覚える。
ほんと、なにがいいんだろうな。
「304番と305番でお待ちのお客様!」
「あ、はい」
呼ばれてカウンターに駆け寄った僕は、横から入って来た女性と肩が触れた。
お互いに咄嗟に身を引いたのでなんともなかったが、彼女が握りしめていた番号札がふわりと宙に舞い上がる。
304番。
ひらりひらりと舞うそれを、地面に落ちる前に僕はキャッチした。
安心したのも束の間、僕は番号札を渡そうとした相手の顔に目を疑った。
「……あれ? あの時の?」
「……うん? どこかで会ったかな?」
昨日、淀川の土手で見かけた美女だった。
宝石のような銀髪と透き通った白い肌をした彼女は、眠たげな視線をこちらに向けてぽりぽりとワンピースの裾を掻く。
美しさとズボラさが混ざり合って――ちょっと感想が出てこない。
ただ、やはりその姿には息をのむような魅力があった。
めちゃでかいボインもあった。
近くでみると凄い迫力だった。
E・F・G・H・何ボインだろう。(錯乱)
「えっと、304番さま。オリジナルチキン20ピースでよかったですか」
「うむ」
店員さんに304番さんが呼ばれる。
彼女が受け取ったのはビニール袋に入った紙バケツ×2だ。
美女と縁遠い暴力的なビジュアルの食べ物にスンと僕は固まった。
頭の中はもちろん大混乱だ。
連日、ケンタッキーをバレル食い? どういう胃袋? 飽きないの?
腹ぺこキャラってこと? 栄養が全部おっぱいにいく感じの人?
どういうこと! どういうこと? どういうこと⁉
「305番さま。お待たせいたしました。4ピースセットですね」
「……あ、はい!」
美女とチキンにすっかり気を取られていた僕は店員さんの声に我に返った。
一つ前の注文と比べると、現実的な内容の袋がカウンターに置かれている。
うん、これだけ食べても結構お腹いっぱいだよね。
ほんと、20ピースってどういうこと?
ついつい僕は、僕が頼んだ商品と先ほどのバレルを見比べてしまう。
すると――なぜか銀髪の女性と目が合った。
ジト目。モノ言いたげなその視線に心臓が心配になるほど歪に高鳴る。心配になって添えた掌を、容赦なく僕の胸の方がドラミングした。
「……お待たせしいたしましたって。まさかとは思うが、私の注文のせいか?」
「えっ、あ? どうなんでしょう?」
「……すまない少年、悪気はなかったんだ。三大欲求に逆らえない私を許してくれ」
「いやいやいや、別にそんな謝られることじゃないですよ」
常識的に考えて20ピースも頼んだらそりゃ在庫は枯渇する。
まぁ、僕が待たされたのは間違いなく彼女のせいだろう。
けど、気にしないでしょそんなこと。
ファストフードですよ。
紙バケツが入った袋を両手にぶら下げて銀髪の人が首をかしげる。うんうんとしばらく悩んで首を振っていた彼女は、何か思いついたのか急にハッとした顔をする。
持っていた袋を「ちょっと失礼」とカウンターに置くと、空いた右手を僕に向かって彼女はゆっくりと伸ばしてきた。
綺麗な手と腕だった。
丁寧に磨いた上にさらに白く染めたような肌は艶やか。
爪は宝石のように丁寧にカットされていてまばゆい輝きを放っている。
薄い産毛は髪と同じ銀色で、彼女が生来その髪色をしていることが分かった。
ずっと見ていたい魅惑の腕。
変なフェチズムに目覚めそうなそれを銀髪の美女は――。
「お礼と言ってはなんだが、溜まっているようだしすっきりさせてあげよう」
僕の股間にぴとりと添えた!
いったいなにがおこるんです?(真顔)
「ふむ。ちょっと溜めすぎじゃないか。適度に自分で処理した方がいいぞ。気にすることはない、女の生理と同じで男の吐精もまた自然の成り行きだ」
「……へ?」
本当に一瞬の出来事だった。
困惑している時間もなかった。
瞬きをする間にすべてが終わっていた。
前戯も、会話も、じらしも、いためつけも、そして【成果物】もなく――。
僕は射精していた。
股間に感じる残尿感。
けれどどこも汚れていないし匂いもない。
心はすっきり爽快感MAX。
ドライでクールでトレンディな賢者タイムが僕を強襲した。
やだ、こんな気持ち、僕、はじめて――。
「嘘でしょ? どうなってんの?」
「原理を説明するのは難しい。ただ、搾○も極めれば、ちょっと手をかざしただけで相手を絶頂させることができるようになる。中島敦の名人伝だ。達人というのは、時にイメージだけで物事を成し遂げてしまうものなのだよ」
「いや、意味がわかりませんて」
狼狽える僕に、銀色の髪の女性が優しく微笑む。
その瞳は怪しくピンクにきらめき、唇は「けぷぅ」と甘い吐息を漏らした。
なにもかも意味が分からない。
けど、一つだけ分かることがある。
ここ最近のトラブルから学習した。
性に関する予想外の出来事は『サキュバス絡み』だということを。
「もしかして。お姉さんって、サキュバスだったりします?」
「どこからどう見てもサキュバスだが? 分かりにくかったか?」
思った通り、目の前の女性は義妹と同じサキュバスだった――。
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