第5話 ちょっと空気を読んで出直すわ

 10月29日土曜日。15時39分。


 枚方市駅前にある僕のバイト先。

 ライブハウス『韜晦道中ヒザクリゲ』。


 今夜のライブイベントの設営作業をしていた僕は、たまたまステージでリハをしていた友人に、ここ最近の義妹との関係について相談した。

 そして、相談相手は選ぶべきだったと後悔した――。


「キモっ。なにが『君の力になるよ、咲ちゃん』だよ、バッカじゃねえ。発想も言動もイカ臭えんだよ、このクソ童貞が」


「……そこまで言うことないでしょ、しーぽん」


「言うぜ。オメーな、自分のやったこと冷静に考えろよ」


「冷静にって?」


「義妹の下着使ってセンズリこいて」


「……はい」


「それを義妹に見られてドン引きされた」


「…………はい」


「義妹がサキュバスだって事情につけ込んでうやむやにして」


「……その通りです」


「聖人面してザーメン毎日飲ませてるド変態」


「……もっと綺麗な言葉を使っていただけると助かります」


「オメーみたいな『くされレイプ魔近親相姦実刑確定野郎』が、どの口でパートナーとして君を守る(キリッ!)だよ。2ちゃんねるのネタスレでもまだもうちょっと読める話が書いてあるわ。はい、妄想乙!」


 練習用ドラムスティックが僕のお尻をしばきあげる。

 しーぽんこと志波羽衣は不機嫌そうに舌打ちした。


 銀色をしたパンクな姫カット。

 鼻の稜線にはそばかすとピアス。

 ダイナマイトを通り越したはちゃめちゃボディ(3割増し)。

 ギンガムチェックの赤いスカートに、猫の悪魔が笑うオーバーサイズのTシャツ。ベルトの多い革靴は実用重視。ドラムと一緒に床を蹴るのにうってつけだ。


 しーぽんは関西ではちょっと名前を知られたドラマーだ。

 そして、中学時代に僕がやっていたスリーピースバンドのメンバー。

 同い年。高校には行っておらず、色んなバンドやイベントの助っ人メンバーをして生活をしている。


 そんな同じ釜のメシを食った戦友を僕は頼ったのだが――普通に怒られた。

 そりゃそうだわ。女の子に相談することじゃない。


 演奏を止めてゆらりと立ち上がるしーぽん。

 白目を剥く僕にしーぽんがドラムスティックを向ける。


 次に言葉を間違えれば斬る。そんな無言の圧が膨らんだ先端には宿っている。


「ケンチン。女気のないアンタのために、アタシがはっきり言ってやる」


「うん」


「同意もなく自分に性欲向ける男を、女は絶対に好きにならねえ。男が思っている以上に女ってのはシビアだ。なんでもない日常で、一手間違えたら人生が滅茶苦茶にされる。その恐怖を理解できない男なんざ、恋愛対象になるわけねえ」


「その割にはしーぽんの彼氏ってやんちゃな子が多いよね」


 言うが早いかドラムスティックの顔面突き。

 僕のお鼻(右)の処女は、中学時代からの悪友女子によって散らされた。


 すっげー血が出る。

 やべぇ。


「アタシのは遊びだから良いんだよ。童貞が知った口を叩くな、ぶち○すぞ」


 汚れたドラムスティックを床にたたき付けると、しーぽんは僕に背中を向けていそいそとステージを降りた。


 不機嫌が足音ににじみ出ている。

 彼女の足癖の悪さは昔っから。感情がまず脚に出て、次に音に出る。


 今日もなにかあったのかもしれない。


「羽衣ちゃん、カリカリしてんね。今の彼氏とうまく行ってないのかな」


「そうかもですね」


 しーぽんと入れ替わりに僕に声をかけたのはライブハウスの店長。

 どういうセンスか分からないけれど、ギャルソンの衣装を仕事着にしている彼は、手に持った真新しい鼻セレブを僕に差し出す。


「恋多き乙女は大変だな。命短し、いとをかし、って奴だ」


「全然うまくないっすよ店長」


 とぼけたことを言う、中肉中背に野暮ったい茶髪のおっさん。

 やぼったい天パに特徴がないのが特徴な典型的モブ顔。


 一般通過ライブハウス店長。

 名を城端信彦。通称ノブさん。


 若干二十代のやり手店長(自称)にして元インディーズバンドのギターボーカル。

 僕のギターの師匠でもありバンド時代の後見人でもあった。


「そういう謙太も、なんか悩んでる感じだな」


「分かります。ノブさん」


「分かるさ。知っているか、俺だって10年前は高校二年生だったんだぜ?」


「あたりまえでしょ?」


 真面目なのかふざけているのかどっちなの。

 いまいちすっきりとしないフォローに心がもにょる。


 困惑して黙った僕を「そんなしょげるなよ」とノブさんがべしべしと叩いた。


「謙太。大いに悩め。悩むことは若者の特権だ。青春にも人生にも答えはない。けれど、立ち止まって迷えるのは青春だけだ」


「店長は20代なのにだいぶ立ち止まってません?」


「うん。だから言ってるんじゃないか。うだうだ言ってんじゃねえ。お前もバンドマンなら、この生ぬるい地獄をめいっぱい楽しめ」


「もう引退したんですけど?」


 重いんだか軽いんだか分からない助言だ。

 相変わらず慰められてるのか煽られてるのかわかんないや。


 止血を終えた僕からノブさんがティッシュ箱を回収する。「それじゃ倉庫の整理があるから」と、彼は自然かつさわやかに僕に背中を向けた。


 そんな彼に僕は「ちょっと」と声をかける。


「ノブさん。悪いんだけれど、今日と明日は早上がりさせてくれない?」


「……困るぜ謙太、シフト通りに働いてくれないと」


「ごめん。けど、できるだけ義妹と一緒にいてあげたくて。大変なことがあったから、心細いだろうなって」


 ノブさんは気の抜けたようなため息を吐いた。

 僕に背中を向けたまま、ぽりぽりとその襟足を掻く。


 面倒くさそうな素振りだが、基本ノブさんは人のお願いを断らない。

 ただし、二つ返事で認めたら格好つかない。唸って悩んだポーズをとると、「しかたないな」と呟いて、彼はしぶしぶの体を作って折れてくれた。


「義妹のためならしょうがねえな。よし、特別に許そう」


「あざっす」


「そのかわり、きびきび助っ人こなせよ。人生の基本は等価交換なのだ」


「分かってる」


「……しかしまぁ、お前がお兄ちゃんね。似合わないなぁ」


「なんでさ」


 顔だけ振り返ったノブさんが複雑な顔をする。


 師匠と言いつつ、やってたことは面倒見のいい近所の兄ちゃん。

 世話をしていた弟分の行く先が気になるのだろう。血も繋がってもいないし、法的な繋がりもないのに。


 彼の厚意は素直にありがたかった。


 申し訳ないくらいに。


「ジョーとやんちゃしてるのをずっと見てきてからな。悪たれボウズ共が、いつの間にか立派になっちまって。お兄ちゃんはちょっと嬉しいぞ」


「まぁ、ジョーと比べたら僕は落ちこぼれだけどね」


 バンド解散をまだ引きずってる不出来な弟子を傷つけないように、ノブさんはまた黙って後ろ襟を掻きむしった。


◇ ◇ ◇ ◇


 バイトが終わって夕暮れ時。

 ススキが生い茂り関西の自転車乗りで賑わう淀川沿いの自転車道路。

 そんな道路を僕はママチャリで走っていた。


 向かうは樟葉駅前にある義妹の入院している病院だ。

 当面の危機は回避したけれど万が一ということもある。大事をみて、咲ちゃんは週末を病院で過ごすことになった。


 さっぱりしているようで、実はさみしがり屋で内弁慶な所がある咲ちゃん。

 一人寂しく病室で過ごすのはさぞ退屈だろう。

 パートナーとして、僕はさっそく彼女のことが心配だった。


 だったら最初からバイトを休んでおけばいいのにね。

 いまいち気の利かないパートナーだよ。


 とほほ。

 

「……あれ? こんな所に人?」


 そんな慌てた帰り道で僕は気になるものを見かけた。


 樟葉駅の裏の辺り。府道13号が走る土手の中ほど。手入れされておらず伸び散らかした雑草が茂る斜面にその人は静かに佇んでいた。


 遠目にも分かる整った顔立ち。

 彫りの深いその顔はまるで精巧な人形のよう。

 夕日の中に輝く黄色い瞳がなんだか妙に男心をざわつかせる。


 着ている服は無地のワンピース。

 リボンの一つも結われていないシンプルなもの。


 なにより目を惹いたのは――夕日に鮮やかに染まる髪。秋風に静かに揺れる長髪は見事な銀色。信じられなくて何度か瞬きをしたが、色味が変わることはなかった。


 怪しく美しい女性が丹波高地に沈む夕日を眺めている。

 秋のどこか物悲しい風が吹けば、ワンピースの裾と長い髪がそよぐ。ふわぁと優しくそれが広がる光景は、なんだか映画のワンシーンでも見ているようだった。


「なんだろう。妙に寂しそうだけれど、どうかしたのかな?」


 要らぬお節介。

 そう頭で分かっているのに、どうして無性に心が引っ張られる。

 物憂げな美人の破壊力よ。


 幸いにも僕には咲ちゃんがいたので魅了されることはなかった。しかし、世の中には一目で心を奪うような美人がいると僕は思い知った。


 美女の傍らにはビニールの包。

 白いバケツのようなものが入っている。

 その中身がなんなのか尾を引かれながらも、僕は気持ちを切り替えた。

 あんまり人をじろじろみるもんじゃない。


 夕日にくれる自転車道路に僕は視線を戻す。

 樟葉駅まであと少し。夕日を浴びても黒々としたアスファルトの道路を眺めていると、急に胸に湧いた浮気心は少しずつ消えていった。


◇ ◇ ◇ ◇


 咲ちゃんの病室にたどり着いた僕は、扉の前の異様な光景に思わず頬をつねった。


 ずらり並んだ女の子達。

 病院だというのにアイドルの出待ちのように騒ぐ彼女達は、全員が見知った服を着ている。それは咲ちゃんの制服――お嬢様学校の制服に間違いなかった。


「咲さま! あぁ、なんておいたわしや! こんなお姿になられて!」


「なんということですの! 神さまは残酷ですわ! まるで大阪平野に咲いた白百合のような咲さまに、このような試練をお与えになるなんて!」


「私が咲さまの代わりにご病気になればよかったのに!」


「いいえ私が!」


「いえいえ、私でしてよ!」


 女子校にでも迷い込んだかな。

 あるいは、宝塚歌劇団の舞台袖。


 夢と現実を確かめるため、きつめに頬をつねれば――しっかりと痛かった。


 あっけにとられる僕の前でやいのやいのと小競り合いをはじめる女の子たち。

 肩を付き合い、腕を振り上げ、奇声を上げて、いつの間にやら大乱闘。

 なんとまぁ、お嬢さまなのに血の気が多い。


 流石は腐っても大阪ガールズだ。


 遠巻きに騒ぎを眺めていた看護婦さんや患者さん達が、いよいよ仲裁に入るべきだろうかと身構えはじめる。


 その時だ。

 病室の扉がスライドし、背の高いイケメンが廊下に姿を現わした。


 ただしイケメンの性別は女性。

 そして僕の知り合い。


「こらっ! 静かにしないか君たち!」


 甲高く美しい声が義妹の病室の前に響く。

 ちょっといつもより高いけれど、それは間違いなく僕の義妹の声。


 騒ぐ女の子の仲裁に出てきたのはやっぱり咲ちゃんだった。


「ここは病院なんだから暴れちゃダメじゃないか!」


「「「「はい、咲さま!!!!!」」」」


 咲さまとは?


 目をぱちくりとする僕の前で、義妹が女生徒を睨みつけて眉間を寄せる。

 いつもよりイケメン三割増し。病院着の胸元をエロティックにはだけている。僕が知っているお年頃の女の子な咲ちゃんは、そこに少しも感じられない。


 キザに目を伏せると、艶やかな黒いショートヘアーをさらりと手で梳く。

 さらに追い打ちの悲しげな流し目。


 こんなの見せられればドキッとしない女の子はいないだろう。

 男の子だってドキっとしちゃう。


「僕は大丈夫だから。みんな心配しないでおくれ」


「本当ですの?」


「本当さ」


「来週からまた学校に来てくださいますの?」


「ちゃんと行くよ。心配しないで」


「咲さま! 死んじゃいやぁっ! ヒンッ!」


「僕は死なないさ」


 なんだこの小芝居?

 宝塚っていうより吉本では?


 セリフはともかく立ち居振る舞いは見事なもの。

 女の子達の手を取って上から優しく微笑む姿は完璧に理想の王子さまだ。

 彼の言葉に、騒いでいた少女達は一斉に大人しくなった。


 学校で王子さま扱いされているとは聞いていたけれど、まさかここまでとは――。


 なんて、感心しているとイケメン力マシマシな顔が僕の方を向いた。


「兄さん! 来てくれたんだね!」


「兄さん!?!?!?」


 もう、なにがなんだかだ。

 戸惑う僕に咲ちゃんがそっと手を合せてウィンクする。続いて顔に浮かんだのは「どうか黙って耐えてくれ。自分にはどうにもできない」とでも言いたげな苦笑い。


「ごめんよ僕の可愛い君たち。家族が見舞いに来てくれたみたいだから、今日はここまでにしてもらっていいかな」


「「「「えぇ~~~!」」」」


 咲ちゃんの言葉に残念そうな顔をするクラスメイトたち。

 嘆きの感情は怒りに変わり、彼女達が振り返った先に向かう。一斉に僕の方を見た咲ちゃんの友達は、恨みのこもった暗い視線を容赦なく僕に浴びせかけてきた。


 目で殺す。そんな気概がビンビンだ。


 物騒ですからやめてもろて。


「咲さまのお兄さまにしてはヒョロいですわね」


「チビマメモヤシですわ。本当にお兄さまですの?」


「こんな性格悪くてヘタレっぽい方と兄妹だなんて、咲さまってばかわいそう」


「けど、逆にこれだけ男性っぽくないと、安心感はありますわね」

 

 やめて。

 女性不信になりそう。


 どんどん高まる女の子たちの殺気と湿度。

 一つ間違えばまた暴動が起きかねないその空気に、ここは一度出直そうかな――と、僕は本気で考えるのだった。


 お嬢さま学校の王子さまって、なんだか大変なんだな。

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