第4話 少女はサキュバスになって
「いやー、サキュバスの妹に毎日スペル○飲ませてあげるなんて。なかなか今時、そんな絶倫の高校生いませんよ。いいお兄さんですね」
「……イエ、ソンナコトナイデス」
女医さんがキリッとした顔で僕を褒める。
「ありがとう謙太くん。君が一ヶ月かけて、咲の身体にスペル○を馴染ませておいてくれたから軽傷で済んだわ。ほんと、素敵なお兄ちゃんね、尊敬しちゃう」
「……ハハ、ヤメテクダサイヨ。カゾクジャナイデスカ」
蓮さんが「このこの!」と僕を小突く。
「謙太。父さんは嬉しいよ。君が立派に育ってくれて。一つ屋根の下のサキュバスのために、スペル○を提供できる絶倫男子高校生になってくれて」
「ここってもしかしてディストピアな世界線です?」
そして父さん男泣き。
親に内緒で義妹に精○飲ませてたら褒められる世界とは?
人類が食糧扱いされてる漫画と同じベクトルのヤバさだこれ。
僕は頭を抱えた。
家族が見守る中で頭を抱えた。
そっと目を閉じ、耳を塞いだ。
世界は苦悩する若者に対していつだってきびちーのだ。(白目)
「妹さんは大丈夫ですよ。おつかれさまでした、お兄さん」
放心する僕に穏やかに微笑んだのは女医さんだ。
真っ赤なスーツの上から白衣を着た彼女は、網タイツのあしらわれたムチッとした脚を組み替える。金色のロングパーマがふわりと舞って薔薇の香りが病室に漂う。
サキュバス科というだけあって、どうやら彼女もサキュバスのようだった。
「無事に済んでよかったですね。義妹さんの初潮」
「なによりショックなのがこの騒動の真相」
「サキュバスの初潮って大変なんですよ。これくらいで済んだのは奇跡ですよ。私の時なんか、ご近所の男性を片っ端から……」
「知りたくなかったそんなサキュバストリビア」
10月28日金曜日21時03分。
とある大学付属病院の樟葉別院。
一階、診療部門サキュバス科。
僕はサキュバス女医さんから、妹の状態について説明を受けていた。
女医さんが言った通り、咲ちゃんが倒れた原因は病気ではなく生理現象。
僕の妹はこのたびめでたく初潮を迎えたのだ。
「サキュバスは人間の女の子より遅れて15歳前後に初潮が訪れるの。ただ、初潮の訪れと同時にサキュバスの力も格段に上がって、それで暴走しちゃう娘が多いのよ」
「暴走?」
「抑圧された性衝動が肉体の完成で一気に弾けるの。言ってる意味、君もお年頃だから分かるよね?」
「それは、まぁ」
「君のスペル○に欲情したのは初潮によるものだったんでしょうね」
さきゅばすむつかしい。
医学的に証明された、ここ数ヶ月の義妹との「いけない日々」の真相。
罪悪感と背徳感にしびれながらやっていた行為が、まさか咲ちゃんの身体に必要なことだったなんて。人体って奴は本当に不思議だ。
けど、なっとくできねー。
むりぃー。じゅんじょうがしぬー。
再び僕は頭を抱えて蹲った。
座っている丸椅子が「きぃ」と情けなく鳴く。
皮張りの座席は少し荒く、むき出しの金属フレームがズボン越しに僕のお尻を冷やした。その冷たさに、僕は声を殺し涙を枯らして泣いた。
「えっと、こちらのお兄さんは咲さんのパートナーでよろしいんですよね?」
僕から視線を外した女医さんが父さんに尋ねる。
「えぇ、そうです。親の僕たちはそれで納得しています」
すると、父さんがよく分からないことを言った。
「将来的には二人に籍を入れて貰えればいいなと考えています。ただ、こればかりは親の希望なので、当人達の相性次第だと思っていますが」
続いて、継母の蓮さんも。
パートナーってなに?
将来的に籍を入れるって?
親の希望?
さっきからやけに冷静だけれど、二人はこのことを知っていたの?
僕と咲ちゃんが、兄妹なのに「いけない日々」を過ごしていたのを、なんでそんなに冷静に受け止められるんだよ。
もしかして、二人はそれを織り込み済みだったの?
「どういうことだよ? ちゃんと説明してくれよ――父さん、蓮さん」
「……すまん、謙太」
「ごめんなさい。謙太くん」
そう言ったきり、二人は黙り込んだ。
何も言ってくれない親への苛立ちを胸に僕は静かに顔を上げた。すると正面に座っている女医さんと目があう。「ちょっと彼と外でお話してきます」と、彼女は両親に断ると僕を病室の外へと連れ出した。
深夜の病院待合室には機械の駆動音だけが静かに響いている。
「お父さんもお母さんも、何も説明してくれなかったのね」
「いきなり、意味が分かんないですよ。こんなの」
冷たい天井照明の下、えんじ色のソファーに僕が腰掛けると、少し距離を置いて隣に女医さんが座った。
混乱する僕を気遣ってくれるのは彼女だけだった。
「大丈夫よ。君みたいな男の子はけっこう居るの。パートナーのケアも含めて、これは私たちの仕事よ」
僕はサキュバスたちの真実を女医さんから教わった。
初潮を契機に、サキュバスは精液を定期的に接種しなくてはならなくなること。
そして、婚前のサキュバスが日常的に精液を提供して貰う男性を、サキュバスとそれに関連する医療従事者は『パートナー』と呼ぶことを。
幼いサキュバスは、自力で『サキュバスに必要なもの』を集めることができない。枯渇による性衝動の昂ぶりはとても激しく、大人ならともかく思春期の少女には処理できない。暴走すれば今回のような悲劇を生み、自分も他人も深く傷つける。
自由意志での恋愛が難しい年頃の彼女たちにとって、『パートナー』は生きる上で必要不可欠な存在であり支援だった。
しかしサキュバスのことを理解し、彼らに何があっても寄り添える男性は少ない。
肉体関係や恋愛感情以上の絆が、サキュバスと『パートナー』には必要だった。
つまりはそういうこと。
「サキュバスのパートナーはね、そのサキュバスの家族が担うことが多いの。実の兄や弟、時には実父なんかがね」
「……そんな! けど、それじゃあんまり!」
「どうして。『精液』を理由に、誰とも知らない男に、身体も心も青春も食い尽くされるより、よっぽどマシだと思わない?」
サキュバスに必要なのは恋人でもセフレでもない。
当人達の意思でも崩しがたい強固な関係性を持つ相手。
肉親。
血を分けた家族。
あるいは法的に生計を共にするものたち――義理の家族だった。
父さんと蓮さんの結婚は彼らが幸せになるためじゃない。
一人の幼いサキュバスを救うために行われていた。
◇ ◇ ◇ ◇
病院に運ばれてから一時間後。
僕は咲ちゃんが寝ている病室を訪れていた。
母親の蓮さんでもなく父さんでもなく、彼女に今回の一件を説明するためだ。
咲ちゃんのパートナーとして、これは僕が伝えるべき内容だった。
5階。少し広めの一人部屋。
月光を浴びて輝くリノリウムの床。物々しい機械が傍に置かれたベッド。ラックに載った小型の液晶テレビ。単身用の背の低い冷蔵庫。
そんな部屋の真ん中――。
白いベッドの上で咲ちゃんは半身を起こしている。
ぼんやりとした顔で彼女は窓から夜空の月を見上げていた。
「……咲ちゃん」
「……お兄ちゃん?」
僕の声に義妹が振り返る。
視線が合えば、みるみるとその瞳に輝きが戻り頬が紅潮する。
放っておくとすぐにでもベッドから飛び出してきそうだ。
女医さんからは絶対安静と言われている。
それくらい初潮直後のサキュバスは不安定なのだ。
僕はすぐに義妹の隣に移動すると、壁に立てかけてあったパイプ椅子を手に取った。義妹から期待の視線を浴びせかけられながら、僕は椅子をベッドの横に置く。
座ればすぐ正面に義妹のあったかい笑顔が待っていた。
「来てくれたんだ」
「当たり前だよ」
「ごめんね。心配かけちゃって。私、なんか変な病気みたい」
えへへと悲しく笑う咲ちゃん。
白い掛け布団の上に放り出された手を僕はそっと握りしめる。
病院に運び込まれる前、脱衣室で触れた時と違って、その表面には咲ちゃんの温もりが戻っている。
それが嬉しくて、ちょっとせつない。
同時に、これから説明することを思って少し憂鬱な気分になった。
「咲ちゃん、落ち着いて聞いて欲しい」
「うん」
「君が倒れたのは病気のせいなんかじゃないんだ……」
僕は咲ちゃんに、彼女の身に起こったことの真相を伝えた。
説明したことはそう多くはない。
ほとんどが僕が女医さんから説明を受けたことと同じだった。
「なにそれ、怖い……」
話を聞き終えた咲ちゃんが、僕の手をきつく握ってそうこぼした。
女の子として当然の感想だと思う。
馬鹿げているこんな話。
けど、これは紛れもない事実なのだ。
平静を装って、僕は義妹の手の甲をやさしく撫でる。
ほんの少しだけだが、彼女の中の恐怖が薄くなったような気がした。
「大丈夫だよ、咲ちゃん。僕が君の事をちゃんと守から。お兄ちゃんとして、君が立派なサキュバスになれるまで見守るから」
「……お兄ちゃん」
「やっぱり兄妹でこういう関係は怖い?」
「うぅん。けど、お兄ちゃんは嫌じゃないの?」
「嫌じゃないよ。大切な義妹のためなら、こんなこと僕は全然平気さ」
「……バカ」
「それに、サキュバスが自分の娘と年齢の近い連れ子がいる男性と再婚するのは、よくある話なんだって。だから気にしなくって大丈夫だよ」
蓮さんと女医さんは口を揃えて「血の繋がらない異性に信頼して自分を任せられる。それはとても幸せなことなのよ」と、僕に諭すように言った。
それを咲ちゃんにまで信じて貰う必要はない。
幸せかどうかは、彼女がこれから判断することだ。
それで話は終わりだった。
僕が知っているサキュバスの事情は全て話した。
咲ちゃんの考えがまとまるのを、僕は彼女の手を握って待った。
唐突に突きつけられたサキュバスの営みに、当の本人の咲ちゃんもおおいに混乱している様子だった。けれど、最後には何か納得したように頷いて、いつもの明るい笑顔を僕に向けてくれた。
その笑顔に僕は卑怯な確認をする。
「咲ちゃん。僕がパートナーで問題ないかな?」
「うん。問題ないよお兄ちゃん。こんなことになっちゃってごめんね」
手を引いて咲ちゃんは自分のベッドに僕を上げた。
パイプ椅子から尻を浮かせると僕は咲ちゃんに覆い被さる。
病院服にくるまった彼女の鎖骨を僕の鼻先がこつりと突く。
消毒液の匂いに混じって義妹の匂いが感じられた。
咲ちゃんが僕の背中を臆病な手つきでなぞる。
微かに震えながらも、彼女は力強く僕の身体を抱きしめた。
どこにもいかないでくれと懇願するような、まるで幼い子供がティディベアを抱くような、健気で振りほどきがたい力がそこには籠もっていた。
「難しく考えなくて良いよ、お兄ちゃん。私はお兄ちゃんのことが好き、お兄ちゃんも私のことが好き。ただ私たちが、兄妹として出会っただけのことでしょ?」
僕は咲ちゃんの顔を見上げる。
これまで見たどれよりも近く鮮明な咲ちゃんの顔。瞳の中に夜空の星まで数えることができそうだと、バカみたいなことをつい考えてしまった。
ほんのりと目の下が赤く色づく。悪戯っぽく咲ちゃんが僕のおでこにその鼻を擦りつける。不器用でどこか子供っぽい甘え方が、張り付いた心を優しく溶かした。
くしゃりと彼女の手が僕の後ろ襟を甘く掻く。
それが合図だった。
僕の瞳を覗き込んで迫る咲ちゃん。目を離さないでという無言の圧に絡め取られて身動きを封じ込められた僕に、義妹はおそるおそる近づいた。
兄として止めるべきだと思った。
けれど止められなかった。
誰もいない病室で、僕たち兄妹は甘くなめらかな秘密を交わした――。
「ねぇ、お兄ちゃん。私のこと、好き?」
「……好きだよ」
「妹として? 女の子として? それとも――身体を任せるパートナーとして?」
キスを追えた義妹が息継ぎをするように僕に尋ねる。
その難しい質問への答えを、僕は導き出すことができなかった。
そんな情けないお兄ちゃんを、義妹は「ぷっ!」とコミカルに笑った。
それから、なんだか寸前の行為が恥ずかしくなるくらい明るい調子で、彼女はうんと手を天井に向かって伸ばした。
「やったー! お兄ちゃんと親公認でラブラブ同棲生活だ! お家に帰ったら、これからいっぱいいちゃいちゃしようね!」
「ちょっ……咲ちゃん、ここ病院だから!」
「うれしいものはうれしいんだもの仕方ないじゃない。なにしよっかな、なにしてもらおっかな。これからよろしくねお兄ちゃん。ううん――未来の旦那さま!」
「変なこと言わないで」
「あれ? パパの方がしっかり来る感じ?」
「さらにヤバさが増したよ!」
深刻に悩んだくせに拍子抜け。
毎度のことながら、咲ちゃんの底抜けの明るさに僕はまた助けられるのだった。
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