第3話 こんな時どんな顔すればいいか教えてほしい

 お風呂に入り直して温まること10分ちょっと。

 ほくほく状態でお湯から上がった僕は、バスタオルで身体を拭うと灰色のスウェットに袖を通す。メガネをかければ身体のほてりにレンズが少しくもった。


 いいお湯でございました。

 牛乳でも飲んでリラックスしたい所だけれどそうもいかない。


 僕は急いで脱衣所の扉の前に向かうと、ドアノブの少し上――つまみ式の鍵を回した。すると、待っていましたとばかりに扉が勝手に開く。

 暗い廊下で仁王立ちの義妹がお出迎え。


「おそーい! お風呂はお兄ちゃんだけのモノじゃないんだからね!」


「いつもはそんなこと言わないじゃん」


「九時から見たいドラマがあるの! それくらい義妹の顔を見て察してよね!」


 けど、怒りの内容は『理不尽オブ理不尽』。


 そんな理由で怒られることってあります?


 ぷりぷりと怒って咲ちゃんが僕の横を通り抜ける。

 磨りガラスのハマった浴室の扉の前に立った彼女は、「ほらほら早く出て行った」と僕に向かって手を振った。


 同居をはじめた日、借りてきた猫みたいだった女の子はもういない。

 咲ちゃんってば――超内弁慶なのよね。


 しょぼくれて肩を落とした僕。

 とぼとぼと義妹に背中を向けて廊下に出る。

 お兄ちゃんとは、大好きな妹に奴隷のように使われる宿命なのだ。


「ちょっと待って、お兄ちゃん」


 なんて哀愁感じている背中を咲ちゃんが呼び止めた。

 振り返った彼女の手には、僕の用意した――『食事』だ。


「……今日もありがとね」


「いいよ。こんなので咲ちゃんが元気になれるなら、いくらでも頑張るよ」


「えへへ。健康を損ねない程度でお願いね」


 いつの間に着替えたのか義妹は空色の甚平姿。

 和風サキュバスナチュラルスタイル。


 子供っぽい照れ顔をタッパーで隠すと、「それだけだから! ほらほら、着替えるから出て行って!」と、彼女は僕を追い出すのだった。


 ツンデレかな?


 心も体もほっこりとして僕は脱衣所を後にした。


 リビングに入った僕はソファーに行く前にちょっと寄り道。

 冷蔵庫に立ち寄って麦茶と水ようかんをゲットした。移動しながら水ようかんの蓋を開けると、リビング中央のソファーにぽすりと腰掛ける。

 咲ちゃんの温もりと香りが少しだけそこには残っていた。


 時刻は8時12分。着けっぱなしのテレビ番組調べ。


 流れているのはニュース番組。とある芸能事務所の社長が、元所属タレントに刺殺されたという、なんともショッキングな内容が流れていた。

 まぁ、見るからに恨みを買ってそうな奴だったからな。驚きはそんなにない。


 コメンテーターたちのトークは、事件そのものより事務所の今後の身の振りように向いていた。今をときめく若手タレントが所属する事務所は、今回の事件で解散まったなし。彼らの今後がどうなるかを彼らはしきりに気にしていた。


 せっかく気持ちよくリフレッシュしたのに陰鬱な気分になる。

 僕はテレビのリモコンを握りしめると番組表を表示した。


「そういえば。今日はサキュバス・フライデーナイトの日か」


 頭を過ったのは、とある金曜夜のドキュメンタリー番組。

 エンタメ性よりも公共性を重視する放送局が制作したその番組は、毎週金曜日の深夜に僕たち人類の近くて遠い隣人『サキュバス』を根掘り葉掘り取材するものだ。


 知っているようで意外に知らないサキュバス。

 咲ちゃんに『食事』を提供する意味も僕はよく分かっていない。苦しそうな義妹が放っておけなくて、成り行きでやっているだけだ。

 もっと僕はサキュバスについて知るべきなのだ。


 義妹のためにも僕は「サキュバス・フライデーナイト」を見なくては――。


 いや、嘘。

 本当はただ僕が見たいだけです。


 サキュバスのお姉さんの赤裸な私生活話ですよ!

 興味がないほうがおかしいですよ健全な男子高校生として!


「お菓子屋さんでパティシエとして働くサキュバス。性欲発散の秘密は、どんなことでもやってくれるスーパーダーリン」


 うぅん、この番組概要からして攻めてる感じ。

 見たいけれども、やっぱり高校生男子にはちょっと早いかも。


 咲ちゃんにバレたら軽蔑されそう。


 録画ボタンを押しかけていた指を、僕はしぶしぶリモコンから離した。


 ふと、番組表に予約のマークが入っていることに僕は気がつく。

 脱衣所で入れ替わる時に咲ちゃんが言っていた見たいドラマだろう。今をときめく人気アイドル『あずみん』初主演のドラマと概要には書いてあった。


「よっぽど好きなんだな、咲ちゃんってば……」


 たしか咲ちゃんと彼女は同い年。

 時代を象徴するトップアイドルということもあって気になるのだろう。


 けど、いまいちよさがわからない――。


 なんて思っていると急にリビング入り口の電話が鳴った。

 リモコンと水ようかんをテーブルに置いて、僕はあわててそれを取りに走る。


 すると電話をかけてきた人物は思いもよらない人だった。


「はい、もしもし遠原です」


『あら、謙太くん? 蓮です、元気にしているかしら?』


 咲ちゃんのお母さんにして僕の継母の蓮さんだ。


『ごめんなさい。咲と話をしようとしていたんだけれど、あの娘ったら出なくって。それでこっちに電話をかけたの』


「あぁ、なるほど」


『咲、そっちに居るわよね?』


「えぇ。けど、すみません。今はお風呂に入ってます」


『あら、そうなの。困ったわね』

 

 そう言って僕の継母は急に黙り込んだ。


 蓮さんと話したのはこれを含めて数回。

 面と向かって話したのは、顔合わせと引っ越してすぐの挨拶の時だけだ。


 見た目通りのビジネスウーマンの彼女は、仕事で世界中を飛び回っており、家どころか大阪にも日本にもそんなにいない。

 家族としての交流がうまくいかないのは仕方なかった。


 ただ、もうちょっと義理の息子を頼って欲しいかな。


『悪いけれど、出たらすぐ連絡してくれるように言っておいてくれるかしら』


「そんなに大事な話なんですか?」


『えぇ、まぁ。明日でも別に構わないんだけれど……』


「何かあるなら話してくださいよ。僕ら、家族じゃないですか」


『……あら、そう?』


「咲ちゃんは、もう僕の義妹なんですから。彼女にとって大事なことなら、僕にとっても大事なことです。話してくださいよ力になれるかもしれません」


 まぁ、『食事』だからと自分に言い訳して、義妹に毎晩『あんなもの』を飲ませている悪いお兄ちゃんが、どの口でってのは置いておいてもろて。

 ちょっと自己嫌悪。


 けど、咲ちゃんを助けたい気持ちは本物だ。

 純粋な義妹への気持ちをこめて僕は蓮さんに協力を申し出た。


『そうね。家族だものね。じゃあ、お願いしようかしら』


「なんなりと」


 僕の言葉に安心したような息づかいが聞こえてくる。

 継母は妙にあらたまった感じで咳払いをすると、そのお願いを口にした。


 家族にもちょっと頼みづらい『サキュバス故のお願い』を。


『悪いんだけれど――咲に謙太くんのスペル○を飲ませてあげてくれない?』


「なんですって?」


『原液のままだと濃いから、まずは水で10倍に薄めてちょうだい』


「おさけみたいにいう」


 なんて言ったこの母親。

 実の娘に精○飲ませろとかふざけたこと言わなかったか。


 聞き間違いだよな。僕の聞き間違いだ。

 そんな終わったこと、女親が言うはずない。


 予想もしなかったショッキングなお願いに頭の中が真っ白になる僕。

 その耳元で蓮さんが「あらら?」と不思議そうな声を漏らした。


『あれ、咲がサキュバスだって聞いてないの?』


「えっ、いや、それは、その……」


『宗平さんにも咲の事情は話してあるんだけど。伝わってなかったのかしら。困るわねぇ、せっかくこのために結婚したのに』


「ちょっとまってください、いみがよくわからないんですが?」


『事情を知らないんじゃセックスはもちろんオーラルもまだよね。うぅん、さっさと済ましておいてくれたほうが親としては助かったな』


「まぁ、ちかいことはやっていますけど」


『あれ? もしかして謙太くん、もう咲とヤッちゃったの?』


「NO! それについては断じてNO! 僕たちは清純! 一つ屋根の下、二つお布団と枕! ドントタッチミー、イフユーキャンを貫いております!」


『やだー、照れなくてもいいのにー』


 照れてないです。

 そしてヤッてないです。


 実の娘と義理の息子に、なーにふざけた期待をしているんだ。

 連れ子達がそういうことしないと思ったから、アンタ達も安心して結婚したんじゃありませんの。普通そうでしょ親の心配って。


 まぁ、なには飲ませていますけれども。(白目)


 義母からの謎かつ卑猥すぎる質問に頭がくらくらする。いったい僕は何の罰ゲームをうけているんだろう。握りしめた受話器を床にたたき付けたくなった。

 そんな僕の混乱に呼応するように――。


 ガタン! ガタタ! バタン!


 遠くから慌ただしい物音が聞こえた。


『あら、なんの音? 咲がお風呂から出たのかしら?』


 新築分譲住宅。

 そこそこ防音設計のしっかりした家。

 そもそも高層ビルの上層階。


 外から音はまず入って来ない。音源はまちがいなく家の中だ。


 そして、この家に居るのは僕と咲ちゃんだけ。


 音の出所なんて一つしかない。


「……咲ちゃん?」


『どうしたの謙太くん?』


 コードレスタイプの受話器を握りしめたまま僕は廊下に出た。そのまま、ついさっき来た道をとって返して風呂場の脱衣所へ。

 幸いにも脱衣所の鍵が開いていた。


 扉を引けば――そこに広がっていたショッキングな光景に僕は息をのむ。


 濡れたバスマットに横向きに倒れる義妹。

 もちろん全裸だが、そんなこと気にしている状況じゃない。

 しなやかな脚を弱々しく折り曲げたまま、咲ちゃんはピクリとも動かない。


 顔は蒼白。さきほど、僕に見せた照れ顔の赤さはもう見当たらない。身体は小刻みに震えており、ひゅーひゅーと甲高い呼吸音が聞こえてくる。


 息はある。

 けれど意識がない。


「咲ちゃん! どうしたの、しっかりして!」


 慌てて近寄れば、ぬるりと冷たいものが僕の膝を濡らした。


「……血?」


 床にべったりと広がっているのは赤い鮮血。

 咲ちゃんのお尻からおびただしい血が流れ出ている。

 外傷なんてどこにもないのに。


 いったいこれはどういうことだ。


 何がいったい咲ちゃんの身に起こっているんだ――。


「咲ちゃん! 咲ちゃん咲ちゃん! しっかりしてくれ!」


『落ち着いて謙太くん! 何があったの⁉』


「咲ちゃんが脱衣所で倒れてて。血が、血がドバーって出てて、意識が……」


『すぐに救急車を呼んで! 宗平さんにも連絡して、私もすぐに駆けつけるから!』


 そうは言うけれど、あまりにショッキングな光景に身体が動かない。

 その場にへたり込んだ僕。そんな僕の状態を気配から察したのだろう、受話器の向こうで蓮さんが息をのむのが分かった。


『いいわこっちで連絡するから! 謙太くんも、気をしっかり持つの!』


「蓮さん、これ、いったいどういう? 何が咲ちゃんに起こってるんです?」


『考えてもパニックになるだけよ! 今は、貴方にできることをして! 咲のパートナーとして、手でも握ってあげててちょうだい!』


 投げ出された咲ちゃんの腕が見える。

 何かに縋るようなその手に僕は吸い寄せられる。膝を脱衣所の床に擦りつけて近づいた僕は、意識のない義妹の手を握りしめた。


 お風呂に入る前だったのだろう、小さなその手は悲しいほど冷たい。

 怖いくらいに涙が溢れた。


 ふと、どうしようもない考えが僕の頭を過る。


 これはサキュバスだからと義妹に対していけないことをした僕への罰ではないか。

 本当は望まれても、義妹に『食事』なんて与えてはいけなかったんだ。


 義妹の顔の横に転がる緑色のタッパー。

 既に使った後なのだろう、その中身は空っぽだった。


 しばらくして家に駆けつけた救急隊員。

 担架に義妹を乗せながら「何があったのか?」と尋ねてきた彼らに、僕は咲ちゃんが倒れる前にしたであろうことをありのまま話した。

 自分が義妹にしてきた鬼畜の所業を。


 そうすることで僕は誰かに裁かれたかったのかもしれない。


 エレベーターで一階まで降りると救急車が停車していた。マンションの住人や地域住民が集まる中、毛布を被せられた咲ちゃんが車の中に担ぎ込まれる。


 ぴくりともしない妹。投げ出されたままの小さな手。

 救急隊員に促されるまま彼女の隣に座った僕。


 歪な兄妹を乗せて、夜の樟葉を救急車が走り出した――。

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