#2 山の宿

 すぐに持ってくるといった言葉どおり、女はものの五分も経たないうちに、盆の上に急須と湯呑み、茶筒を載せて部屋に現れた。いそいそと茶の準備をする様子がいかにも嬉しそうだった。


 わたしがそのことを尋ねると――


「久しぶりのお客さまですから」


と言ってはにかんだ。笑うといっそう若々しく見える女だった。


「お客さまはハイキングで来られたそうですが、どうしてこちらへ?」

「あ……いやそれは……」


 じつをいえば、どこだってよかったのだ。静かで一目につかないところなら。わたしは消えてなくなることなど、だれにも知られなくていい。


「星を見に来られたんでしょう」

「え?」

「きっとそうです。この辺りは、夜、星がきれいに見えることで有名なんですよ。インターネットニュースでも紹介されたことがあります」

「そうなんですか……」


 もちろん、わたしには初耳だし、いまさら星のことなどどうでもいい。


「ほら、お客様の手。見せてください」

「?」


 女は、お茶を淹れた湯呑みを差し出しながらそばに寄ってくると、ひびだらけで固くなったわたしの手を握った。


「やっぱりだ。お客様は星に縁のある方なんでしょう?」


 女の手は。白くて細くて柔らかくて、温かかった。びっくりしているわたしに気づいたのか、気づかないのか。女はわたしの手をするりと撫でると、さっと身体を離した。そして。座卓の上の小冊子を指すと、部屋を出ていった。


「お食事を用意しますので、しばらくお待ちください」


 いったい、なんなのだ彼女は。いきなり手を握ったりして。どっどと動悸が止まらない。星? 星がなんだっていうんだ。わたしと関係ないじゃないか。


 気分を落ちつけようと、女が指さした座卓の上の冊子を見た。


『ひかりのくに』


 それは絵本のようだ。わたしは冊子を手にとると頁をめくった。さいしょの頁はまっくろだった――。


☆☆☆


 男の星はまっくらだった。

 昼も夜も、いつもまっくらなので、人と人とがであっても、お互いの顔がわからないくらいだ。


 外を歩くと人や物にぶつかったり、動物を踏みつけたり、逆に噛みつかれたりするので、人々は家にこもって外へでかけることをしない。いっさい灯りのないこの星で外に出かけられるのは、じぶんからひかり輝いて周囲を照らし出すことができる人だけだ。


 手のひかる人、足のひかる人、額のひかる人。ひかる箇所はさまざまあっても、ひかることのできるは、ほんのひとにぎり。暗闇を照らす光人のもとには、人が集まる。みんなじぶんの周りだけは、明るく照らしてほしいと考えるからだ。


 どうすれば光人になれるのだろうか。

 手の光る人はいう――本をたくさん読めばいいのさ。

 足の光る人はいう――運動すればいい。走るんだ。

 額の光る人はいう――よく人の言うことを聞けばいいんだよ。


 光人になりたくて、男はそうしてみた。

 本を読んでみた。まっくらだったので1ページも読むことができなかった。その本になにが書いてあるのか分からなかった。

 走ってみた。まっくらなので家の中で走ると家具にぶつかり、外を走ると人や建物にぶつかるのでやめてしまった。

 人の話を聞こうとした。でも、まっくらで人がいるのかいないのか分からない。男が呼びかけても、暗闇から返事は返ってこなかった。


 だから思った。

 だれも光人になる方法など知りはしないのだと。

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