#3 ひかりのくに
男は妻とふたり、地面を掘る仕事をしていた。ツルハシやスコップを使って地面を削り、岩を砕いて、井戸を掘り、人々が生きていくのに必要な水を得るのだ。世界はまっくらなのだから、できる仕事は限られていた。
妻とはいっしょに暮らすようになってしばらく経つ。妻はきれいだと評判の娘だったけれど、お互いの顔を見たことはほとんどない。光がないので仕方がなかった。
――お互いどんな顔をしているんだろうな。
ふたりはよく暗闇の中で顔を見合わせて笑いあっていた。
ツルハシやタガネで岩を砕いていると、たまに火花が飛ぶことがある。一瞬だけ現れて消えるまぶしい明りだ。その小さな小さな星はいっときだけ、世界を暗闇から浮かび上がらせてくれる。
――この星をたくさん集めたら。それが消えずにいてくれたら。いつもお前のことを見ていられるのに。
あるとき男が留守のあいだに何者かがやってきて、妻を家から連れ出した。美しいという評判を聞きつけた光人が自分のものにするといって連れ去ったのだ。はげしく抗議する男に光人は言い放った。
――美しい女を暗闇に閉じ込めていては意味がない。光の中へ出た方が彼女は幸せだ。
なにも言い返すことができなかった男は、家に引き返すとめちゃくちゃにツルハシを奮った。岩が割れて、石を砕き、数えきれない火花が散った。食事の時間も、寝る時間もお構いなし。
――星を掘っている。
男が狂ってしまったと人びとは言い合った。
それから何年も何年も、男が四六時中ツルハシやタガネを振るう音がまっくらな世界に響いた。数えきれない穴が掘られ、水が湧き出した。それでも男は星を掘ることをやめなかった。
――星が……。
何年も経つころになってようやく人びとは気づいた。まっくらだった空に微かな明かりが散らばっていることに。男が岩の中から掘り出した小さな星たちだった。火花と共に飛び出した星は空に上って瞬いていたのだ。
まっくらな世界に光を生み出すことができる。
人びとはこぞって、岩にツルハシを突き立てはじめた。光人はやめさせようとしたが、だれも耳を貸さなかった。男も女も、大人も子どもも、タガネを振るって石を割った。毎日毎日、無数の火花が飛び出して空に上っていった。
やがて、まっくらでなにもなかった夜空には無数の星たちが瞬く銀河が現れ、朝になると眩く輝く太陽が昇ってきて世界を照らし出すようになったのだった。人びとが岩から掘り出した小さな星が、まっくらだったこの国をひかりのくにへ変えたのだ。
明るくなった世界では光人もただの人だ。だれも彼らのもとへ集まらなくなった。そのころにはすっかり年を取った男が、光人の屋敷へ連れ去られた妻を迎えにいくと、すでに妻は死んでいた。最期まで光人の妻となることを拒んで死んだと聞かされた。
妻のなきがらを引き取って戻った男もまもなく死んだ。
男のことを哀れに思った人びとは、夜空の星が美しい丘の上にふたりのお墓を並べて建てたという。
☆☆☆
絵本を閉じた。
窓の外は暗かったが、まっくらというわけではない。わたしがここまで辿ってきた山道のアスファルトを黄色の点滅信号が静かに照らしている。星は見えない。道路を渡っていった先にはなにがあるのだろうか。その先は暗くて見通せなかった。
窓のそばには、ナイフの入ったリュックが置かれている。まだ早い。それば夜になって、宿の者が寝静まってからだ。
そうしているうちに、夕食の膳をもって部屋へ女がやってきた。
「お待たせしました。夕食をお持ちしました。急なお越しでしたので、あり合わせのものですが」
「いえ、急にわたしが来たものだから」
あり合わせといいながら、川魚と山菜の天ぷらに蕎麦とすまし汁を合わせたなかなかのご馳走だ。
「読んでいただけました?」
なかなか箸がつけられないでいると、女が話しかけてきた。あの絵本のことだろう。
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