星を掘った男

藤光

#1 やってきた男

 森を縫うように伸びる山道に日は落ちた。

 それは、ひなびた――と形容するのもすさまじい、柱も軒もなにもかもが歳月の重みで傾いた建物だった。鬱蒼とした杉の木立の中に佇む小さな小さな宿の入り口には、ぽつんとひとつだけ電球が点っていて、苔むしたコンクリートの三和土たたきを橙色に照らしていた。


「ごめんください」


 きちんと閉まらない引き戸に手を掛けて訪いを入れる。静まり返った玄関は少しかび臭かった。しばらく待ったが、宿の内から返事はない。


「ごめんください」


 一歩、二歩、玄関に入り込んで折れ曲がった廊下の向こうへ声をかけた。今度は「おうい」と太い声がする。廊下に掛った珠暖簾を分けて、ねずみ色のジャージを着た男が現れた。


「なんだね。なにか用かね」

「こちらに泊めていただきたいのですが」

「予約はきいておらんよ」

「いまがはじめてです。予約がないと泊まれませんか」

「いや……そんなことはないんだが」


 宿の男はじろじろと品定めするように、わたしの顔と身なりを見た。


「ここへはどうやって? タクシーがやってきた音は聞こえなかった」

「歩いてきました」

「たったひとりで山道を? 町からは15キロもあるんだよ」


 しまった。本当のことを言って、宿の者を警戒させてしまったかもしれない。


「こんな山奥までひとりでやってきて、変な気でも起こすんじゃないだろうね。いるんだよ――この季節になると、そういう厄介な人がね」


 これはいけない。

 なんとか言い逃れなければ、ここに泊めてもらえない。


「あの…ハイキングをしていたんです」

「ハイキング?」

「わたしは一足先に来てて、明日、妻や息子とこの先で合流するんです」


 嘘である。一緒にハイキングへ出かけるような妻や子どもはいない。


「ふうん、そうかね」


 それでも、男は疑わしげな目でわたしのひとつきりしかないリュックを見つめていたが、これ以上問い詰めてもと思ったのだろう。


「ま、いいでしょう。いらっしゃいませ、ようこそ屋へ。おうい――」


 ぱんぱんと手を叩いて男が呼びかけると、珠暖簾の向こうから女がひょいと顔を見せた。


「今晩お泊りになるお客さんだ。「銀河」の間へお通ししなさい」

「はあい」


 そう返事して現れたのは、人家もまばらな山奥には似合わない若くて美しい女だった。せいぜい23、4といったところだろうか。男の妻というには若過ぎるが、娘にしては艶っぽい仕草である。いったい何者だろう。


「お荷物、お持ちしますね」

「あっ」


 足元に置いておいたリュックを女が勝手に持ち去ろうとするので、思わず突き飛ばしてしまった。リュックを取り上げ、しっかりと胸に抱える。これは渡すわけにはいかないんだ。後じさった女も宿の男も目を丸くして私の様子を見ている。


「す、すみません。痛かったですか」

「いいえ。失礼しました」


 怪しまれてしまっだろうかと心配したが、女は「ご案内します」とにこやかに先へ立って廊下を曲がり、階段を上りはじめた。わたしは女について宿の二階へ上がっていく。背中に宿の男の視線を感じながら。


「こちらです」


 通されたのは、宿の二階。日が落ちて暗くなった山道に面した和室だった。鴨居に「銀河」と木の札が掛かっている。急の泊り客であるにも関わらず、通された部屋はきちんと整えられていた。女が押し入れから座布団を出して勧めてくれた。


「ごゆっくり、おくつろぎください。すぐにお茶をお持ちしますから」

「お構いなく」

「いえ、それでは主人に叱られます」


 形のいい唇をほころばせて、女は足早に階下したへ降りていった。

 いや、ほんとうに構ってほしくないのだ。


 だれもいなくなった部屋でわたしは、抱えていたリュックを下ろしファスナーを開いた。中には必要最小限の着替えと外国製の大きなナイフが入っている。太い電線も大根のように切ってしまう切れ味するどいナイフだ。わたしの頸動脈を断ち切ることもたやすいことだろう。


「隠しておかないとな」


 リュックのファスナーを閉めた。

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