第6話 再び寄り添う。もう二度と離れない。
その日から、彩との合わせがどうもしっくり来ない。
いくらリハしても何かよそよそしい。普段の会話も壊滅状態になっている。
音を合せれば合う。曲が崩れるようなミスも無い。
でもそれだけ。
今まで感じていた高揚感が、すうっと消えてしまっていた。
出会ってからたったの三か月。急激に仲良くなり、お互い勢いでここまで来た。
でも急に近づいた関係は、土台が緩い。ちょっとしたことで揺らいでしまう。
誕生日に気まずくなったことを謝るべきか。でもそれを先にしてしまうと、私が何に抵抗したのか、それが薄くなってしまう気がした。
じゃあ順番を逆にする?
しかしそうすると、謝る前に彩が正気ではいられないだろう。
そうして考えれば考えるほど、私は彩の本質を知らない。それをある程度掴んでいれば、やりようはある。
けれどどこに地雷があるのか、見当がつかない。だから一歩も動けない。
ふと思いを巡らすと……。
もしかしたら、彩も同じ気持ちかも知れない。
いまの私と彩は、そんな状態にあった。
自然修復するには土台が無さすぎる。
このまま何も手を打たなければ、自然消滅しかない。
それだけは避けたい。もっと一緒にいたい。彩の歌を隣で聴きたい。
でもどうしたら……。
打つべき手が見つからない。そしてそれは、多分彩も一緒。
そうしてただ悩むだけの時間が過ぎていった。
次のライブは対バンで、出演時間も15分と短く、定番曲だけのステージだった。なんとか今までの貯めもあって、演奏は纏められた。
私たちもそれぞれ違うステージだけど、出会う前から場数は踏んでいる。大抵は「場慣れ」で補完できる。
そう。ただ合わせるだけなら、問題ない。
けれど。
これまでとは違い、お世辞にも勢いのある演奏ではなかった。
リハのあの距離感。
それを何ひとつ修正できないまま、ステージ上でただ音の羅列を並べただけだった。
そしてその日、彼女とのライブでは初めて別々に会場を後にし、それぞれ一人で帰路に着いた。
***************************
どうやっても気持ちが晴れない。
あの日からずっとそんな日が続いている。
彩の誕生日の最後の最後に、あんな空気にしてしまった。
次のライブも違和感しかなかった。
それがずっと尾を引いている。
あれから彩は、お箏教室の次期プログラム作りや会派の地方公演などで忙しくしていた。
私はと言えば、本業の会社仕事の繁忙期で忙しかった。
そんな状況だから、当然なにも話せていない。電話はもちろん、メッセージ一つのやり取りもない。
彩のSNSは、たまに更新されている。
シンガーソングライターのアカウントでも、お箏の活動も公表するようにしたようだった。
それらの演奏会や広報的な投稿が並ぶけど、以前のように日常的な投稿は殆ど無くなっていた。
様子を聞きたい。本音ではずっとそう思っていた。
けれども、どうやって声をかけていいか分からない。
もやもやを抱えながら、でも一つも解決の糸口を見つけられぬまま、時だけが過ぎていった。
そしてとうとう、私の誕生日がやってきた。
今年の私の誕生日は、金曜だ。
つまりゆったりと夜更かしできる。
後ろめたい気持ちがなければ、こんなにいい日取りはない。
私は誕生日にどこかへ行くのは、好きじゃない。
誕生日くらいはゆっくりしたい。それが本音だ。
特に今年は、もやもやを抱えている。遊ぶ気なんて湧かない。
それでもせっかくの記念日。
今日くらいは早く帰ろうと定時で上がり、家に帰る。
「?」
アパートの前まで来ると、部屋の明かりが付いていない。
普段は職場の近い夫の方が帰りは早い。だから、大抵明かりが付いている。
(こんな日に残業? でも、連絡入ってなかったよね?)
夫は、残業の時はほぼ連絡をくれる。でも今日は、何の連絡もない。
誕生日なのに。少しは楽しみにしてたのに。
あんな日に、彩に酷いことを言った罰が当たったんだ…。
ガックリと肩を落としながら鍵を開け、部屋に入る。
玄関の明かりを付けようと、スイッチを押す。
(あれ? 点かない……電球切れたかな)
先月変えたばかりなのに早いな、と思いながら何度かスイッチを押す。それでも点かない。
諦めて靴を脱ぎ、部屋に一歩踏み出して顔を上げると……。
「わぁっ!!」
真っ暗な部屋の中に、火の玉が
怖い! こわいこわいこわい!!!
電気つかないし! おまけに火の玉!
こ、こ、ここ、じ、事故物件じゃなかったはずっ!!
「ハーッピィバースデートゥーユー♪」
え? 夫の歌声?
へあ? あ、ああ、そうか。そう来たかっ!
夫、帰ってやがった!?
いま、蝋燭を立てたケーキを、ハピバ歌いながら運んでる!?
やっと状況が掴めた。
そして。
伴奏にお箏…てことは…?
彩だっ!
蝋燭の明かりの向こうにぼんやりと、お箏を弾く彩の姿が見える。
しかも、繰り返しの2回目は、彩も夫と一緒に歌い出した。
美しい歌声……。
思わず聞き入ってしまう、フワッと舞い上がるような歌声。
そう。彩の歌声の中でも、私が一番好きな歌唱法で歌ってくれている。
「ハーッピィバースデー、梨絵ちゃーーーーーん!♪」
テーブルにケーキを置いた夫が、拍手をしながら口笛を鳴らす。
彩はお箏をかき鳴らす。
私はひと息に蝋燭の火を消す。
蝋燭の香りが舞い、細く白い煙がゆらりと浮かび上がる。
「梨絵!お誕生日おめでとう!おめでとうおめでとうおーめーでーとーーーーうっ!!」
夫がリビングの明かりを点けると、彩が指に箏爪を嵌めたまま抱き着いてきた。
お、おい、危ないって。
「彩……」
言葉が出なかった。
彩の誕生日に、あんな別れ方して。これだけ嫌な気持ちを引っ張って。前のライブでもギクシャクして。
それなのに……。
「ごめんね。彩の誕生日、最後の最後にあんなことになって、ごめんね。ずっと話したくて……」
「ちょおーっと待った! それ以上言わない!」
彩が箏爪をつけたままの手を、私の目の前に広げて制止する。
だから危ないって。
「梨絵。私もごめん。本当にごめん。私、梨絵のこと、何も分かってなかった。自分のことばっかり話して、梨絵の心の中にあるもの、全然わかろうとしてなかった」
そんなことない。
確かに言葉にはしなかった。けどずっと彩は、私の心を理解しようと頑張ってくれていた。
そう言いかけて、また右の手のひらを広げて制止される。
だから危険だって。そろそろ箏爪外そう?
「いろいろ考えた。勘違いしてることだけは、分かってた。でも、私も私の思い込みから思考が離れられなかった。だから、旦那さんに相談したんだよ」
「え? 話してたの?」
「うん。そしたらやっぱり、『梨絵's バースデーライブ案』は違うってなって。旦那さんからも、心に響くどころか、刺さるくらいの言葉、沢山いただいたよ。それから、二人で練った。これがその結論だよ」
いまは言葉が心に、じゃなく、箏爪が顔に何度も刺さりそうだったけどね!
どうも先月から、こっそり二人で話し合っていたらしい。
私が求めるもの、私の癒し。何より私にとっての彩とは何かを。
そうして出した結論。
「大事な人と、落ち着く場所で温かい時間を過ごす。私と旦那さん、そして梨絵の三人で、お部屋で慎ましくお祝いする、温かい時間。そういうことだよね梨絵?」
部屋を見渡すと、カーテンには飾りが下がりイルミネーションもぶら下がっている。蛍光灯も少し明かりを落とした、ウォームカラーになっている。
部屋の中が、どことなく温かい雰囲気に包まれている。
「ありがとう。心から、ありがとう。……私、また彩と一緒に、ステージ立っていいのかな」
私は泣きそうになりながら、なんとかそれだけを言葉にする。
彩は、一瞬目を丸くした。
しかしすぐに、満面の笑みを浮かべた。
「なに言ってんの! 私の曲は、梨絵のサポートありきだよ!ライブも収録も、ギターは絶対、梨絵だかんね!」
***********************
お祝いの言葉。仲直りの詫び合い。プレゼントの開封儀式。
一通りのイベントが終わると、夫は、外していた玄関の電球をつけ直した。
まったく。外してたのかよ。
電気点かなくて、こっちは本気で焦ったんだぞ?
サプライズとはいえ、そういう心臓に悪いことは二度としないでいただきたい!
結局、彩は翌朝まで飲みひと眠りした後、昼過ぎに帰った。
飲み過ぎた夫は、夜半には私の横で大の字になり、寝息を立てていた。
私は夫の頭をなでたり髪を雑に弄ったりしながら、ずっと彩と話していた。
私はお酒が飲めない。でも、気持ち良く酔った彩とお喋りしながら過ごす時間は、どんなひと時より楽しかった。
彩はまだ酔いが回らぬ時間に、ケーキを前に私と彩の二人が収まった写真を撮っていた。
それをこんなコメントを添え、SNSにアップしていた。
「Dear 梨絵
お誕生日おめでとう!!!
なによりも大切な、宝物のような友達。
歌だけじゃなくて、お箏も「楽しい」って思わせてくれた大切な恩人。
私のステージには、必ず隣に梨絵がいます。
これからも、ずっと、ずうっと!永遠に!」
明け方にふと投稿を見てみると、既に、200を超える「いいね」がついている。
おめでとうのコメントや、私宛のメンション投稿だとか、いろんな方法でみんなお祝いの言葉を贈ってくれていた。
もちろんお祝いコメントの一番最初は、彩のファンで、私にもよく話しかけてくれるユウさんだった。
(みんな、私が彩の隣に立つこと、少しは認めてくれてたのかな)
やっぱり、認めてもらえることは素直に嬉しい。
(次のライブ、一言くらいお礼しないとね)
多分いま、私はにやにやとだらしない表情をしてると思う。
でも、どうせいまは彩と夫しかいないんだ。少しくらいはいいでしょ?
そんなよくわからない言い訳を自分にしながら、私もそっと、彩の投稿に「いいね」を押した。
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