第2話 弾かない子は、家にはいらない。
彩は、私の「情景も何もなく、ただ和楽器が即興し易い」という理由だけで弾いていたコード回しに、クッキリとした情景を乗せてきた。まるで『こんな曲が既にありますよ。こんな情景を描いた曲があるんですよ』とでも言うかのように。
即興なのに、既に完成され譜面まで出ていそうな流れを奏で始めたのだ。
加えて様々なテクニックを組み合わせ、お箏とは思えないフレーズをどんどん繰り出してくる。
お箏の音域は、五音調弦でたった二オクターブ半だ。しかも、糸(絃)は十三本しかない。
つまり、そのまま弾けば十三音だ。
糸一本につき、半音上げたり一音上げたり半音下げたりはできる。でも、それも一音程度の幅しかない。
どう頑張っても、この制約を超えられない。
けれどたったそれだけなのに、彩の演奏は三オクターブ半の音域があるギターより、広い音域に聞こえる。
しかもリバーブやコーラスなど、空間系のエフェクトでも掛かってるんじゃないか、としか思えない音を彼女一人で奏でている。恐らく、弾く手の圧の強さによって他の誰が弾くよりも多くの糸が共振し、共振した絃の実音ではなく倍音が鳴っているのだろう。
(ちょっ、なに?この子、何なの? すごい。凄すぎる……! もっとこの子の音を聴きたい!)
そう思った私は、今度はアコースティックのギターに持ち替え、ストロークでリズムを刻む。
すると今度は、歌声でスキャットやハミングも織り交ぜる。まるで
すさまじい対応能力と表現力。
お箏だけじゃない。
歌が、歌声が感動的すぎた。
時に透明。時に地に潜り込むようでもあり、また星の輝きのようでもあり。特に意味のない即興のコード進行が、彼女のあらゆるテクニックにより色付いていく。
彩のお箏は、まるでパレットだ。
彩の手と声帯は、最高級の筆。
そしてキャンパスは、この空間全て。
彩はこの空間全体に、歌声とお箏の
(っ天才だ!この子ガチだ!やばい、こんな漫画みたいなことってある? 信じられない!)
私は手が止まらなかった。
そんな私たちを尻目に、周りの奏者さんは手を止め聴き入っている。もはや二人だけのステージだ。
視線を交わしエンディングに入ると、彩も私の右手の動きに合わせ、
けれど。さすが指揮者を置かず「申し合わせ」だけで合わせる和楽器奏者だ。私の体の動きをじっと観察し、そして視線を交わし、ピタッと貼り付くように合わせてくる。
即興を終えると、満場の拍手が起きた。
「綺麗なフレーズ奏でるね。それに、どんどん盛り上げて気持ちいいノリ作るね。ワンコードでその気になって、思わず入っちゃったよ。でも…出しゃばりすぎたかな?」
彩がニコニコで話しかけてきた。
「出しゃばりすぎな訳ないです、控えめに言って最高です!人生最高レベル。贅沢すぎる。……もっとやりたいです!」
「オッケー! 私も久しぶりに楽しい! 続けよう! そだね、できれば、キーは
「あー、なら壱越の
「さっすが。和洋両方やってると、言葉すぐ通じるね」
そう。和洋楽器混合セッションでは、大きな壁がある。和楽器特有の音名と調絃名だ。
お箏に限らず和楽器は、音階も調絃も日本語の名で言う。
そして基本は五音階だ。もちろん、現代曲は「ドレミ七音階調絃」というものもあるけど。
両方の楽器をやる私の強みは、それを洋楽のドレミやCDE……に置き換えられ、調絃名だけで音の並びが分かることだ。
調絃が分かれば、曲の進行も大体イメージできる。音を出す前にサッと打ち合わせが完了する。
この調絃は、私のイメージでは「青空、海、竜宮城」だ。ちょうど今日の空やこのセッションを音で表したような。私の大好きな音の並びだ。
「じゃ、行くよ!」
まさに意気投合。彩とは描く音の情景の好みも、ピタリと合っていた。
そのあと何度も何度もセッションを繰り返し、結局1時間も続けた。
撤収後もセッションの興奮は収まらない。帰り道も、私たちは音楽話で盛り上がった。駅まで一緒だったけれど、まだ全然時間が足りない。話し足りない。
別れ際。彩から連絡先の交換を切り出された。
やけに気が合ったとは言え、第一線級の奏者さんから、連絡先の交換を求められる。信じられない瞬間だったけど、その壁の低さに更に惹き付けられた。
そして私たちは互いに連絡先を交換し、またの再開を約束した。
その翌々週の彩のライブ。
何故か私は、ステージ上で彼女の隣に立っていた。その次も、そのまた次も。私は彩の隣で、常に彼女の歌を支えるようになっていた。
*************************
「梨絵には、まだ話してなかったよね。私がどう育ったか、どうお箏や業界と関わってきたかとか」
あれから二ヶ月経ったある日。新曲の打ち合わせのために、彩は私の家に来ていた。
結局私は、そのまま彩のサポートを続けていた。
彩も私以外のギターサポートは置こうとしなかった。
私は、ルーパーエフェクターという機材を使う。
これは直前に奏でたフレーズをペダルを踏むとその場で録音し、もう一回踏むと即再生し続ける機材だ。
これがあると、ライブで複数のギターが奏でられている状態になる。
また、ボディの色んな場所や弦を叩き、パーカッションのように使うこともある。これをルーパーで録りループ再生させれば、リズム隊の出来上がり。
だから、たった2人でも3人、4人が演奏している状態をその場で作れる。もちろん全部べダル操作だし、踏むタイミングもとても大事。ものすごく大変なのだけれど……。
彩がどんどん他のメンバーを置きたがらなくなっていったから、私は「全面的に任された」と理解し、工夫に工夫を重ねていた。
ライブ日程は常に私の予定と合わせてくれた。私の会社仕事、夫婦生活に影響が出るような日程も、避けてくれていた。
新曲は一週間前に出来たばかりだ。伴奏はまだあまりギターコードには詳しくない彩が、とりあえずで基本のコードをあてただけだった。
中には「何そのコード?」というような、通常違う形で表記されるコードもあった。それらを意図を確認しながら直し、情景をすり合わせ……そんな作り込みの作業にその日から入ったのだった。
一息つこうと、ベランダで育てているレモングラスとミントを何枚かもぎり、二種の葉をブレンドしたフレッシュハーブティーを淹れる。
彩は私の家に来ると、いつもこのハーブティーを味わう。
ミントで舌から喉にかけ、スッと爽快感が広がる。そのあとでレモングラスの香りが鼻に抜け、気持ちが落ち着く。このブレンドは、すっかり彼女のお気に入りになっていた。
自分でもレモングラスとミントを育てたがっていたが、日々の水やりは必須だ。留守がちな彩にはかなり難しい。
彩自身もそれが分かっているらしく、私の家に来た時のお楽しみにしていた。
「経歴と、まぁ多分ずっとお箏やってたんだろうな、くらいしか……それにしては弾きたがらないのは不思議には思うけど」
そんな、いつもの一休み時間。彩は思い出したように、自分の育ちを話してくれた。
「やっぱり梨絵だね。演奏と同じ。パートナーをよく見てるね。なんかありそうと思ってても、言い出すまでは無理に聞かない。素振りも見せない。ありがたいし、信頼できる。でもさ。気遣いはいいけど、そればっかりだと禿げるよ」
言いながら彩は笑う。
冗談きつい。禿げるのはさすがにごめんだ。それに私自身はそんなに無理をしていない。むしろ、彩の方が無理を……いや、何かを圧し殺しているように見えた。
「それは、彩もよく見てるじゃん。……それはまぁ置いといて、彩のことだよね?」
また話が脱線しそうだ。
そう。私たちはいつもこう。話が脱線しすぎて、なかなか本題に辿り着かない。
でも、今は少し強引にでも、軌道修正した方がいい。やっと話す気になったんだ。その気が逸れない内に、吐き出させないと。
そう思いながら促すと、彩は少し俯き、また天井を見上げ、大きく深呼吸をした。そして、向き直り話し始めた。
「家、梨絵も知っての通りさ、祖母も母もお箏って家じゃん?二人とも大師範でさ、会派の代表選抜メンバー。会派の宗家とも、殆ど親戚付き合いくらいな関係。それに、母の大学は私と同じ。大先輩でもある。だからみんな、私をエリートって言う。恵まれた環境でお箏を真っ直ぐ修練してきた。外側からはそう思われてる。まぁあながち間違ってないけど…。梨絵も、はじめはそういう認識だったよね」
「うん。間違いないね。エリート中のエリート。どっちかと言うと、芸能人に近いくらい。そういうオーラもあるし」
彩は何度も頷く。
そう、私もはじめはただそれだけの認識だった。
でも。
彩は、お箏の演奏よりも歌うこと、SSWとしての活動を優先している。SSWの活動の時は、お箏は弾かない。「お箏を引き歌うSSW」という形の方がずっとアピールしやすいのに、頑なにそれを拒む。話も聞きたくない、そんな態度になる。
ここまで拒むその根本にあるもの、心の内は少し気になっていた。
「確かに、『好きでお箏を弾けるなら』恵まれてたよ。でも事実は違う」
彩は含みを持たせて言った。落ち着かなそうに、テーブルを指でコツコツと打ちながら、続けた。
「私はね、ある日突然母から、私の好き嫌いなんか関係なく『今日からお箏を弾きなさい』って、言われたんだよ。3歳になるちょっと前だったかな。それだけじゃない。こうも言われた。『弾かない子はいらない。頭取れない子はいらないから』って。その日からずっと、頭取れって言われ続けて、無理やりにでもお箏を弾かされ続ける日々が続いた。逃げることも辞めることも許されなかった」
ちょ、ちょっと待って?
お母様が『弾かない子はいらない、頭取れない子はいらない』って?
頭を取る、とは、トップになれと言うことだ。トップにならない子はいらない、3歳にもならない子が、そう言われた……。
私は信じられなかった。
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