天才箏(こと)弾きはなぜ弾かずに歌うのか

伊吹梓

第1話 歌うたいの箏弾き・彩との出会い



「ハッピバースデーイあやちゃーーーん♪」



 私は『Happy Birthday To You』の、前奏代わりのワンコーラス弾き終えると、ギターのヘッドを高く上げる。

 これは、Aさんへの合図だ。

 ヘッドに取り付けた、調弦用のチューナー。その明るい液晶画面を、PA さんに向けている。真っ暗でも明かりひとつで合図を出せるようにするためだ。


 合図を確認したPA さん。スッとギターとステージ上の返しのボリュームを上げる。同時に打ち合わせどおり、ゲストミュージシャンがハピバを歌う。

 100 人オーバーの観客も、それに続く。


 ライブハウス全体が、一体となった大合唱に包まれた。


 私の隣には、誕生日を迎えたシンガーソングライターあや


 そう。今日は友達のミュージシャン、彩のバースデーライブだ。


 ステージ最前列には、彩の締まったウェストがすっぽり収まりそうなバースデーケーキ。そのすぐ後ろで、彩はスポットを浴び輝いていた。


 真横から彩の横顔を眺める。

 ショートヘアの隙間から覗く、切れ長の瞳。目尻には、ちょっと光るものがある。


 演出に目薬でも差したか?と、思わず心の中で苦笑する。

 見た目も喋りもちょっとキツめだけど清楚系。しかしその性格は、猫もびっくりの気分屋さん。それでいて「やられたらやり返す!」を地で行く、かなりの武闘派な一面もある。


(いま涙流すなんて、そんなヤワじゃないよね?)


 そんな明後日なことを思い、苦笑いを噛み殺しながら、私はハピバを最大音量で伴奏する。

 彩を照らすスポット以外、ステージ照明は落とされている。

 一部だけが明るいと、その外はまるで見えない。もちろん私は、ギターを弾く手元が全く見えていない。

 でも大丈夫。ハピバはライブのステージだけでも50 回は弾いている。プライベートやクローズイベントも含めれば150 回は軽い。手元が見えなくても、寸分違わず手は動く。


 ケーキに立てられたちょっと太めの二十六本の蝋燭に、炎が揺らめいている。

 溶けた蝋がケーキに落ちる前ギリギリのタイミングで弾き終わるよう、テンポをコントロールしたハピバ。


 弾き終えると同時に、大合唱が止んだ。


「彩ちゃん、お誕生日おめでとうーー!!」


 ライブハウスのマスターの掛け声を合図に、彩はバースデーケーキの蝋燭の火を、一息で吹き消した。


「みんな、ありがとう!」


 歓声が沸き上がる。客席から何回も「おめでとう!」の声援が聞こえる。


 顔を上げその声援に応えた彩は、輝いていた。最高に美しく、輝いていた。




 ****************



 SSWの彩は、本業はおこと地唄三味線ぢうたしゃみせん奏者だ。


 彩は、母親と祖母がお箏奏者だった。

 しかも箏曲界最大の会派の大師範…つまり、家元のサポートとして、トップに名を連ねる奏者だった。そのため彩も、まだ言葉も覚えたての幼い頃から、家庭内でお箏の修業が始まったという。

 お箏の環境がとんでもなく整っていた。

 コンクールでも、ジュニアの初出場から輝かしかったそうだ。


 所属会派の主催するコンクールで、ジュニア部門では初出場から上位の学年の子を抑え、最優秀を獲っていたという。

 その後もジュニアは敵無し。トップのまま一般の部の年齢になったそうだ。


 その会派のコンクールは、当時ジュニアは小学生まで。中学生からは一般の部だ。

 もちろん彩も、中学入学と同時に一般の部に出場した。


 このコンクールは、会派主催だけれど、演奏曲がその会派の作曲家のものであれば誰でも、それこそネット動画で学ぶ人もエントリーが可能だ。一般の部は、他の会派の師範クラスの奏者もエントリーしている。


 そんなコンクールの、一般の部への出場初年。

 ベテランから新人まで、幅広い年代の出場者…いや、猛者たちを抑え、最年少で最優秀賞を獲った。

 これは10年以上経ってなお、未だ破られない最年少記録だ。


 その後、高校時代は家元近くで弾き続け、芸術系の大学の邦楽科生田流箏曲いくたりゅうそうきょく専攻に入り大学院まで通った。

 卒業したその年も、彼女の親や後援会の後押しで、国内最大のコンクールに出場していた。予選は課題曲・自由曲共に高い評価で、2位で通過した。

 本選も期待されたが、プロ活動を始めると練習の時間など殆ど取れず、惜しくも三賞の受賞は逃した。 しかし、それに次ぐ成績だったという。


 大学が音楽に限らず、芸術の最高峰の大学だっただけあって人脈が広い。箏曲界だけでなく、メディア関係にも人脈を持っていた。


 彩は事務所に所属せず個人で活動している。比較的、和楽器奏者や民族楽器奏者によくあるスタイルだ。


 個人での活動でも、先輩の推薦で仕事は入り、そこで気に入られれば今度は直接依頼が来る。

 TVや映画のバックでの演奏。各メディア出演者への演奏指導…。そんな個人の演奏活動に加え、ビジュアルもスッとした美しい立ち姿、キレのある目元で凛とした顔立ちなこともあり、モデルとしてのイメージ映像作品への参加も一度や二度じゃない。

 話が軽妙で親しみ易いこともあって、主催の教室も盛況だ。


 彩は表街道を真っ直ぐ進んできた、本物のエリートだった。



 …少なくとも、彩の本当の育ちを、当人の口から聞くまでの私には、そう思えた。




 ***********************




 彼女との出会いは、隣町の公民館で開催された、和洋楽器ごちゃ混ぜのフリーセッション会だった。


 そこはお箏が十面(十台)ほど保管しており、よく和楽器イベントが開催されていた。


 私は、母が箏弾きだったため、ねだって頼み倒して、母にお箏を教わっていた。むしろ、お箏が楽器の入り口だった。だから、こういった和楽器がある場は、比較的顔を出す。


 彩は、他のお箏奏者さんの付き添いで来ていた。

 私は長くギター中心の活動をしていたから、いまお箏業界で活躍している人については、最低限の情報しかキャッチしていない。

 そのため、彩のことは『歌番組でバック演奏していて、コンクールの本選出場者リストに載ってた人』程度の認知だった。


 ところが、いまの業界をよく知る人にとっては、事件並みだったようだ。


 彩は、和楽器業界ではそこそこ名が知られていた。


 型にはまらぬ活動が目を引き、しかも実力は折り紙付き。

 ビジュアルもいい。チラッと映るだけであっても、メディア露出もある。なので憧れている人すらいた。

 私も彩のことはあまり知らなかったとはいえ、彼女が会場に入った時、なんだか凄い人だ、とは思った。


 纏う空気が違う。

 彩の周りだけ、常に光が差しているように見えた。これがオーラか、と実感せずにはいられなかった。


 和楽器業界はとても狭い。プロ・アマの壁も薄く低い。大先生や作曲家、音楽系の漫画家、大手メディア出演者が、素人の集まりに気軽に顔を出す。だから、彩が入ってきた時は少し入り口が騒がしかったし驚かれたけれど、特別珍しがられはしなかった。


 はじめは、和楽器だけのセッション。

 その間の彩は、お箏未経験者への体験指導を優先させていた。自身は殆んど弾いてない。


 未経験者への手ほどきを楽しんでいるのか、とは思った。しかし、どこか自分が弾くことを避けているようにも見えた。



(弾かないのかな?一曲くらい、六段、手事てごと……いや、汽車ごっこでもいいや。聴きたいな、せっかくだから、お金払ってでも聴きたいよなぁ)



 入ってきた時の、あの騒ぎ。教えているいまも、スポットを当てているかのような光のオーラ。

 対して、一人でお箏の前に佇んだ時、一瞬だけ見せたあの空気感。


 それはまるで、瞬時に結界を張ったかのような、息苦しくなるような圧と緊張感だった。


 私は明らかに、彩に興味惹かれていた。少し離れて他の奏者さんたちとセッションしている間も、チラチラ彼女の様子を窺うほどに。

 私は、基本的にはお箏で参加していた。だが、会のコンセプトが「和洋楽器合奏」と聞いていたから、ギターも持ってきていた。ギターを持っていることが他の参加者に知れると、伴奏を依頼された。私もセッションを試したくなり、まず指を慣らしで適当に弾いた。


 その時、私はギターに気を取られて気づかなかったけれど…。



 後に他の人から聞いた話では、私がワンコード弾いた時、彩がビクッとし私に視線を向けた……らしい。

 その後、セッションし易いコード回しを弾く。皆、私のコード進行を掴もうと耳を傾け、調弦を始めた。

 そんな中。


 彩が教えていた場を離れ、私がさっきまで弾いていたお箏の前に、スッとやってきた。


 殆ど弾く雰囲気を見せなかったのに、いきなり現れた彩。


 ビックリした。心臓止まるかと思った。

 というか、一瞬手が固まった。


 しかし、彩と一瞬目が合た。

 涼しく、美しく、それでいて射貫くような瞳。圧倒されそうな瞳だった。

 私は、心臓の鼓動爆上がりだ。ちょっと苦しい。


 そんな私を余所に、彩は視線で「続けて」と促した。


 私はなんとか気を取り直し、拍を足で取りながら再開する。


 彩は私の伴奏に合わせ、即興を弾きながら誰よりも手早く調絃し、合わせ込んできた。それはまるで、調絃すら即興の一部のようだった。


 私のコード回しは、ふんわりとした進行だった。

 そういう空気感を狙ったのではない。単に和楽器が合わせやすいのだ。多くの和楽器が、定番の手で合う。合間合間に合いの手を入れるだけでも、心地よい。取り立てて情景描写は必要なく、乗せられるメロディの自由度も高い。

 そんなコード回しで弾いていた。


 ところが、だ。





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