第9話 支配人は頭が痛い
金子はエレベーターに乗り込んだ上川と二条城に、扉が閉まるまで頭を下げて見送った。
上川は全ての荷物を自慢げに持ち、決して爽やかではない笑顔で最後まで金子を見つめていた。
一息ついた金子の耳に、機嫌が悪そうな支配人の声が飛び込んだ。
「ちょっと君たちこちらに来なさい!」
頭を抱えながら、ホテル・ヘラクレスの支配人。
その後に続いて、
身長180センチはあるであろう赤木は、自分は何も悪くないといった表情で、支配人宮川の話を聞いていない。
一方、小柄で金髪に近い茶髪の岸本は、何故か宮川より怒りを露わにしている表情である。
いったい何があったのか、金子はなんとなく予想出来た。
「ここに並びなさい」
宮川はフロント近くに、赤木と岸本を並ばせる。
「まず君たち、身だしなみを整えなさい」
赤木はシャツがだらしなくズボンから出ているのを、面倒くさそうに直す。岸本は整える箇所が自分には無いと思っているのか、イライラしながらそっぽを向いている。
16歳の時、岸本は地元で有名なレディース暴走族の総長だったことから、今でもその辺の男より気合いが入っている。
「岸本君」
「……」
「岸本君……!」
「なに?」
「君もまず、身だしなみを整えなさい」
「乱れて、いませんけど?」
「君は本気で言っているのか?」
「本気って書いて、マジ」
約30歳年上の支配人にガンを飛ばす岸本。改めて頭を抱える宮川は、情けなくて今にも泣き出しそうだ。それを察した金子は、急いで宮川の元へ駆け寄った。
「支配人。私から見ても、岸本さんの身だしなみは問題無いかと思います」
「確かに制服は問題ないよ」
「じゃあなんなんすか? ただのいちゃもんですか?」
「その右耳に掛けているタバコを取りなさい!」
耳にタバコ。
今時おじさんでもそんなことしないのではないか。金子はまさか21歳の岸本がそんなことをしていると思ってもみなかったので驚いた。
金子はバレたか。と言った表情で、何事も無かったように耳からタバコを取る。
「いくら身なりがキチンとしていても、耳にタバコがあったらマイナス500点だ」
「別に良くないですか? お客さんもいないんだし。バレないっしょ」
「そういう問題じゃないんだよ岸本君。もっとプロ意識を持ってもらわないと困る」
「部屋の清掃員のプロとして、やってますけど?」
「本当にそう思っているのかね?」
「あぁ?」
「あとね岸本君。僕は支配人だよ? しかも年齢は岸本君よりはるかに上なの。そんな人に、あぁ? とか言わないの」
岸本は噴き出して笑う。
横にいる赤木も釣られて笑い出す。
「なにがそんなに可笑しいのかね?」
赤木は直ぐに姿勢を正したが、岸本は反抗する。
「いや、うるせぇなと思って」
「うるさいって……え、それで笑う? ねぇ金子君、それで笑う?」
「あ、いえ、笑うのはおかしいと思います……!」
「だよね!? 普通笑わないよね?」
「で! 身だしなみの他にあと何かあるんですか? 私もう休憩なんですけど?」
宮川は目をつむり深呼吸してから、目を大きく見開いた。
「岸本君と赤木君。清掃に入った部屋でタバコ吸ったでしょ?」
「吸ってません」
直ぐに否定する岸本だが、隣の赤木は内心諦めている。
「どうなんだね赤木君」
「あぁ……タバコっすか」
「そうだ。タバコだ。客室で、吸ったんだろ?」
「……いやぁ、どうっすかね」
「いくらなんでも、客室でタバコなんて吸わないですよ支配人!」
金子はフォローに入るが、この二人ならやり兼ねないと、内心では思っている。
「金子君」
「はい!」
「従業員の教育は、君に任せているはずだよ?」
「はい! ですので、この二人が客室でタバコなど吸うわけがありません」
「僕はこのホテルで一番君の事を信頼している」
「ありがとうございます」
「下手に
金子は知っていた。岸本と赤木が客室清掃時にタバコを吸っていることを。次のお客が来るまでには匂いも消えているだろうし、証拠を残すほど馬鹿な二人だと思っていなかったから目をつむっていた。証拠さえなければこの場はやり過ごせる。それからこの二人には自分から注意すればよいと考えていた。
ホテルマンとしてはあり得ない行為。だがそれを見て見ぬふりをしている自分は、もっとあり得ないと思っていた金子。しかし、ただでさえ従業員が少なく人手が足りない今。それを注意すれば機嫌を損ねてしまい、二人は辞めてしまうのではないかという気持ちから、注意出来ていなかった。
「何か、事件ですか?」
後ろから女性の声がする。
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