第2話

 奴隷の子供は奴隷と決まっている。奴隷を殺しても罪には問われない。

 貧しい人々がいた。彼らは、市民から虐待され、差別され、虐げられていた。市民は、貧しい人々を嘲り笑い、むしゃくしゃすることがあると八つ当たりした。

 政府がそれを認めていた。政府により、貧民を虐げることは奨励され、推進されていた。

 貧しい人々は、知恵もなく、力もなかった。

 貧しい人々は、市民に遊び半分に強奪され、殺されるので、どうしたらこの状況がよくなるかを相談した。

「もういじめられるのは、耐えられない。なんとかして、この状況を解決するだよ」

「そんなこといったって、どうやって」

「貧民に生まれたからといって、搾取されるのを甘受しているわけにはいかないだよ。反乱するだよ」

「反乱しても、勝てるわけないじゃないか。警察一人倒せないよ。ましてや、向こうには軍隊がいるんだぞ」

「ならば、せめて、裁判所に訴えてみるか。正当な人権を訴えれば、おれたちの人権が認められるかもしれない」

「栽培所?」

「ああ、そうだ。裁判所だ。法律を司ってる司法の役所で、何が正しいかを判断してくれるところだ」

「そんなものがあるなら、裁判所に訴えてもいいなあ。おれたちを虐げるのが、正義だと認められるわけないべ」

「そうだ、そうだ」

 そして、貧しい人たちは、裁判所に自分たちへの虐待を止めてもらうように訴えた。

 判決が出るのは半年後らしかった。

「半年間、耐え忍ばねばならない」

「しかたない。これも運命だ。そうそう何もかもうまくいくわけないべ。だが、判決さえでれば、おれたちを虐待しているやつらは、みんな逮捕されるはずだ」

 夜も更ける黄昏時、町はずれの隅で歩く人影があった。

 それは貧しい若い男女だった。

 貧しい若い男女は、二人だけで話し合った。この後、自分たちがどうなるかを。

「頭のいい奴らが、裁判所というところに訴えて、おれたちへの虐待をなくしてくれるらしいぞ」

「うん。うまくいくといいね」

「ああ、やっと、おれたちをバカにしていたやつらを見返してやれるんだ。こんなに気分がいいことはないな」

 そういって、男は笑った。

 寂しい風が吹いた。

 男と女の人生が今まで貧しくみすぼらしいものだということは疑いようがなかった。思い出すと恥ずかしくて死にたくなるようなことが山ほどある。屈辱的な人生だった。

 女はいった。

「なんで、今まで誰もあたしたちを助けてくれなかったんだろうね」

「そりゃ、そんな親切なやつはいないよ。おれだって、見ず知らずのやつをいちいち助けたりしないさ。そんなお人よしは、不幸になるに決まってるんだ。ああ、世の中、うまくいかねえなあ。なんとかして、勝ち馬に乗りたいものだなあ」

 そういう男を女は寂しい目で見た。

 親切な人がいないというのは、とても気持ちの悪い世界観だった。女は、親切な人を信じていた。

「あたし、秘密の呪文を知っているんだ」

「なんだ、秘密の呪文って?」

「名前を呼んだだけで、助けに来てくれる人の名前」

 男は吹き出した。

「まさか、そんなやつ、いるものか」

「本当だよ」

 女はむっとする。

「それじゃあ、そいつは、この世界のどこにいても、名前を呼んだ誰のもとにも駆けつけてくれるっていうのかい? そんな瞬間移動みたいな超能力が使えるのかい?」

 女は困ってしまった。

 その人は超能力が使えるのだろうか。

「わからないよ。でも、その呪文を知っているんだよ」

「やめとけ。やめとけ。そんなうさんくさいインチキ魔術に頼ったって、救われるわけないんだ。おれたちの味方は裁判所だよ」

「うん。そうだね」

「だいたい、名前を呼んだだけで助けてくれるやつなんて、いるわけないんだ」

「そうだよね。助けに来るわけないよね」

 女はそういって、呪文の話はやめてしまった。

 貧しい人たちは、それから半年間を耐え忍んで待った。長い長い忍耐の時が過ぎ、とうとう、半年がたった。

 貧しい人たちは全員そろって、裁判所へ傍聴に行った。中に入れないものは、外で判決の報告を待った。

 裁判官が判決を下した。

「貧民が虐待されるのは当然である。貧民が虐待されるのは、法律で認められている。貧民は奪われても。殺されても文句はいえない。貧民を虐げる市民は正義である」

 これが判決文だった。

 貧しい人々は愕然とした。敗訴。まさかの敗訴であった。全面敗訴である。

 悔しくて、悔しくて、涙が流れてきた。なぜ、こんな不平等なことが許されるのか。

「おれたちは、貧民に生まれちまったものは仕方ないんだ」

 判決文が貧しい人たちに伝えられていった。

 それから、豊な市民が貧民を殺し始めた。法律によって認められた殺人を行っているのであった。

「はははは、貧民は皆殺しだあ」

「貧民は生きてるだけでゴミだあ」

「貧民はクズの人でなしだあ」

 鉄パイプを持って、市民は貧民を襲い始めた。何人かの貧民が殴打されて死んだ。

 あの貧しい男女は囲まれていた。

 恐ろしい市民の群れに。

 貧民として生まれたからには死なねばならないのか。

「おれたち、みんな、殺されるのか」

「怖いよ、ねえ」

「おまえ、昔いってた呪文を唱えてみろよ。もう、おれたちには何の希望もねえ。せめて、その呪文にでも希望を見出してえ。例え、助けに来てくれなくてもかまわない。見捨てられてもかまわない。名前を呼んでみろ。そいつの名前を」

 男は市民に鉄パイプで顔面を強く打たれた。

 女も、背中を鉄パイプで打たれた。

「うん。名前を呼ぶね」

「ああ。どうせ、助けに来てくれないだろうけどな」

 男はあきらめて、いった。

 もう、その男女には他に生きる希望は残っていなかった。

 女は、いつか聞いた名前を唱えた。

 厳かに、か弱く、しかし、はっきりと、その名前は呼ばれた。

「法蔵菩薩」

 市民の虐待はつづいた。

 男も女も、何度も殴られた。

 このまま、殺されてしまうのだろうか。

 そして、彼はやってきた。

 神足通によって瞬時に場所を移動して、名前を呼んだ者を助けるために。

 法蔵菩薩はやってきた。


「ぼくの仏国土に生まれてきて、まだ苦痛を感じるようなら、まだぼくは悟っていない」

 法蔵菩薩はいった。美しい装束に身をまとった偉丈夫であった。

 法蔵菩薩は手に鉄パイプを持っていた。

「あなたが法蔵菩薩?」

 女がたずねた。

「そうだ。ぼくが法蔵菩薩だ。助けてやろう」

 すると、市民たちが法蔵菩薩を取り囲んだ。突然、現れたこの怪しげな男を許すわけにはいかなかった。貧民の仲間は貧民だ。殺しても許されるのだ。

「やっちまえ、てめえら」

「おお」

 市民の群れが襲ってきた。

「ぼくに勝てるつもりなのか」

 法蔵菩薩は、鉄パイプで襲いかかってくる市民を殴り殺した。

 ごっ。ごっ。ごっ。法蔵菩薩が、次々と市民を殴打していく。

「きみたちは来世、貴族に生まれるだろう」

 法蔵菩薩はいった。

「なんだ、こいつ。強いぞ」

「かまうものか。みんなでかかれば負けるわけねえ」

 市民が次々と襲ってくる。

 法蔵菩薩は市民を一人残らず、殴殺した。

 法蔵菩薩は、次に裁判所に行った。

「こんなくだらぬ役所は必要ない」

 そういって、法蔵菩薩は、裁判所の職員を一人残らず殴殺した。

「きみたちは来世、貴族に生まれるだろう」

 裁判官から、検事、弁護士、みんな殴殺された。

 さらに、法蔵菩薩は、国会に行って、立法を司る国会議員を一人残らず殴殺した。

「きみたちは来世、貴族に生まれるだろう」

 そして、悪党を一通り倒してしまうと、法蔵菩薩は貧しい人々の前にやってきた。

「どうやら、助かったようだね。善行を積んで修行すれば、きみたちは来世、貴族より良いものに生まれ変わるだろう」

 貧しい人たちは法蔵菩薩に感謝して、泣き崩れた。

 こうして、貧しい人々は法蔵菩薩によって救われた。

 法蔵菩薩はちゃんと助けに来た。

「まだ、ぼくの名前を呼んだ者をみんな助けることができない。まだ、ぼくは悟っていない」

 そういうと、法蔵菩薩はどこかに姿を消した。

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