第2話

 それは確か十月。昼休憩後の掃除タイムでのことだった。

 教室の掃除を終えて後方に寄せていた机を元の配置に戻していた時、雷でも落ちたかのような轟音が教室中に響き渡った。

「あ、ごめん……」

 クラスの男子が身を縮こまらせて謝っている。どうやら手を滑らせて運んでいた机を倒してしまったらしい。

 そして、それは廣井くんの机だった。

「う、わー……」

 周囲のクラスメイトたちは呆然としていた。

 その机が他の誰かの机だったらこんな反応にはならなかっただろう。

 しかしそれは廣井くんの机だ。

 廣井くんはクラスでも有名な『片付けられない男』だった。

 彼の机には様々なものがいっぱいに押し込まれ、傍目にも収まりきっていないのが一目瞭然だった。

 少しでも刺激を与えれば机が爆発してしまうのではないかと周囲に危機感を抱かせたほどだ。「机がかわいそう」と机の身を案じる者もいた。

 何が入っているかわからない。どれだけ入っているかもわからない。

 クラスメイトたちはそんな未知の恐怖から逃れるため、彼の机に『ミニマル・ブラックホール』『四次元デスク』『無限の顕現』などと名前をつけた。

 そして誰もが不用意に近付かないようにしていたのだ。

 しかし、その禁はついに破られた。

 ブラックホールは瓦解し、彼の机の中身は全て教室の床にぶちまけられたのだった。

「……これ、どうするよ」

 誰かがそう呟いたが、動ける者はいない。

 それほどに絶望的な状況が目の前に広がっていたのだ。「机ってこんなにモノが入るんだ」という驚きに全員が支配されてしまっていた。

 その衝撃から一番に脱したのが私だった。目の前に転がってきた細い金属スティックが爪先にぶつかったことで呪いが解けたのかもしれない。

「……いや! 片付けなきゃ!」

 私は足元のスティックを拾う。私の声に徐々にクラス中が我に返っていき、最後には全員で片づけを始めた。

 いやほんとよくこんなに入ってたなあ。机くん、キミ本当に頑張ってたね。とつい机を労ってしまうほど、沢山のものを搔き集めては詰め込んでいく。

 そしてクラス全員の団結の甲斐あって、下駄箱の掃除に行っていた廣井くんが教室に帰ってくる頃にはすっかり片付いていた。

「あれ、なんかあった?」

「ううん。なんにもないよ」

 教室に入った途端に彼がそんなことを言ったので、私は慌てて否定した。彼が現れた瞬間に走った周囲の緊張感に気付いたのかもしれない。

「そっか」

 そう言って廣井くんは自分の席に着席した。「あれ、綺麗になってる」という彼の呟きに私はもう一度慌てる。いや結構適当に詰め込んだのに、もっとひどかったのか。

「……あれ、ビー玉がないや」

 ビー玉? 

 唐突なワードに意味を捉え損ねた私をよそに、彼は辺りをきょろきょろと見回す。

「あ。ごめん清水さん、そこにあるビー玉取ってもらってもいい?」

 彼が私の後ろの床を指差して、私がそちらに視線を向けると床の端にガラスのビー玉が落ちていた。

「はい」

「ありがとう」

「でもなんでビー玉持ってるの?」

「二ヶ月前の体育の授業の時に、体育倉庫の裏で見つけたんだ。珍しい色だったから持って帰ってきちゃった」

 大したエピソードではなかった。

 でも、そんなに大したことないエピソードを二ヶ月間もよく憶えてたな、とも思った。

「……もしかして、その机の中身のもの全部憶えてるの?」

「え、うん。そりゃあね」

「拾った時のエピソード込みで?」

「うん。全部ね」

「え。すご」

「僕、記憶力結構いいから」

 廣井くんはそう言って笑った。

 確かに彼は学校の成績もいい。クラスメイトの名前もすぐ憶えていたし。

「ところでこの机綺麗にしてくれたのは清水さん?」

「え、うん。たぶん」

「そうなんだ。ありがとう」

 綺麗にしたというか、適当に詰め込んだだけなんだけど。

「清水さんって掃除得意なんだね」

 この時だったのだろう。

 私が彼の中でお掃除キャラになってしまったのは。

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