第7話 スレイマン一世の第一次ウィーン包囲
1494年、スレイマン一世はオスマン帝国で生まれた。元気な男の子で、二十九歳の父親セリム一世も、我が子の誕生を喜んだ。スレイマン一世は、父が兄弟たちを次々と殺すのを見ていた。また、かつてモンゴル帝国の侵攻を撃退し、世界最強といわれたエジプトのマムルーク朝を父セリム一世が征服するのを見ていた。スレイマン一世は、血気盛んな武人として育った。
スレイマン一世が生まれた1494年、ヨーロッパでは大航海時代が始まっていた。1494年に、スペインとポルトガルは世界をニ分割して統治する条約(トリデシリャス条約)を結んでおり、スペインとポルトガルは世界を征服できるつもりでいた。
1519年、スペインを出港したマゼラン艦隊は、1522年、船長フアン・セルバスティアン・エルカーノに率いられ、トニリダート号は、世界を一周してスペインに帰還した。人類史上初の世界一周であり、大地が丸い地球であることが確認された偉業であった。
スレイマン一世も、それに驚愕していた。大地が丸いなど、信じられない。しかし、スレイマン一世を激怒させたのは、スペインが世界を征服しようとしていることである。
1520年、スレイマン一世は父の跡を継ぎ、オスマン帝国第十代スルタンになっていた。世界は丸かった。それをスペインは証明した。しかし、だからといって、スペインに世界支配などさせない。
激怒したスレイマン一世は、1529年、スペインの本国である神聖ローマ帝国の首都ウィーンを包囲した。神聖ローマ帝国の皇帝、ハプスブルク家のカール五世を見に行った。
これを第一次ウィーン包囲と呼び、世界をニ分割する条約を結んだ神聖ローマ帝国よりも、イスラムのオスマン帝国の方が軍事力で強かったことを意味する。大航海時代のヨーロッパは決して、軍事力で世界最強ではなかった。
スレイマン一世はカール五世に会い、詰問した。
「世界を征服するとは何ごとか! 貴様の善悪を計りに来たわ」
カール五世は怯えながらも答えていった。
「大地は丸かったのです。それを知れば、人は狂う。我が帝国の進軍も、大地を祝福せんがためです」
スレイマン一世は、それを聞いて、ウィーン包囲を解いて、軍を引いた。
「確かに大地が丸ければ、人は狂う。神聖ローマ帝国は善なり」
こうして、神聖ローマ帝国は無事、滅びることなく残り、五十年後には、太陽の沈まぬ帝国といわれた。
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