第6話 フレグ・ハンとクリルタイ

 西暦1206年、テムジンは、モンゴルを統一し、大集会クリルタイにおいて、大ハーンに即位して、チンギス・ハーンとなった。モンゴル帝国の初めである。以後、チンギス・ハンの子どもオゴタイ・ハーンは、着実に領土を拡大していた。

 チンギス・ハーンの子、トルイの息子として、1218年、フレグは生まれた。

 1253年、35歳まで大領主として生きてきたフレグに、兄、モンケ・ハーンから征西軍総司令に任命され、イラン以西を征服するべく進軍した。

 1256年、不気味な噂のたつ暗殺教団イスマイール派のニザール派を征服すると、次は、アッバース朝へ向けて進軍した。

 当時、アッバース朝の首都バグダードこそが、世界の中心だった。フレグは、モンゴル帝国の司令官として、世界の中心に戦いを挑んだのである。

 この時、フレグはモンゴル帝国の全軍のうちの十分の一の兵を率いていたとされ、モンゴル帝国最大の軍隊を率いていた。モンゴル軍に包囲されたバグダードは、一方的に蹂躙された。1258年、アッバース朝のカリフ・ムスタフィスィムは、モンゴル帝国に降伏を願い出たが、無視され、残虐に殺された。フレグはそのまま、連戦連勝し、大進撃した。

「ははははははっ、おれが世界の首都を攻め落としたぞ。おれこそが、世界の帝王だ」

 フレグは笑った。

 しかし、その時、予期せぬことが起こった。1259年、モンゴル帝国の大ハーン・モンケが死んだのである。次の大ハーンを決める大集会クリルタイが開かれる。

 フレグは世界の中心にいる。しかし、モンゴル帝国の中心はあくまでもモンゴル高原の大テントだった。

 フレグは、功績からしたら、大ハーンになれてもおかしくはなかった。

「ははははっ、我らがモンゴル帝国は広すぎて、故郷に帰ることもできんわい。おれは、おれの領土で好きにやるぞ」

「クリルタイにはでないのですか」

 配下が聞いた。

「大ハーンの位はくれてやる。だが、おれには世界の中心がある」

 フレグ・ハーンは、1260年、イルハン朝を始める。1264年、後継者争いに勝ったクビライが大ハーンになると、フレグはそれを支持した。

 十人以上の妻をもったフレグは、14人の息子と7人の娘をつくり、快進撃であった。

 話は前後するが、1260年、フレグは部下にシリアのマムルーク朝を攻撃させた。マムルーク朝は当時、ヨーロッパから十字軍の攻撃にさらされており、それと果敢に戦っていた。カリフを世襲せず、有力者がカリフとなっていくマムルーク朝は、フレグの部下キト・ブカ率いるモンゴル軍を撃退した。ここに、フレグの快進撃は終わった。

 これをもって、当時世界最強は、マムルーク朝であるとする。

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