第5話 イスラーム帝国の拡大

 西暦570年、ムハンマドはアラブ半島に生まれた。西暦610年、商人としてすごしていたムハンマドは、思い悩むうちに、天啓を得た。それは、唯一神アッラーのみが神であり、偶像を拝すべきであり、神の前で万民が平等であるというものだった。

 ムハンマドは、この教えを布教し始めたところ、多神教を信じる政府に迫害され、引っ越しを余儀なくされた。がんばって抵抗運動をつづけたムハンマドは、少しづつ信者を増やし、ついに、メッカを攻め滅ぼした。メッカにあった数百体の偶像は、ムハンマド自信の手によって、叩き壊された。

 ムハンマドは本気であった。神と、神のもとに万民が平等である教えを本気で考え実行していた。それは、単純にして、高性能に機能し、ムハンマドの率いる一万二千人の軍は、アラブ半島を統一した。

 ムハンマドの死後、イスラーム帝国は、破竹の大進撃をすることとなる。ペルシャ帝国を滅ぼし、ローマ帝国から地中海南岸を奪い、東はイランから、西はイベリア半島までに及んだ。

 この大進撃の理由を、わたしは世界史に詳しい人に聞いたところ、イスラームのが税金が安かったからだと答えられた。イスラーム帝国では、真面目に万民の平等を目指した統治者ムハンマドの教えのとおりの税金しかとらず、他の支配者に比べて、べらぼうに税金が安かったのである。ムハンマドは富貴になることなど、望んではいなかった。だから、イスラームでは、税金は非常に安い。

 しかし、戦争に勝利したアラブ人は、戦利品で大贅沢ができたと思われる。ムハンマドの戦い方も、敵の男は皆殺し、女をすべて妻にするという、快楽主義を満たしたものだった。そのため、イスラーム帝国は勝ちつづける。信じられない大勝利である。だから、わたしが考えるに、イスラームの勝利者とは、戦利品による富貴だけを得たのであり、世界史的に見て、イスラームの統治者は質素だったのではないだろうか。

 歴史に理想郷があったとしたら、それは、真面目堅物のムハンマドの教えを守る快楽主義者イスラームの帝国である。イスラームでは、万民は平等であり、古い慣習はすべて壊され、世界観は単純化され、大いに栄えた。

 イスラーム帝国は、科学を発明したもっと真面目堅物な教えを信じるもっと快楽主義者のヨーロッパ人に征服されていくけれど、世界史に大帝国をつくる条件は、真面目堅物な教えを忠実に守る快楽主義の軍隊であろう。

 今のイスラーム諸国は、欧米を憎むのではなく、イスラーム原理主義に走るのではなく、ムハンマドより真面目堅物となって、世の真理を探究し、快楽主義者の手下をつくって、進軍させるべきであろう。きっと、栄光をとりもどすだろう。

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