第4話 イエスとロンギヌス

 西暦28年、ナザレのイエスは、ローマ帝国の警吏によって処刑されようとしていた。みずからを「ユダヤ人の王」「神の子」と称した罪である。

 イエスは一日中、大きな十字架を背負って街を歩き、見せしめになり、罪人として、ゴルゴダの丘に引き立てられた。イエス自身が担いでいた十字架を地面に刺し、そこに警吏がイエスを磔にした。

 処刑人ロンギヌスがイエスの息の根を止めるために槍をかまえていた。

 それを、イエスの弟子たちは遠巻きに見ていた。多くの観衆がイエスの処刑を見ていた。イエスというテロリストの親玉がとうとう捕まり、処刑されるのだという。観衆は熱狂的にそれを見ていた。イエスが処刑されるのを、正義が実行されることだとして、歓声を送って見ていた。

 イエスはいった。

「わたしは今日、死ぬこととなったが、わたしに悪気はなかったのだ。わたしは本当に地上に楽園を築くつもりでいた」

 ロンギヌスが答えた。

「残念だが、そう思っているのは、あんただけだ。あんたの弟子たちは、地上に楽園をつくるつもりがない。あんたの弟子たちは死後の世界、天上に楽園をつくるつもりだ」

「なんだと。そんなバカな。死んでしまってから楽園に行って何の得があるというのだ。わたしは、大衆に、地上に生きながら楽園のように暮らせることを願っていた。それが伝わっていなかったのか」

「ああ、伝わっていない。あんたの弟子たちは、人々を幸せにするつもりなどない。あんたの弟子たちは、五穀豊穣を禁止し、農業を禁止し、地上を枯れさせ、狩猟を栄えさせ、死後の幸せのために現世の利益を奪うつもりだ」

「バカな。農業の何が悪いというのだ」

「あんたの弟子の教育が悪いんだよ。だが、安心しろ。あんたに与えられるものがある。とびきりのでかい褒美だ」

「何だ、それは」

「欧米だよ」

「欧米? なんだ、それは?」

「ここは地中海の東南の地だが、地中海の北の土地はあんたの死後、あんたに跪く」

「なぜ、わかるのだ」

「おれには予知能力があるんだ」

「地中海の北の土地というが、南のが繁栄していて教育も進んでいるのではないか?」

「確かにそうだが、地中海の南はあんたには与えられない。あんたとは別の偉人が奪っていく」

「それで、欧米とは何なのだ?」

「白人の土地さ」

「あの臭い連中か」

「そうだ。あの臭い蛮族だ。やつらは、千六百年後、世界の支配者になる。そのやつらは、あんたを神の子として信じているんだ」

「それは本当か? 千六百年後の世界の支配者は、隣人を愛し、民族の垣根を越えて助け合っているのか」

「残念だが、それはない。千六百年後、あんたの信者は、隣人を奴隷にし、民族を激しく差別している」

「それがわたしの信者といえるだろうか」

「そこが問題なんだ。千六百年後の世界の支配者は、おれかあんたのどちらかに従う」

「どういうことだ?」

「おれとは、つまり、ローマ帝国のこと。あんたとは、つまり、キリスト教のこと」

「キリスト教とは何だ?」

「あんたの弟子がつくる宗教だ。勝負しよう。千六百年後を賭けて。おれ、ローマは、東西に分裂し、東ローマ帝国はオスマン帝国に滅ぼされ、西ローマ帝国はナポレオンに滅ぼされる」

「いいだろう。受けて立とう。もし、おまえに優しさがあれば、おまえは、磔にされたわたしにわざと負けるだろう。そうすれば、千六百年後の世界の支配者は、隣人を愛し、民族の垣根を越えて助け合う」

「よし、いくぞ」

 プオーと笛が鳴った。

 ロンギヌスが槍でイエスを刺した。イエスは死んだ。イエスの負けだった。

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