第3話
「きみが、可愛い女の子とエッチしたくない、アメリカ大統領になって第三次世界大戦を始めたくない、そんな理由で生きる意味に悩んでいるわけではないというのなら、ちゃんと捜査してみるけどね」
「お願いします」
ぼくは、可愛い女の子とエッチしたかったし、第三次世界大戦を始めてみたかったけど、あえて黙っておくことにした。この探偵はそれを見抜くことができるだろうか。
探偵はあえてぼくの煩悩を無視した。探偵は、ぐっと前にのり出して質問してくる。
「きみは、生きている人間なのかい」
ぼくはまごまごと戸惑う。
「ひ、秘密です」
そうぼくが答えると、探偵はたいへん興味深かったらしく、うんうんとうなずいていた。
「例えば、きみが幻覚だったとする」
探偵はいった。
「はい?」
ぼくはよくわからずに返事をする。例えば、ぼくが幻覚だったとすると、ぼくはいったい何のために生きているんだ。
「きみはぼくの幻覚だ。毎日、寂しい探偵事務所で依頼人を待ちつづけていたぼくの抑圧された無意識がぼくに見せた願望の現れだ。きみはぼくの幻覚なんだよ」
季節はいつだったか。今の季節も思い出せない。今日は寒いだろうか、暖かいだろうか。それすら判断がつかない。この部屋にはエアコンが聞いているみたいだし、それが部屋を暖めているのか冷やしているのかもわからない。ただ、ぼくは、汗がちょっと出てきた。
「ふざけるのはやめてください」
「いいや、ふざけてなんかいないよ。ぼくがこう考えるのは当然だろう。きみは、まったく仕事のないぼくのところに今日、突然訪れた。それは定められた運命のように必然的だ。まったくすべてがぼくのために用意されていたかのようにおあつらえ向きだ。きみの登場にぼくは歓喜したし、いつ誰かが白い看板をもって『ドッキリです』と出てこないとも限らない。それくらいに、きみはぼくの潜在的無意識を体現している」
ぼくは何かことばを探した。こんなことを聞きに来たんじゃないはずだ。ぼくは、ぼくはもっと切実に困っていて、それを解決してもらうためにここに来たのだ。
「ぼくはあなたのために生きているんじゃない。そんな推理はまちがっている」
ぼくははっきりと探偵の主張を否定してみた。大人の意見を真っ向から否定するのは、ずいぶん久しぶりな気がする。
「ぼくは幻覚じゃない」
「本当にそうかい。きみがぼくの幻覚じゃないというのかい。どうやってそれを証明する。探偵であるぼくには、きみがぼくの幻覚であるとしか見えないんだけど。きみは幻覚さ。しかも、凶悪なやつだ。何人も路上で連続殺人をやらかしてきたばかりの生きのいい犯罪者だよ。ぼくの見る虚構の中で、連続殺人鬼として逮捕され、死刑台に送られるのが、ぼくの望んでいる潜在意識さ。きみはぼくのために死刑台に送られてくれたまえ」
汗がだらだらと流れた。証拠は、証拠はない。ぼくは凶器のナイフも持ってないし、ぼくの服には血痕もついていない。ぼくは犯行現場に指紋を残したり、髪の毛を落としたりもしていないし、ぼくが犯行現場にいた証拠は何もない。ぼくは、自分が無実であることを証明するために生きているわけではない。
「ぼくは自分が無実であることを証明するために生きているわけではない」
棒読みのようにぼくがそれを吐き出した。探偵のふざけた推理に対向するためだ。死刑台に送られてなんてたまるものか。たかが、探偵事務所を訪れただけで。
「何をいっても無駄さ。きみはぼくの幻覚で、凶悪殺人鬼で犯罪者なんだ。そうに決まっている。なぜなら、ぼくがそういう依頼人が来ることを望んだまさにその瞬間に現れたからだ」
ぼくは珈琲を飲んだ。探偵助手が二杯目を注いでくれた。探偵の珈琲も入れ替えていく。
「ぼくは、あなたの幻覚ではないことを説明できます。それで、どうか早く、ぼくの依頼であるぼくが生きている理由について教えてはくれませんか」
探偵は笑った。探偵助手も笑った。
「面白い依頼人だなあ、きみは」
探偵はそういう。この探偵は変だ。
「面白くはありません」
ぼくは生真面目に説明する。
「いや、面白いよ。それで、きみがぼくの幻覚ではないと説明してくれるんだっけ」
「そうです」
「やってみてくれたまえ」
「では」
ぼくは息を飲んだ。
「あれは今から百三十七億年前、まだ宇宙が誕生する前のこと。まだ探偵も依頼人もいなかった。ぼくを形作る原形質はその頃から存在し、ぼくはまだ探偵の幻覚ではありえなかった。なぜなら、まだ探偵が生まれていないからだ」
「なんだか、ぼくが百三十七億年生きていたかのような言いぐさだね」
探偵は口をはさんだが、ぼくは無視した。
「探偵が生まれる前に原形質のできたぼくは、探偵の幻覚ではありえないんです」
「それが証明かい」
「そうです」
「ふむ。どうも納得できないな。なぜ、百三十七億年前にきみの原形質があったら、きみはぼくの幻覚じゃないんだい」
「それは、そう決まっているからです」
「ふうん」
探偵が何を考えているのかはわからなかった。目を見ても、まるで想像がつかない。
「よし、ならば捜査しよう。探偵に依頼する以上、調査費用がかかるのはわかるかな。依頼の報酬として、きみからぼくは対価をいただくことにするよ」
それを聞いて、ぼくはちょっと驚いた。
「ぼくは何も持っていませんよ。困ったら探偵を訪ねろといわれたから、ここに来ただけで、探偵料なんて払えません」
探偵はぼくのそんなことばを予想していたかのように答えた。
「うん。別に形あるものをもらうわけじゃないんだよ。捜査をするためには、きみから、きみが可愛い女の子とエッチをする権利か、第三次世界大戦を始める権利かを譲りうけたいと思う。それでいいかね」
「え? え? それが報酬の対価ですか。そのどちらかをぼくから取り上げるのですか」
ぼくは急にひどく怖くなった。
「そうだよ。もう約束したことだからね。まさか、守れないとはいわせないよ。きみはこの先、可愛い女の子と一生エッチすることができなくなることにしてしまおうかと思うんだが」
と、そこで探偵はことばを止めた。もはや、ぼくには不可抗力なので、ぼくは黙っていた。
「やはり、第三次大戦を始める権利の方をもらうことにしよう。きみはこの先、一生、第三次大戦を始めることができない」
「はあ」
ぼくは流されるまま、探偵料を支払った。
探偵は、そこでちょっと席を立った。
「悪いがトイレに行かせてくれ。依頼が成立したところで、戻ったら本格的に捜査に入る」
探偵はそういって部屋を出て行った。
ぼくは探偵助手に、
「あの人、いつもああなんですか」
と聞いた。
探偵助手は、顔をしかめて答えた。
「そうなんですよ。うちの先生は、来た依頼人を全員、自分の潜在意識が生んだ幻覚だと思っているんです」
なんとも、おかしな探偵だ。
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