13

 といいつつ、まだ物語はつづく。

 ゲババはミンクに聞いた。

「アールタイプを作ったのは誰なんだ」

「モルよ。この世界にあるものは何でも、モルかモラが作ったものよ」

 それで意を決して、ゲババはミンクに内緒で、モルをやっつけにいった。

 ゲババとモルの戦いの始まりだ。

「やいやい、モル。今すぐアールタイプを消滅させろ。アールタイプは人類にとって不要なものだ。奴隷のようなロボットだけがいればいい」

 モルが答える。

「それはできない。目的はあくまでも理想郷を作ることだ。その主人がロボットであってもかまわない」

 そして、ゲババとモルの戦いが始まった。

 今回は、ミンクはゲババを応援した。モラですら、ゲババを応援した。どう考えても、ミンクを殺しそうになったアールタイプの存在は悪であるように思えたからだった。ミンクを殺させてまで、アールタイプを生かしておくことはできない。アールタイプを消してしまおうとするゲババに正義があるように思われた。

 子供たちもイネさんもゲババを応援した。いつも勝ち誇っているモルを一度は懲らしめてやれと思って、みんな、モルの反対側についた。モルはたった一人だ。モルを味方するものはいない。孤独。誰も味方がいないという孤独がモルを襲った。それはとてもとても不安で寂しいものだった。だが、正義がモルにあるのなら、いつか必ずモルの思想が勝つであろう。

 信念。モルには信念があった。モルが一生をかけて積み重ねてきた哲学が、自分が正しいのだという信念を持たせた。誰も味方しなくても、たった一人になっても、モルは自分が正しいと思った道を進む。例え、多数決でいえば、モルが負けているのだとしても。

 正義は多数決なんかでは決まらない。みんなが考えて、考えて、いろんなことを試すうちに、正しいやり方というものが明らかになっていくのだ。モルは、正しい道が明らかになるのを待った。

 戦いは互角に進んだ。ゲババもモルも、ちがう理想郷を夢見ているようでいて、同じ理想郷を夢見ているようなものだった。

 例えば、イスラエルとイスラムがパレスチナを巡り争っているのと同じようなものだ。彼らの死後、たどり着く神は両者とも同じ神であろう。両者とも、同じ神を信じて争っていたのだ。

 これは正義についての物語を書くのなら、パレスチナ問題を避けてはいけないだろうという意見を参考に書いているものだ。ぼくの意見では、ガザ地区に銃撃したイスラエルは悪くて、イスラエルはもうガザ地区をあきらめるべきだ。アメリカもフランスもまだイスラエルを支持しているようだけど、イスラエルが自分たちが優位に立っているからといって虐殺を行えば、正義の鉄槌を受けるのはイスラエルであろう。ぼくはイスラエルが西暦二〇〇九年にガザ地区の市民を数百人殺したことを怒っている。悪いのはイスラエルだ。イスラエルの存在は認めてやる。だから、パレスチナはもうあきらめろ。新しく戦争を起こすな。

 日本のマスコミはアメリカについていて、全体の雰囲気としてはイスラエル支持だから、イスラエル兵士の死者が一人でも出ると新聞にのせるが、イスラム側の死者が出ても記事にしない。不公平だ。日本の新聞は、アメリカ軍がイラクやアフガニスタンを攻めた時、アメリカ軍の死者の数は報道するが、イラク側やアフガニスタン側の死者の数を報道しない。不公平だ。死者の数を推定しようともしない。これは、政府による情報統制があるためだとぼくは思っている。まだ、世界に公平な正義は築かれていない。報道の自由すら守られている気配がない。悲しいことだ。もっと頑張れ、正義の使者よ。


 というわけで、ゲババとモルは戦いつづけた。

 モラがモルに助け舟を出した。

「アールタイプを消すことにして、今回は戦いを終わらせましょう。そうすれば、モルを責めるものはいないよ。それで、また平和になるのよ」

「認めない。アールタイプは理想郷を作るのに必要な可能性だ」

 モルがモラの意見を突っぱねた。

 すると、モラがモルの応援にまわった。

「わかったわ。アールタイプは残しましょう。ゲババがまちがってることにして、戦いを終わらせましょう」

 ミンクがいった。

「本当に悪いのはモラよ。彼女はモルを支援することで、自分の手を汚さずにいいようにモルを操って戦っているのよ」

 モルが吼えた。

「バカにするな。モラのためじゃない。おれは自分の意思で戦っている」

 そうだろう。

 ぼくに論戦を挑んだ男は、パレスチナ問題の本当の悪はアメリカだといった。ずいぶん、得意気になっていっていたものだ。しかし、おれは反対した。実際に戦っているのはイスラエルだぞ。実際にガザ地区の市民を殺したのはイスラエルなのだ。その当の本人を差し置いて、支援者であるアメリカのが悪いというのか。イスラエルは独立国家だと思ったが、イスラエルの意思決定はイスラエルの国民によって行われるのではなく、アメリカ政府によって決められるとでもいうのか。それは間違いだと思う。責任は当事者にある。これは絶対だ。イスラエルよりもアメリカが悪いなんてことはない。少なくとも、一番悪いのはイスラエルで、二番目に悪いのがアメリカだ。それでも、たぶん、イスラエルが負けたら、アメリカは責任をとらずに逃げるだろう。

 現代の戦争では、侵略戦争を起こせば、国連平和維持軍が飛んできて、やられてしまう。世界全部が一緒になって、すべての国の平和を守っているのだ。だから、戦争を起こせるのは、拒否権をもつ常任理事国しかいない。ロシアは拒否権をもっているから、グルジア紛争に軍事介入することができたのである。イスラエルの場合は、アメリカが拒否権を発動し、イスラエルの侵略を守っている。現代の世界の構造はそうなっている。拒否権をもたない北朝鮮や日本が戦争を起こせば、国連平和維持軍に負けてしまうだろう。


 ゲババとモルは戦いつづけた。それはいつまでも終わるともなくつづいた。ゲババが一度、モルを仕留める寸前までいったが、モルはそれをかわし生きのび、続いて、今度はモルがゲババを仕留める寸前までいったが、ゲババは危うく逃げて難を逃れた。

 もう二人とも、自分たちがなぜ戦っているのかも忘れかけていた。二人のどちらが正しいのかも、判断することのできるものはいなかった。

 もう、二人に必要なのは、戦いを終わらせる記念日だけになった。記念碑を建てて、仲直りの日をつくるべきなのだ。それで、たぶん、戦いは終わるよ。

 もう、二人のどちらが正しいのかもわからない意義のない戦争と化しているのだ。だったら、あと必要なのは、仲直りするきっかけひとつだろう。

 それで、子供たちは、ゲババとモルに何で戦っているのかを聞いてみた。

 ゲババは答えた。

「アールタイプを消すためだ。ミンクを襲ったアールタイプの存在を許すわけにはいかない」

 なるほど。ちゃんと、ゲババは自分がなぜ戦っているのかを覚えていた。ミンクの安全のためだというのだ。それは正しい主張のように思えた。

 一方、モルは答えた。

「アールタイプはすでに存在してしまったものだから、消すのはまちがいだ。アールタイプは残すべきだ。しかし、アールタイプの人類に対しての侵略は許さない。みんなで一致団結してアールタイプに対抗する。そういうことにすれば、この争いは終わるんじゃないかな」

 モルもまた、自分がなぜ戦っているのかは覚えていた。周りの人々にとって、もう二人がなぜ戦っているのかを思い出せなくなっても、当の本人たちはちゃんと戦っている理由を覚えていた。

 モルはアールタイプを守るために戦っているのだ。

 進化の法則に照らし合わせるならば、邪魔なアールタイプを葬り去るのが正しいといえる。しかし、正義といわれるものにのっとるならば、立場の弱いものも生かしておいてあげる方が正しいといえる。

「つまり、正しいのはモルだったのよ」

 モラとミンクがいった。

「うん、正しいのはお父さんだったんだ」

 子供たちもいった。

 それを聞いたゲババは、それでも戦うのをやめなかった。

 大多数の意見が正義だとは限らない。ゲババは今回は自分の判断が正しいことを信じている。アールタイプを殺し、アールタイプを抹消し、アールタイプを虐殺し、アールタイプを根絶やしにし、アールタイプを絶滅させ、この世にアールタイプの存在を許さないことが正義だと信じている。

 それはアールタイプへのいじめではないか。アールタイプへの虐待ではないか。ゲババの心に疑念がわく。一度、湧き出した疑念はぬぐえない。果たして自分は正しいことをしているのだろうか。また、正義の使者モルにたて突く邪魔者なのではないだろうか。だとしても、だがしかし。

 正義を失ったゲババはそれでも戦う。彼は勇敢なる勇士であるがために。

 振り下ろされるモルのナイフが怖い。突く隙を狙っているモルの槍が怖い。それでも、ゲババは戦わなければならない。爆弾の信管を爆発する前にすべて外してしまうモルが怖い。それでも、ゲババは戦わなければならない。彼は勇敢なる勇士であるがために。

 正義を失ったゲババはまだまだ戦う。それが勇気と呼ばれるものであるであろうから。

 正義を失い、ただ勇気だけが残った。

 正義のない勇気を人は何と呼ぶであろうか。横暴、蛮勇、そんなことばで呼ばれるのではないだろうか。そんなゲババはやはり負けるべきなのであろう。

 地獄のような現実の戦場におとされた人は、この世界に正義があれと願う。自分が無惨に殺されていくのなら、せめて正義が勝てと願う。

「正義なんてものはこの世に存在しなくて、この世界は弱肉強食の食い合いの世界だ」

 と思っているなら、それはまだ地獄の現実を体験したことのない甘ちゃんの世界だ。本当に自分が全力を出しても勝てないような状況に遭遇したものは正義の救済を願う。ぼくを助けてくれと誰かが救いの手を差し伸べてくれることを願う。だって、世の中には、どうしても自分では解決できない難問というものが存在して、それにぶち当たった時、人は他人の助けを求めるものなのだ。

 一人で生きていけるものなどいない。いるとしたら、原始人のような無人島での漂流生活のようなものになるだろう。我々は社会の仕組みに組みこまれて、一個の歯車として回転するしかない。我々一人はそれだけ非力な存在だ。ぼくの高校の先輩がいっていた。ぼくらは社会の歯車にすぎないが、歯車一個一個は自分の力で回転している、と。ぼくはこの高校の先輩をちょっと尊敬している。いいことばを後輩に残してくれた。

 必要なのは、弱者を救ってくれる救済の安らぎである。これは絶対に必要なものだ。もちろん、弱者を救う救済は進化の法則に反している。だが、それが存在することが人類の幸せであるということだ。

 困ってる人を見かけたら助けてあげろ。お互いに助け合え。それが進化の法則にも勝つという人類の発見した不思議な力なのだ。ぼくはこれをここでは正義と呼ぼう。

 残酷さを求める、理不尽を求める、そういう嗜好が世間にはある。誰だって、上辺だけのきれいごとで書かれたゴミクズのような物語には興味がない。欲しいのは現実の残酷さを描いた物語だ。だが、弱肉強食の進化の法則を描いただけでは、物語はまだまだだ。一度はそういうものを体験するのが人生の儀式かもしれない。だが、ぼくらは求める。弱肉強食に対抗できる正義というものの力を。だから、小説家や漫画家は慣習のように書き加える。自分の主人公に、正義というきれいごとを。

 でも、それが人々に安心感を与えるのだ。弱肉強食では、ぼくたちは生きてもいないよ。すぐに死んでしまって、文明崩壊だ。人類の生活は、原始時代に逆戻りさ。数百年前までは、ぼくらは砂糖すらない生活を送っていたんだ。砂糖のない生活がしたいかい。

 だから、正義が人類の上に君臨する。

 正義が勝たなければ、人類の文明は急速に衰退し、不況を迎え、治安は悪化し、弱肉強食の淘汰が始まるようにできている。その淘汰に生きられるものはほとんどいない。誰だろうと、生身の身をさらけ出して生きている。いつ死んでもおかしくない。だから、正義が勝たなくちゃいけないんだ。

 悪が人類を覆い尽くしたら、数年で人類は絶滅する。悪とはそれほど恐ろしいものである。

 ミンクはゲババが勝てばいいなあ、とちょっと思った。

「ダメ。ダメよ、ミンク。正しいのはモルなのよ。働くお父さんのモルが正しいのよ。ゲババなんかを応援しちゃダメ」

 ミンクの中にほんのりとゲババへの愛が芽生えていた。ゲババへの愛と、モルの正義への敬愛が葛藤していた。ミンクはどちらを応援すればいいのだろう。

 ゲババを応援するなら、ミンクは世界を滅ぼす悪魔の使いとなろう。モルを応援するなら、ミンクは一生脇役でいるだろう。さあ、どちらを応援するべきか。

 どちらが正しいのか、もうわからなくなっちゃったら、そうしたら、必要なのは後は仲直りするきっかけだよ。二人が争うのをやめるための記念日と、記念碑があれば、戦いは終わるのではないかな。

 つまり、必要なのは終戦記念の偶像だよ。

 モルが終戦の記念碑をつくった。

 すると、

「まいった」

 ゲババがいった。

 ゲババはもう戦えないぐらいに傷ついていた。モルに与えた傷よりも、自分の傷のが深いことを知っていた。

 ゲババの負けだ。

 これが人生だ。これが歴史だ。


 進化の法則によれば、アールタイプは淘汰されて死ぬべきだといえる。パレスチナ問題も弱肉強食の生存競争で生き残ったものが良いものだといえる。しかし、正義があるのは、アールタイプすら助けようとするモルであるし、パレスチナで人が死なないように努力する者たちが正しいといえる。


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