11
気がついたら、ゲババとミンクは生きていた。治療が間に合ったのだ。
「よかった」
ゲババはひとこと発した。
それから、周りを見まわす。ミンクが隣で横たわっており、モラと子供たちが看病をしていた。自分もモラに優しく看病してもらう。悪くない気分だ。もし、モルが生きていて、モラを今でも抱いているのではなければ。
ゲババはまだモルが生きているのだと思うと、心の底からモルが憎くなってくるのだった。モルなんて死んでしまい、モラが早く自分のものになればいいと、ゲババは思った。
「なんで、おれまで助けてくれるんだ、モラ」
ゲババは聞いた。ミンクはその答えを耳をすまして聞こうとした。モラはぬるま湯につけたタオルをしぼりながら、にこやかな笑顔で答えた。
「わたしたちは誰でも生きているものなら助けるのよ。それの何が不思議なの」
「だって、おれみたいな働きもしない何の役にも立たない怠け者を助けても意味がないじゃないか。本当はおまえたちは、おれなんて死んでしまえばいいと思ってるんだろ。それをわざわざ助けたりして、偽善者ぶるから、余計な面倒に足を捉まれるんだ。おれを殺しておくべきだったよ、モラ。モラは、おれがどんなに悪いやつなのかわかってないんだよ」
「卑屈になることはないのよ、ゲババ。どんな性格の人がいても個性だわ。それを受け止めるだけの覚悟がわたしにはある。遠慮しなくてもいいのよ」
「だったら、おれと結婚してくれよ。モルと別れてくれ」
モラは困ったような顔をした。
「それはダメよ、ゲババ」
「おれと浮気しようよ、モラ」
「無理。わかって、ゲババ」
「好きだよ、モラ」
「駄目。わかった。それ以上いったら、口をきいてあげないから」
「うん。わかったよ。ちぇっ」
ゲババは誰もいない方へ体を向けて、顔を背けた。
「でも、本当になんでおれなんか助けるんだ。おれなんて生きてる価値ないじゃないか。そんなおれを何で助けるんだ」
「それはね、ゲババ。昔、古代の賢者がすべての人を平等に愛するようにいったのよ。わたしたちはその教えを聞いたおかげで繁栄したの。まだ、なぜ、その教えを聞くと繁栄するのかの理由はわからないけど、それが正しい教えなのよ。少なくとも、進化の法則よりは正しい法則なの。だからよ」
「ちぇっ。モラは変に賢いから嫌いだあ」
「もう、ゲババってば、すぐすねるんだから」
それから、ゲババとミンクは怪我が治るまでずっと治療を受けていた。二人とも、自分たちが人類を裏切ってアールタイプのスパイになっていたことを黙っていた。それを知られたら、モルに殺されるだろう。
面白い。怪我が治ったら相手してやる、モルめ。そうゲババは思った。
でも、ちょっと怖いな。やめておこうかな。そうゲババは思った。
「古代の賢者の教えかあ。それがなぜか現代の科学よりも正しくって、それで世の中が動いているんだろうな。不思議なものだ。モルやモラの論理より賢いことを考えた人が過去にいたなんてな。そいつらにおれたちが操られているなんてな」
ちょっと寒い風が吹いた。
「もし、その古代の賢者の教えがまちがいだったら、モルもモラも死んで、人類はもう一回、一からやり直すんだろうな」
ゲババはひとりごとをいった。誰も聞いてはいなかった。
「おれなんて、放っておいてな」
ただ、ゲババは一人寂しく、野原を歩いた。
近代になって、性の解放という運動が広まっていったため、若い者は勘違いしがちだが、我々が思っているよりは、遥かにまだ強く一人とだけ付き合い結ばれるという習慣は根強く残っている。モラは一生、モルを愛するともう決めてしまっているのだ。そこにゲババが入りこむのは難しかった。
だが、これは難しい愛の問題だ。ぼくの苦手な愛の話だ。愛の話はぼくに聞くより別の人に聞いた方がきっと現実的なことを教えてくれるだろう。
「正義と悪はどちらが先に生まれたのだろう。正義が生まれる前は、世界を進化の法則が支配していて、それは一見、弱肉強食の悪の世界に見えるけど、実はそれは人類を誕生させたとても大切なものだった。だから、正義の誕生の前には悪はなかった。ある時、古代の賢者が進化の法則より優れた何かを探し出し、教え広めた。それが正義と呼ばれるものだ。以後、正義に反するものが悪と呼ばれた。正義は、悪より先に誕生したんだ。そうだ、きっと、そうだ」
ゲババは歩いた。
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