最終話
彼女の家へ近づくと、そこにはかなり異質な光景が広がっていた。
パトカーが往来し、真っ暗な道が赤い光によって染められていく。
警察官も、度々往来をしている様子が見て取れる。
その変化に、僕は驚きを隠すとができなかった。
彼女の家は、僕が生活の中で幾度と無く通ってきた道の近くにある。
そこは閑静な住宅街で、普段はパトカーを見かけることすら難しい地域なのだ。
ただ、今宵は赤く染まる道路が、不気味な雰囲気を漂わせている。
『本当にこのまま家に帰ってしまって大丈夫なのだろうか…』
知らない彼女の家に入る罪悪感、そして何より自分が見つかる恐怖が、僕の足を氷の様に固めていった。
それと同時に、映画で見たワンシーンが頭の中に入り込んでくる。
『入れ替わり』の現象を不老不死と捉え、警察等の権力を自由自在に操る大富豪に狙われる主人公。
そして、目の前を見る。
そこには二人の警察官が周りを見回しつつ、ヒソヒソと小声で何かを話している。
それは、まるで僕を捉えるための作戦を立てている様に見えて、仕方がなかった。
『もしも捕まってしまったら』
その思考をし始めた僕を、止めるものは誰も居なかった。
数々の拷問や人を人と思わぬような人体実験の映像が頭の中を駆け巡る。
そこから沸き立つ恐怖感が、自分の足を更に硬く、そして脆くしていった。
一歩でも動いてしまったら折れてしまう細い氷の様に、僕の足はその場から動く事を許さなくなっていた。
そんな中思い出したのは、自分の顔であるにも関わらず、鈴の音を響かせるような美しい声をする彼女の姿だった。
彼女はきっと自分の部屋にいて、もとに戻る方法を必死で探しているはずだ。
彼女の抱く恐怖は僕の比では無いだろう。
それを乗り越える彼女の努力を決して無駄にしてはいけない。
そう思うだけで、自分でも信じられないぐらいの決意と勇気が炎の様にメラメラと燃え上がってくる
『決して見つかってはいけない。』
恐怖感で氷の様に固まった足を、決意と勇気の炎で少しずつ溶かし、彼女の家に歩みを進めていく。
警察官に見つからないように、できる限り息を潜め、足音を立てず、心臓の鼓動も最小限にして、誰も通らない汚れた裏路地をかき分け、ようやく彼女の家の目の前にたどり着いた。
ただし、難関はここからである。
彼女の家に向かうためには、必ず警察署を通る必要がある。
そして、警察署には、沢山の警察官が待機している。
まるで、獲物に群がるハイエナの様だ。
捕まるかもしれない恐怖感を全身が包み込むが、自分の中にある最大限の勇気を振り絞る。
一歩進めば振り返り、また一歩進めば振り返るを繰り返し、歩みを進めていく。
振り返るたびに、尾行されていない事に心をなでおろし、彼女の家に歩みを進めていく。
時々突き刺す様な視線を感じ振り返るが、警察が追ってくる姿はない。
警察署の前を通り過ぎ、彼女の家の前についた。
その時の僕は、母親に抱擁されているかの様な安心感に身を包まれ、全身から力が抜けるのを感じた。
倒れ込みそうなのを気合で抑えながら、僕は彼女の家のドアノブをひねった。
だが、ドアは開かない。
僕がドアより先の世界に入るのを拒むかの様にドアは固く閉ざされている。
何度回しても、ドアは無機質にガチャガチャと音を出すだけである。
決して僕をその先へと進めてはくれない。
開かないドアに動揺している最中、左肩を叩かれた。
伝わってくる布の感触、後ろの方で聞こえる無線の音声。
全身から抜けてた緊張に利子がつき、全身をこわばらせた。
そして、僕が振り返る前に左肩を叩いた人物声をかける。
「君、ちょっといいかな。」
僕は、震える声を出来る限り抑えながら
「大丈夫です。」と答えながら後ろを振り向いた。
そして、後ろの光景を見た時に僕は全てを諦めた。
僕の肩を叩いたであろう警察官の奥に、鈴の音の様な声がよく似合う綺麗な女性が佇んでいた。
そして、その女性の手元には、全く似合わない使い古したトートバッグ。
「君、名前は?」
僕は警察官の質問に全て正直に答える。
そんな中、トートバッグについている鈴の音だけが僕の頭に響き続けた。
僕の名前は… ひよこ(6歳) @shota0229
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