第二話、日常が非日常に
真っ暗闇な道の中、目の前に僕が居る。
そんなはずは無いと思いながら、何度も真正面に居る人間を、改めて見た。
所々色あせている、膝下あたりに小さな穴が空いているパンツ。
オタクとはこういうものだ、と意思表示をしている、チェック柄の赤いシャツ。
全体的に吹き出物が出ている顔。
そこに、僕が居るという事実は、覆ることはなかった。
そして、僕は、心配そうにこちらを見下ろしている
映画を沢山見ておいて良かったと、心の底から思っている。
常識を逸した現象が目の前に起こったとしても、自分の頭は平然と働いてくれているのだ。
そもそも、映画を沢山見るということは、主人公の経験を、追体験しているに等しい。
つまり、映画を大量に見ている僕からすれば、こんなものは日常茶飯事なのだ。
「今まで見てきた中に、必ずヒントがある。」
そう小さな声でつぶやきながら、今見えている光景から、なにかヒントは無いものかと必死で探し続けた。
ただ、あたり一面は殆ど真っ暗な世界で、何も見える状況では無い。
見えるのは、スマホのライトで照らされているかすかな地面と、目の前に居る自分の姿だ。
感じることが出来るのは、頭にある鈍い痛みと、地面から両手に伝わるひんやりとした感覚だけだ。
ただ、一つだけ気になる事があった。
声だ。
自慢では無いが、僕の声は一般的に言われる『いい声』というものでは無い。
小学生の頃、「ヒキガエルが喋っている」と友達に言われ、それ以来、あだ名が『ヒキガエル』となってしまったぐらいだ。
ただし、僕の安否を問う声は、鈴を震わせたような声だった。
きらびやか音色で、それでいて透き通っている。ずっと聞いていたくなる様な声だった。
決して僕の出せる声では無い。
そこからは、今まで得てきた情報と、自らが映画の中でした追体験を元に、パズルを組み合わせるだけだった
そして、僕は一つの結論にたどり着いた。
「入れ替わってますね。」
僕は目の前に居る自分に向けて、言い放った。
自分が困惑している。
その姿を見て、僕は冷静さを少し取り戻した。
そして、再度自分に言い放った
「だから、入れ替わっています。」
自分は目を丸くしながら、僕の事を只々見つめている。
僕は、察しの悪い自分に少し腹を立てながら、目の前に居る自分に、ゆっくりと、はっきりとした口調で言い放った。
「だ、か、ら、僕たちは入れ替わっているんです!」
「は、は〜。」
目の前に居る自分は、気の抜けた声で返事をしている
その声は、鈴の音から、吹くと音がなる駄菓子の様な声に変わっていた。
こいつは、今僕たちが、どれほど大変な状況にいるか、全くわかっていない。
『こいつに、早く現状を認識させて、今後の指示をしなくては。』
そして、目の前に居る自分の肩をがっと掴みながら、入れ替わっている現状、今後戻らない可能性があることを、説明していった。
その様子は、傍から見れば、何もわからない子供を、諭している様に見えるだろう。
「それは大変ですね…」
目の前に居る自分の声が、震えている。
そして、野ねずみのように怯えていた。
それも無理は無いだろう。
人は理解出来ないものに対しては、怯える事しか出来ないのだ。
入れ替わりを戻す方法とは、各種映画によって異なっている。
いきなり入れ替わりが戻るかもしれないし、なにか条件が無いと入れ替わりは戻らないかもしれない。
そう考えた時、まずはこの人との信頼関係を構築することが重要だと考えた。
今の心理状況だと話をする事が難しいと判断したので、まずは目の前に居る自分について知る必要がある。
「お名前はなんて言うんですか?」
僕は、最初に彼女にそう訪ねた。
彼女は急に声をかけられたことにびっくりしたのか、「ひっ!」という声を上げ、その後うろたえとまどいながら、小さな声で答えた。
「香川 りなです。」
「声に似合った、素敵な名前ですね。」
そう僕が答えた。
そのリアクションに驚いたのか、彼女素っ頓狂な声を上げた。
その後、言葉の意味が理解出来たのか、僕に向けてニコッと笑っていた。
自分の姿で僕に笑いかける様子、なんとも滑稽である。
その後も香川さんについて、色々聞いていった所、様々な事がわかった。
・香川さんは、女性であること。
・実家に住んでいる事。
・夜道が少し怖いこと
・ストーカーに昔遭ったことがあるということ。
他にも彼女について色々と知ることが出来た。
また、彼女の緊張もほぐれた様子が伺えた。
まだ彼女の声は少し震えていたが、野ねずみのように怯える様子も無く、真っ直ぐに僕の事を見つめながら応対もしてくれる。
そこまで出来るのであれば、一応コミュニケーションは取れるだろう。
そうしたら、今後の事も話しをしなくてはならない。
まず、入れ替わりの時に一番大事なポイントは、『疑われないこと。』である。
入れ替わりが周囲の人に伝わってしまったら、ろくな思いをしない。
その事は、数々の映画が証明している。
なので、入れ替わりがばれないように、香川さんが僕の家に、僕は香川さんの家に帰るという事を提案した。
香川さんのリアクションは、苦虫を奥歯で噛み締めた様な顔をしてる。
どうやら、心底嫌なのだろう。
それもそうだ。
年頃の女性の家に、僕みたいな男が勝手に入るのだ。
誰だって嫌だろう。
「絶対に何もしないから!」
そういい切る事しか出来なかった。
彼女も諦めたのか、首を縦に振りうなずいた。
今後の事は後ほど考えるとして、今日は解散しようとした時、一つだけ忘れている事があった。
かばんを交換し忘れていたのだ。
入れ替わったと自覚をしていなかったので、彼女は自分の鞄をとったのだろう。
自分の体に似つかわしくない、なんとも可愛らしいリュックを背負っていた。
つまり、僕は彼女の可愛らしい容姿に、ボロボロのトートバックを下げているのだ。
可愛らしい鞄を持って出ていったのに、ボロボロのトートバッグで帰宅するなんてことがあれば、相手の両親から真っ先に疑われてしまうだろう。
「お互いの荷物を交換しましょう」
そう彼女に言った。
彼女は、驚きの表情を見せながら、自分のバッグを大事に抱え始めた。
その様子は、まるで愛する我が子が殺されないように、身を挺して守っている母親のようだった。
『そんなに大事なものが入っているのか。』
リュックを大事に抱きかかえている自分を見ながら、自分が可愛らしいリュックを姿に少し滑稽な気分に浸っていた。
ただし、『疑われないこと。』を達成するためには、不安な要素を一つだけでも減らしておきたい。
そこで、一つ自分に提案をした
「中身はそのまま持っていてもいいので、鞄だけ交換しましょう。」
その提案に彼女は渋々うなずき、鞄の中身を全て取り出し、リュックを僕に差し出してきた。
僕のトートバックの中身はノートだけだったので、出さずにトートバックを渡した。
正直読まれることも覚悟はしている。
ただ、これを読んで少しでも僕の事を知ってもらえれば、今後の入れ替わり生活に役立ててほしいと願いバッグからは出さなかった。
そうして、僕たちはお互いの家に帰るのであった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます