第83話 ミスターシャドウの苦悩

 まずい……!!


【くっ殺カンパニー】の秘書、アキラは焦り混じりの表情で、足早に廊下を駆けていた。


 ま、まさか牧野杏の懸賞金が取り下げられるなんて……!!

 これでは今までの襲撃で掛かった人件費がすべて無駄になる……!!

 つまりそれは……。


 ーー赤字。


 アキラの脳内に、その二文字が浮かんだ。


 それは駄目……!! ようやく事業が軌道に乗ってきたのに、ここで多額の赤字を出すワケにはいかない!!


 いや、待て。


 と、そこで足早に動いていたアキラの足が止まる。

 彼女は思い出した。


『目先の合理性にばかり目を向けるな』


 自身が敬愛する社長の言葉を。


 まさか……シャドウ様はこうなることまで織り込み済み……!?


 社長への絶大な信頼が、アキラにそう思考させる。


 いや、きっとそうに違いない!! その上で、あの方は先を見据えているんだ……我々【くっ殺カンパニー】が勝利する未来図を!!


 そしてそれは、即座に確信へと至った。


 くっ……お許しくださいシャドウ様。このアキラ、二週間前同様……またしても貴方様の深いお考えを汲み取ることができませんでした!!


 自身のあまりの不甲斐無さに、アキラは唇を噛み締め、懺悔ざんげするよう目をつぶる。

 そして上を見上げ、ゆっくりと息を吐く。


 落ち着け、落ち着くのよ。私がシャドウ様の隣に立つ秘書としてまど未熟なのは自覚済みのこと。故に、今の私がすべきことは、シャドウ様が想定済みであるこの事態を冷静に受け入れ、報告し、指示を仰ぐこと。


 天井の薄暗い明かりをまぶたの裏で感じながら、アキラは自らの行動を定めた。


 ……よし。


 平静を保った彼女は先ほどとは打って変わり、ゆっくりとした足取りで廊下を歩く。


 コンコン。


 そして目的地である部屋の前にたどり着き、ノックをして入室した。

 瞬間、彼女は目にした。


「失礼します。シャドウ様、ご報告が……」

「どぉしてだよおぉぉぉぉぉぉぉ!!!!」


 頭を抱え叫ぶ、ミスターシャドウの姿を。


「シャ、シャドウ様……?」

「はっ!?」


 アキラに声を掛けられたことで正気を取り戻したのか、ミスターシャドウは目を見開き「ごほん」と咳ばらいをしながら、椅子に座った。


「ど、どうしたんだいアキラ。そんなに慌てて」

「いえ、慌てていたのはシャドウ様かと……」

「そ、そうだったかなぁ!? は、はははははぁ!!」


 アキラの的確な指摘に、ミスターシャドウはわざとらしい大声を上げながら笑い、クルクルと椅子を回す。


「そ、それでなんだい? 報告というのは」

「はい、牧野杏の懸賞金が取り下げられたことです」

「うぅ!?」


 アキラがそう言った直後、ミスターシャドウはビクリと肩を揺らした。


「シャドウ様にとっては想定通りの事態であることは重々承知しています。ですが、まだ私では貴方様の崇高で偉大なお考えに至ることができません。どうか、ご指示を」

「は、はは。指示、指示ね」


 乾いた笑いを浮かべるミスターシャドウ。

 対し、彼は……。


 いや、全然なにも想定通りじゃないがこの状況!? 予想外過ぎて頭抱えてたんだがぁ!?


 心の中で痛切な叫びを放った。


 本ッ当に意味が分からん!! なんで懸賞金が取り下げられてる!? 

 

 ミスターシャドウの脳内が「?」で埋め尽くされる。


 だがその中で、彼は対処しなくてはならぬ事案に対し、なんとか結論を出した。


 と、とりあえずアキラには本当のことを言おう……そして一緒に考えてもらおう。


 そう思い、口を開こうとした瞬間、


「……」


 ミスターシャドウは見た。自分の秘書が絶大な信頼の目を向けていることに。

 

 ……。


「ははは、分かってるねアキラ。君の想像通り、これは想定の範囲内さ。さ、それじゃあ今から指示を出そう」


 なぁにを言っているんだ俺はぁ!?


 気付けば、出した結論とまったく違うことを言い放つ自分に、ミスターシャドウは自己セルフ指摘ツッコみを入れた。


 やっちまったぁ!! 秘書の前で良いカッコしたいっていう欲望が口から洩れたぁ!!


 ミスターシャドウは一秒前の自分の発言に、激しい後悔を覚える。


 なにが「それじゃあ今から指示を出そう」だよ!! なにも考えてねぇよ指示なんて!!

 ……こうなったらもう、適当に指示をでっち上げて言うしかない!!

 口から出まかせ、出たトコ勝負だ!!


 そして、ミスターシャドウが口を開いた瞬間……。


 ピロン♪


 闇サイトの更新通知音が鳴った。


「シャ、シャドウ様!!」

「ん……?」


 アキラに促されるように、ミスターシャドウは設置してある大画面のモニター、そこに表示されていた懸賞首一覧に目をやる。


「……え」


 そこには、賞金取り下げによって一覧から消えていた牧野杏が、再び掲載されていた。


 ど、どうなってるんだ……!? い、いやあそこに表示されたということは、再び賞金が掛けられたという意味だ!! つまり……!!


「アキラ……見てのとおりだよ。取り下げられた牧野杏は再び懸賞金が掛けられ、賞金首になった。だから俺から出す指示は、「変更なし」。変わらず、刺客たちを彼女の元へ送り続けるんだ」


 キラン、と効果音が生じるような目を、ミスターシャドウはアキラへと向けた。


「さすがですシャドウ様! やはり全てを見越していたのですね!」

「ははは! モチロンさ!」

 

 感動するアキラに対し、ミスターシャドウはクールに髪をかき上げる。

 ーーが、


 た、助かった……!! 本当に助かった!!

 それにしてもなんで取り下げられた懸賞金がまた掛けられたんだ?

 ま、まさかまた取り下げられたりしないよな!?

 た、頼む!! それだけは、それだけは勘弁してくれよぉぉぉぉ……!!


 その内心は、まったくもってクールではなかった。

 


 守る者。

 襲う者。

 そして、たのしむ者。


 かくして各々の思惑は入り混じり、混沌を成す。

 

 ーーそして、始まるのだ。


 年に一度の、オタクたちの祭典が。


 8月12日、『コミケ』当日。

 コミケ当日にして、牧野杏の懸賞金が取り下げられるまで残り1日。

 

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