第80話 その陰キャ、少しだけ殻を破る

 牧野さんのエンジンが掛かって早数時間、彼女は飲み食いを一切せず、ただただ凄まじい熱量で作業を続けていた。

 その背中には修羅が見える。追い込みを掛ける作家というのは、こういうものなのだろうか。


 そしてそこから約二時間後、日付が変わって八月五日。


「よし、これでデータを柿崎さんに送ってぇと……うぉぉぉぉぉぉ終わりまし、たぁぁぁぁぁぁ……」


 干からびたような声で、牧野さんはパタリと机に伏せた。


「お疲れ様です牧野さん! 大丈夫ですか!?」


 そんな彼女に、僕は駆け寄り声を掛ける。


「だ、大丈夫……れすぅ。作業が終わって、その反動がきただけぇ……」


 そう言って牧野さんは目を瞑り、そのまま眠りについた。


 考えてみれば、彼女はここ数日随分と根を詰めて作業に没頭していた。

 こうなるのも無理はない。今は寝て身体を休ませるべきだろう。


「すみません牧野さん。失礼します」


 さきに謝罪をした僕は、椅子に座ったままの彼女を持ち上げ、そのままベッドに運んだ。

 横になった彼女は、すやすやと寝息を立て、そのまま深い眠りへと落ちていった。


「お疲れ様です」


 そして、そんな彼女の寝顔を見ながら、僕はそう呟いた。



 八月五日。

 牧野杏の懸賞金が取り下げられるまで残り八日。


「ん、んぅ……」


 杏は重いまぶたをゆっくりと開いた。

 寝起きで思考と意識が定まらない彼女だったが、


「おー、起きたか」

「……」

「よぉ」

「……」

「おい、なんか言えよ。なんだユーレイでも見るような目ぇしてよぉ」

「……ひ」

「ひ?」

「……ひぃぃぃぃぃ!!」


 その声と、目の前にいた少女……龍子の姿に、脳は強制的に覚醒した。


「ご、ごめんなさいごめんなさい……! だ、だからぁ乱暴しないで……!」


 毛布を頭からかぶり、その中でプルプルと震える杏。

 そんな彼女を見て龍子は溜息を吐く。


「おいおいなんでそんな怖がってんだよ。アタシはお前を護衛してるんだぜ」

「そ、それは分かって……るん、ですけどぉ……。あ、あのぉつ、辻堂さん……ど、どうして、ここに……? ゆ、唯ヶ原さん、は……?」


 恐る恐る、毛布越しに龍子を見る杏はそう問い掛けた。


「あー、アタシが同じトコグルグル回ってんの飽きたって言ったらよぉ。ここでお前を守れって言われたんだよ」

「そ、そう……なんだ」


 龍子の説明に、杏は納得する。だが未だ、緊張は解けない。

 オタク気質で引っ込み思案の杏にとって、ガラが悪くグイグイとくる龍子は苦手なのだ。


「ふわぁ~。にしても暇だなぁココ。なんもねぇし、もう飽きたわ。これなら外にいた方が良かったぜ」

「ひぃ……!?」

 

 杏が潜り込んでいるベッドに背中からダイブする龍子。

 縦横無尽なその行動に、思わず杏は声を上げる。


「……」

「……」


 き、気まずい……。


 静寂が支配するホテルの客室で、杏は心底そう思った。

 特にコミュ症の彼女にとって、この状況シチュエーションは辛いモノがあるだろう。


 なにか気を利かせて話すべきなだろうか。だが相手を不快にさせないだろうか。

 そんなことばかりを考え、杏は動き出せないでいた。

 ――だが、そんな時。


「あー、そういや本? だっけか。もう作り終わったのか?」

「え……」

 

 静寂を打ち破るように、龍子が口を開いた。

 まさか向こうから話を振ってくれるなど微塵も思っていなかった杏は、意外そうに少し目を見開く。


 たが、これは幸運。

 乗せられるように、杏もまた言葉を返すことにした。


「は、はい。完成データは、柿崎さんに渡したので……あとは、印刷待ち、です」

「ほーん。よく分かんねぇな。なに描いたんだ?」

「え、えぇと……その、イラスト……です」

「イラスト? 本って言うから漫画かと思ってたけど、ちげぇんだな」

「あ……は、はい。今回出すのは……イラスト、集……です。わ、私の……す、好きなモノをた、たくさん……描き、ました。ひゃ、百枚……新規、書き下ろし……です」

「へー」


 イラスト百枚新規書下ろし。

 それがどれほどの作業量であり、どれほど凄まじいことなのか、そっち方面に全く知見の無い龍子には分からない。

 

 だが、そんな彼女でも、言えることがあった。


「百枚か……そんだけ描くってことは、よっぽど絵ぇ描くの好きなんだな。お前」

「う、うん……す、好き」

「好きになった理由とかあんのか?」

「え、えぇと……」


 龍子の問いに、杏は言い淀む。

 

「別に、答えたくなきゃいいけどよ」

「あ、う、ううん。だ、大丈夫……別に、隠すような……ことでも、ないから」


 そう言って、毛布を被ったまま、杏は話し始めた。


「わ、私のお父さんと、お母さんって……いつも、忙しくて……だ、だから、あんまり……家に、いなくて。私、いつも、一人、だったんです。それで、私…‥もともと、こういう、性格だから……学校、行く以外は……いつも、家にいて、一人でゲームとか、漫画とか、アニメとか観て、過ごして、たんです。それで、ある時、『絵』に興味を持ちました。漫画も、ゲームも、アニメも……全部、絵があったから、それで、気になって」

「なるほどな。それで描き始めて、有名? になったワケか」

「い、いや。有名……に、なったのは、もう一つ、別のキッカケが……あって。わ、私が絵を描き始めて、しばらく、経ったあと、その……Vtuberが流行はやって、観てみたら……面白くて。それで、なんかリスナーさんが、ファンアート描いてから、私も……いつも楽しませてもらってるお返しで、描いてTwitterに投稿してみたら……それが、すごい拡散されて……」

「なんで段々声小さくなってんだよ」

「ご、ごめんなさい。なんか、自慢話に聞こえちゃうかもって、思って……」

「別にいいだろ。自慢話に聞こえたって」

「……え?」


 あまりにも予想外な龍子の言葉に、杏はポカンと間抜けな声を上げる。


「てめぇの絵が広まったってことは、それだけてめぇが良い絵を描いたってことだろ。なら、胸張ってろ。自分を落とすな。堂々としてろ。じゃねぇと、てめぇのために動いてくれてるアニキにも、同じように絵描いてる奴らにも失礼シツレーだ」

「……」


 瞬間、杏の脳内でなにかが割れるような音が響く。衝撃が、頭を駆け巡った。

 

「つ、辻堂、さん……」


 そして気付けば、彼女はその名を呼んでいた。


「あん?」

「あぅ……そ、その、私……コミケに参加しようと思ったのは、自分を、変えたかったから……なんです」


 牧野杏は、自分という人間を、理解していた。

 引っ込み思案で、自信が無くて、人目を気にして、人と話せば相手を不快にさせないことばかりを考え、自分を主張することはない。

 

 そんな自分を脱却する一歩として、杏はコミケに参加することにしたのだ。


「でも私、今日まで全然、なんにも……変われて、ない。人と話すの、苦手なままで、自信も、ないです」


 いつもの杏ならば、そこで口を閉じる。自分を下げて、終わる。

 ――だが、彼女の言葉はそこでは止まらなかった。


「け、けど……辻堂さんの、おかげで、少し、自信……湧きました。私、が、がんばります……! だ、だから、ありがとうございましゅ! あ、噛んじゃった……」


 緊張を抑えつけ、無理やり話したからか。これまでで一番メチャクチャな言葉遣いを披露する杏。

 

「……ぶふぅ!」


 対し、龍子はたまらず吹き出した。

 

「はははははっ! なんだよその言い方ぁ!」

「ふぇ!? あ、あのこういうの初めてでぇ……わ、笑わないでぇ……!」

「はははははははははは!!」


 杏の制止虚しく、龍子の愉快な笑い声は彼女たちのいる客室中に響き渡った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る