第59話 友(ダチ)のため(SIDE隼太&誠二)

 柿崎隼太。

 彼の足は、誰が見ても分かる程にすくんでいた。


 無理も無い。

 目の前にいるのは間違いなく、彼が生きていれば交わらないであろう異常な異形。

 加え誠二の方が劣勢ともなれば、なおさらだ。


 ど、どうすればいいんでこざるかこの状況……!!


 隼太は内心で切実な思いを叫ぶ。

 だが、打開策を考えたところで無意味。彼は今、動くことができないのだから。


 素人目の拙者でも分かる……。あの少女、脅威ヤバいでござる……!!


 しかし、隼太は思考を止めることができなかった。

 

 このままでは、咢宮殿が……!!


 目の前で起ころうとしている咢宮の危機。

 想像したくもない未来の光景に、隼太は内側から何かが込み上げそうになっていた。


 しかし、それを本能が制止する。

 恐怖が、不安が、不快が、緊張が、困惑が、絶望が、彼の心の臓を掴む。


 やがて、隼太は悟る。

 自分には、この状況を変えることはできないと。


 強張っていた身体が、無力感に打ちひしがれたことによる脱力を始めた。


 そうで、ござる……。自分に、何ができるというでござるか……。


 意気消沈、とでもいうべきだろうか。

 隼太は顔を俯かせた。


 誠二がやられ次来るであろう自分の番を、ただ淡々と待つ存在へと化そうとする隼太。

【傀儡父母】を受けていないにも関わらず、彼は既に人形のようであった。


 ーーいいのか、それで。


 だがそれを、阻むモノがあった。

 その正体は紛れも無く隼太自身。彼からの、問い掛け。


 ふと、隼太は想起する。

 それは一ヶ月ほど前、優斗たちに虐待イジメを受けていた所を、誠二が助けてくれたことを。


 咢宮殿は……こんな拙者を、助けてくれた。

 見過ごすことだってできたはずなのに、何一つ接点など無かったはずなのに。


 そこに、隼太の中に今までとは違う、熱い何かが込み上げる。


 拙者は、何故止まっているでござるか……!!

 今、今動かないと咢宮殿がやられてしまう……!!

 また、あの時のように……!!


 さらに、隼太は想起する。

 優斗たちに一方的虐待リンチされた誠二を目にして、動かなかった……否、動けなかった無力感を。


 もう、イヤでござる。

 自分を助けてくれた恩人が、目の前でやられているのを、黙って見ているなど……!!


 隼太は再度顔を上げ、敵を見る。


 相手は、自分をイジメていた優斗たちよりも遥かに凶悪な化け物。

 動くことが、どういうことか。

 隼太は頭で嫌というほど理解している。


 だが、そんなモノは……些細なことだった。


 何も出来ないとしても、無意味なことだとしても……それは、何もしないことの言い訳にはならない。


 それを、理解したから。


 動け、動け、動くでござる……!!

 ここで動かなかったら、拙者は一生後悔する……だから!!!


 身体中に巻き付く、恐怖の鎖。

 それを断ち切るべく、隼太は歯を食いしばった。



 腕が使えないこの状況、攻撃に使えんのは脚しかねぇ!!

 しかも、奴の針に刺されないように戦わないとならねぇ……!!


 状況を整理し、思考を鮮明にした誠二。

 そんな彼に突き付けられたのは、紛れもない絶望だった。 


 どう足掻いても、どう見積もっても、勝てない。


 その事実だけが、ありありと告げられた。


「はぁ……はぁ……」

「んー、どうしたのお父さん? 何でそんなに緊張してるの?」


 そこに、ズカズカと踏み込む痣呑。

 さながらそれは、土足で家に入る子供のようである。


「へっ、うるせぇよ。たかが腕二本使えなくした程度で、いい気になってんじゃねぇぞ……」

「あはは強がりだ! いいよいいよ! 娘の前で自分を大きく見せようとするのは素敵だねぇ! 立派だねぇ!」

「……!!」


 痣呑の狂気的な発言に、誠二は思わず息を呑む。

 彼女の純粋で濁り切った瞳は、誠二の瞳の奥に巣食う恐怖と不安を、しかと捉えていた。


「でもでもでも!! 安心してぇお父さん。私が直ぐに支配して楽にしてあげるから!! たっくさん笑って、私のことを大切にしてくれるお父さんに、改造リメってあげるからぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 

 ビュン!!


 そう言って、痣呑は針を投げた。


「っ!?」


 誠二は目を見開く。


「あはっ! お父さんの点穴はもう全部把握したもん! 近付かなくてもこうやって刺せちゃうもんねぇ!」

「クッソがぁ!!」


 すんでのところで、飛来する針を回避する誠二。

 

 ねぇ!! こっちに向かって投げる予備動作モーションが見えたから勘で一瞬早く横に動けた……!! けど!!


「避けてもムダだよぉ!!」


 痣呑の投擲とうてきは続く。針の猛攻は止まらない。


 ヤベェ……!! このままじゃジリ貧だ!! 何か、何か策は……考えろ考えろ考えろ!!


 走り、飛んでくる針を回避しながら、誠二は必死に頭を回す。

 だが非常にも、これといった策は思いつかなかった。


 そして、その思考の隙が命取りとなった。


「よっと!!」

「なっ!?」


 思わず誠二は声を上げる。


 しまった。俺が避ける先を見越してそこに針を……!!


 自身の失態を理解する誠二。だがそれを悔いる暇も、反省する暇も存在しない。

 そんなことよりも、今迫り来る針を避けることに全身全霊を注がなくてはならないのだから。


 しかし、


 ダ、ダメだ……!! 間に合わねぇ……!!


 誠二は悟る。どう足掻あがこうが、回避することは不可能だということを。


 また、なのか……何にも出来ないまま、こんなダセェザマで、俺は終わんのか……。

 

 無力感、敗北感。

 自身を攻め立てるそれらの感情が、誠二を容赦なく突き立てる。

 

 針との距離が二メートルを切る。

 万事休す、目を瞑る誠二。


 その時だった。


「咢宮殿おぉぉぉぉぉぉぉ!!!」

「ッ!?」


 横から重い衝撃が走り、誠二は横へと吹き飛ばされた。

 

「ってぇ……か、柿崎お前なにしてんだよ!?」


 直後、誠二は自分が地面へと倒れる原因となった隼太に対し、たまらず声を上げる。


「あらら、まさかそっちのお父さんに邪魔されちゃうなんて予想外。動かなくて無害そうだったから後回しにしてたのに」


 意外そうに目をパチクリさせる痣呑。


「ぐぅ……!!」

「柿崎……!!」


 そんな痣呑を目にもくれず、誠二は腹部に針が刺さった隼太に心配の目を向ける。


「なんで……なんで俺を庇った……!!」


 誠二のソレは、心からの叫びであった。

 そんな彼の叫びに、隼太ははにかむように笑う。


「はは、これで拙者も……少しは、変われたで、ござるかな……」

「……っ!!」


 隼太の言葉に、誠二は肩を震わせる。

 

「お前……」

「が、咢宮殿……。咢宮殿は……自分のことを、凄くないと仰っていましたが、やはり……そうは思いません。少なくとも拙者は、咢宮殿のことを……尊敬、してるでござる」

「……」

「だから、自信を持ってほしいで、ござ……」


 そこで、隼太の意識は途絶えた。


「あららぁ、気ぃ失っちゃった。それにしてもなんで無駄なことしたんだろう? 庇った所で結果なんて変わらないのに」


 至極意味不明といった風に、痣呑は首を傾げる。


「……無駄、じゃねぇよ」

「うん?」


 ゆっくりと立ち上がり目を向ける誠二に、痣呑は一抹の違和感を感じる。

  

 アレ? なんか……。


 そして彼女は、その違和感の正体に気付く。

 だが、それも束の間。


「オラァ!!」

「きゃっ!?」

 

 突然塞がれた視界に、痣呑は声を上げる。


 す、砂……? 地面の砂を投げてきた……? で、でもどうやって……腕は使えないはずなのに!


 瞬間、彼女は思い出す。

 隼太が誠二を庇ったことを。


 あの時、太った方のお父さんが針を抜いたんだ……!!


 ザッ


「ん?」

 

 痣呑はこちらへと近づく足音を聞き取る。


 視界を奪っている間に攻撃……。

 合理ごーり的だね。けど、お父さんの攻撃はそんなに強くない。それはさっきの攻撃を見て分かってる。

 別に食らっても……。


 ―ーゾワリ

 

「っ!?」


 その時、痣呑の全身に鳥肌が立つ。


 何、これ……。

 あの攻撃を食らっちゃダメだって、私の本能が言ってる……!!


 発される危険信号に、激しく混乱する痣呑。

 その混乱が、僅かに残っていた「音と勘を頼りに回避する」という選択肢を、掻き消した。


 そして誠二の拳が、痣呑の頬に触れる。

 正確には……。


 バッキィィィィィィィィン!!!!


 穿うがつ。


「うおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!」

「がぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!??」


 誠二の怒号と、痣呑の絶叫が木霊こだまする。


「い、痛ぁい……痛い痛い痛い痛い痛いぃぃぃ……」


 何ィこれぇ……い!! 拳が硬くてぇ痛い……!!


 地面でのたうち回る痣呑。そんな彼女を見下ろしながら、誠二は告げた。


「ほら、立てよ。まだ、やれんだろうが」


 咢宮誠二。

 彼の瞳の奥に、恐怖と不安はもう存在しない。

 その代わり、そこにあったのは……。


 ――の想いを糧に得た、確かな覚悟だけだった。

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