開戦
承久3年5月14日
後鳥羽院は仲恭天皇の勅命という形で、兵を集めた。これを官軍という。総大将は院の側近である武士、藤原秀康である。
集まったものたちは河野通信のように
「にゃんか集まれと言われたから」
と、深く考えずに来たものから、三浦胤義のように
「かつての恨み晴らすにゃ」
と、義時への憎しみから参戦したものまで、千差万別であった。
そして招集は2人の京都守護にも届けられた。そのうち源親広は応じたが、伊賀光季は拒否した。かれは家臣に鎌倉へ行き、こう伝えるように言った。
「義兄には、後鳥羽院が起たれたと、妹にはすまにゃんだと伝えるにゃ」
「にゃっ!!!」
5月15日
官軍はまず、勅命を拒否した伊賀光季を討伐に向かう。
光季は息子と奮戦するも。多勢に無勢。ついに立てこもる屋敷が燃え盛るのを見て、息子が自害しようと、飛び込もうとするも逡巡。そこで光季は息子を殺し、その死体を炎に投げ込むと、その死体に飛び重なって死んだ。
朝幕交渉で朝廷側な窓口だった西園寺公経が捕縛された。その直前、状況を探らせていた家司の三善長衛の報告を受けていた。
「伊賀光季どの討死、義兄の定家どのと姉君はご無事ですにゃ」
「よし、ではもう1つ頼まれてくれるかにゃ」
と、公経は長衛に
・光季が誅されたこと
・義時追討の宣旨が全国に下されたこと
・関東近辺には19日に綸旨が届くこと
を伝えるように命じた。
「にゃっ」
と長衛が旅立つのを見届けた後、公経は呟いた。
「院が動かれたかにゃ。わたしも命を懸けたバクチをせにゃければにゃらぬのう」
5月19日
伊勢光季と西園寺公経の使者が状況を報告。
報告を受けた政子は陰陽師たちに、幕府の運命を占わせると
『鎌倉安泰』
と、出た。
幕府も秀郷の家臣を捕縛し、宣旨や添状、名簿を押収した。
「にゃんということにゃ……」
愕然とする義時。そこに三浦義村が現れた。かれは弟胤義から送られた官軍への催促の手紙を持って来て、義時にそれを見せながら言う。
「おれは弟に同心しないにゃ。鎌倉の猫として、だれよりも忠誠を見せてやるにゃ」
それを聞いた義時は、ホッとしたようにうなずいた。
2匹はそのまま作戦会議のために、皆が集まってる政子邸へ向かう。そこにはすでに時房、泰時、大江広元、安達景盛、足利義氏といった御家猫たちが集まっていた。そして
「禅定二位家さま、お成りでございますにゃ!!!」
と、重時に連れられ、政子が現れた。彼女は諸将を見渡しながら、演説を始める。
「みんな、心を1つにして聞いてにゃ。これは最期の言葉にゃ。亡き大殿が朝敵をやっつけて、関東を作ってくれてから、官位でも収入でも、大殿の恩は山より高く海より深いにゃ。みんなもそう思ってるにゃ?それなのに、逆臣どもの讒言でとんでもない綸旨がくだされたにゃ。名を惜しむ勇者は、秀康や胤義をやっつけていままでの鎌倉殿の残したものをまもるにゃ。ただし、『関東より京都がいいなあ』と思うものがいたら、ここでそう言ってでていきにゃさい!!!」
御家猫たちは涙に噎せて、まともに返事ができなかったが、心中
『そうにゃ、ここをわれわれが守るにゃ』
と、官軍との戦いを決意したという。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます