淡赤の恋文

 ほとんど、地平線に差し掛かった太陽。

 熟れすぎた林檎のようなそれは、ただ黙って石段をから紅に染め上げていた。


 一段ずつ、踏み締めて階段を登る紡。

 雪駄の底が、からころと音を立てた。


 最後の段を登り切って、見えた境内。

 いつもなら、自分の足音を聞きつけた絃が駆け寄ってくる筈……なのだが。


「……あっ」


 紡が見渡した先。

 絃や依達の住居も兼ねている社務所の縁側に、彼女の姿はあった。


 屋根を支える柱に身を預け、すやすやと穏やかな寝息を立てている。

 きっと紡が待っていてくれと言ったから、律儀にじっと座っていたのだろう。

 紡は絃の元に歩み寄り、膝を折るとその華奢な肩をそっと揺さぶる。


「絃。待たせてすまなかった」

「ん、んぅ……?」


 重たげな瞼がゆっくりと持ち上がり、焦点の合い切っていない視線が紡の方へと向けられる。

 長いまつ毛の下から覗く、微睡んだ瞳に不覚にもどきりとしながら、紡は彼女のことを見ていた。

 ややあって、紡のことを認識した絃はふにゃりと愛らしい笑みを浮かべる。


「あっ、つむだ。おはようございます!」

「おはよう……と言っても、夕方だけどな」


 赤らんだ頬を夕陽で誤魔化しながら、紡はそんな風に返した。

 絃はというと、紡の様子にきょとんとしていた。


「ところでつむ、何か絃に用があるんですよね?」

「あ、ああ……」


 早速本題を切り出され、たじろぐ紡。

 「その」だの「ええと」だのと要領の得ない言葉を俯きながら零す彼に、絃は眉根を寄せる。


「……もしかして、言い出しにくい話ですか?」

「い、いや!そういう訳では無い!」

「そうですか?」


 絃は不思議そうに、慌てて否定する紡の事を見ていた。


「……笑うなよ?」

「つむの事を笑ったりしませんよ」


 恐る恐るといった様子で、紡は懐から封筒を取り出して絃の目の前に差し出す。

 その手は緊張のためか、少しだけ震えていた。


「手紙を書いた。俺は気持ちを口に出すのが、不得意だから……後で、読んでほしい」


 つむからのお手紙。

 絃は素直に喜び、ありがとうございます、と手を伸ばそうとしたが……普段とは明らかに違う紡の『桜』の様子に、動きを止めた。

 熱を帯びた紡の視線に耐えかねて、所在なさげに視線を彷徨わせながら、両手で躊躇いがちに封筒を受け取る。


「……絃?」

「は、はいっ!?」

「いや、迷惑だったかと思って」


 不安げな紡の言葉を、絃はぶんぶんと首を横に振って否定した。


「迷惑なんて、とんでもないです!」

「なら、良いけど……」


 紡は、照れ隠しにそっぽを向いた。

 まるでその頬を冷やすように、夕刻の風が撫でて行く。


「大事に、しっかり読みますね」

「……うん」


 絃の言葉に頷いた紡は、用はそれだけだと言わんばかりに、くるりと背を向けた。


「まだ冷えるから、身体を冷やすんじゃないぞ」

「はい、ありがとうございます。……あれ?」


 絃は、紡の背に何か紙切れのようなものが引っ掛かっているのを見つける。

 幾重にも折られているようで、しっかりと背板と長着の間にはまり込んでいるらしい。


「つむ、ちょっと待って!」

「えっ?」

「よいしょ……取れた。なんでしょうか、これ」


 紡は絃の手元を見て、首を傾げた。

 はて、このような物が嵌まる事などあるだろうか。

 そもそも、ここに来る前に洗濯されたばかりの着物と袴に着替えたのだから、紛れ込んだのはその後ということになるのだが。


「……?何か、書いてありますね」

「うん?……わぁあっ!?」

「きゃっ!?」


 紡は開かれた紙片の中身を見るや否や、血相を変えて絃の手元からそれをひったくる。

 くしゃくしゃに潰した紙玉を背中に隠し、目を白黒させる絃に、ごめん!と謝った。


「び、びっくりしたぁ……」

「これはその、くそ!姉さんの仕業だな……!?」


 紙片に書かれていたのは、たった5行の文章。

 絃には内容までは読み取れなかったが、何となくその形式くらいは判断がつく。


「短歌、でしょうか?」

「そうだな……」


 白々しく、あさっての方向を見る紡。


「誰かに向けて詠んだ詩ですか」

「……まぁ」

「なら、そんな風に丸めてしまわないで。折角つむが一生懸命に考えたのですから。」


 絃はそう言いながら紡の目の前に歩み寄り、顔を見上げた。

 紡もそんな彼女の様子に気付いて、視線を前へと戻す。


「でも、出来が良くないんだ」

「言葉の贈りものに上等も下等もないと、絃は思います」

「面白みも何もないし……」

「それは読み手が判断することですよ」

「最悪気持ち悪がられるかも、と……」

「そんな事、絶対ないもん!」


 尻すぼみになる紡の声を消させまいとするように、絃は食い気味にそう言い放った。


「絃は。つむが綴ったその言葉が……誰の元にも届かずに捨てられてしまうのが、とても寂しいんです」


 そう言って、真っ直ぐな瞳で紡の視線を射抜く。

 紡はどうしてもその眼を逸らすことが出来ず、諦めたようにため息をつく。

 そして手の内の紙玉をゆっくりと開き、皺を伸ばすと丁寧に四つ折りに直した。

 そして、それを絃の目の前へと差し出す。


「なら、受け取ってくれ」

「ええと……」

「これは、絃。お前を想って詠んだ詩だ」


 紡は、絃が何かを言う前にその手に紙を握らせると、息を吐く間も無く彼女に背を向けて駆け出す。

 ほとんど沈み切った太陽が薄く照らす石段を、一気に走り降りた。


「待って、つむ!」


 階段の上から絃が呼ぶ声が聞こえ、紡は足を止める。

 彼のどくどくと心臓が脈打つのは、勢いよく走ったせいか、それとも別の理由か。


「お返事、絶対に書きますね!」


 紡は額の汗を拭って、それに応えた。


「……急かず、待ってる!」


 二人の間を、また一陣の風が吹き抜ける。

 その風は階段の両脇に立ち並ぶ桜の枝葉や花を揺らし……かさかさとなる音は、まるで木々が笑う声のようにも聞こえた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る