邪悪な人間と、後縦隔腫瘍 摘出手術

 去年の冬、船員病院の健康診断のときに、レントゲンに怪しい白い影が写った。丁度、肺の下くらい。ちょっと白いものが背骨から膨らんでいる。ほんのわずかな変化だ。長年通っていたおかげで分かったものだ。

 僕はこの健康診断が好きで、自分がだんだん不健康になって、病んでいくのをデータとして眺めることを楽しんでいた。

 LDLコレステロールと尿酸値は相変わらず高く、ろくな人生を過ごしていないことがわかった。

 すべて、昼のラーメンのせいだろう。

 体重も増加の一途。膝が何年も痛い。老化現象はますます留まることを知らず、弱っていく自分がはっきりとわかる。

 血を抜き取られるとき、「頼むぞ、血!」と思っていつも送り出す。

 抜き取られた自分の血の赤黒い液体を見ていると、「なんて不健康な血だ……その不健康さで、病院を驚かしてこい!」というエールを送ってしまう。



 ある時、ラーメンを一週間絶って、昼ご飯が少なくなり、いわゆる「少食」になったことがあった。

 その途端体重が4キロ減ったことがある。ジムでダイエットする人は、まず食事を少なくして欲しい。かなり意図的に。

 ご飯の量を減らせば一週間で5キロ以上は軽く痩せていく。

 食欲がすべてなのだ。いますぐ食生活を見直せ。朝と昼をおにぎり1個にして、夜を魚とご飯と野菜くらいにしておけ。あっというまに女性なら55キロ。男性なら65キロより下の体重にすることができる。



 さて、そんなことはさておき、僕のレントゲン写真に写った「白い影」だ。

 白い影の正体は最初は分からなかった。

 後にそれは「後縦隔腫瘍」ということがわかる。

 要するに、良性の腫瘍である。ガンではなかったということだ。


 まず、1年間放置した。

 手術が怖かったのと、現実を受け容れることが出来なかったからだ。

 しかし、1年後、つまり今年の1月の健康診断の時、船員病院の医者からこう言われた。


「この邪悪な人間め!!! 死ぬ気か!! 邪悪やな!!! おい、邪悪!」


 大げさに書いていると思われるかもしれないが、マジで言われた。今も、書いていて思い出して、ちょっと笑ってしまう。さすがに言い過ぎやろと。


 船員病院の医者から「邪悪」と言われたので、僕はちょっとむかついてしまい、診断書を持って近所のかかりつけ医のところへその日に向かった。速攻で行ったろうやんけ、と。

 レントゲンのデータを渡したり、かかりつけ医とわりと話し合った結果、4月の半ばに手術しようということになった。

 中之島の住友病院を紹介してもらい、数日後、さっさと向かった。

 住友病院は巨大で、システマチックだった。

 機械的に案内されるまま、呼吸器外科医と随分話をした。


 で、結構でかい背中の神経と血管を切って、腫瘍を取り出さなければならないようだった。

 右の脇腹から、三つ穴をあけて、スコープみたいなので差し込んで、ハサミで切って取り出すという。3センチくらいの大きさの腫瘍で、1年間に0.5ミリずつデカくなっているので、放っておくとろくなことにならない。たぶん、背骨の中に入りこんでいく傾向にある。今は、背骨の隣くらいでぎりぎり止まっているけど、ほっといて大丈夫かいな、はい、ぜんぜん大丈夫ではありません、この世からグッバイです、ということだった。

 神経原性腫瘍です。ほとんどが良性で、増大傾向あり、造影効果ありです。説明を母親と一緒に受けているとき、いわゆる「SAN値」の下がり具合が凄まじかった。


 局所的に痺れが残り、これこれこういう後遺症もあります。出血が多くあります。うんぬん。ここにぶっとい血管がありますね。これ切ります。出欠が大量にありますので、焼いて止めます。ここの背骨から、大きな蜘蛛の糸みたいなのが伸びてますね。これ、神経です。ここ切ります。こんな風に。

 サッとレントゲン写真に、医者の指示棒が斜めに横切った。

 自分の身体が、未来にぶった切られるというのは、かなりの心理的ダメージを食らう。

 自分で自分の「SAN値」がぎゅんぎゅん下がって、身体に力が入らなくなるのが分かった。



 手術前日に旅行のような準備をして病院に乗り込んだ。本もたくさん持ってきた。職場のことは忘れた。

 その日の病院の夜ご飯は豪華で、フルーツにパイナップルが出た。



 手術当日、ドキドキしながら歩いて手術室まで行く。手術室の階で、いよいよ奥に入り込むとき、ドアの下にスイッチがあって、そこを足で踏んで入ると説明を受けた。

「へー、面白い。あ、そうか、急患とか運び込むわけだから、両手がふさがっていても大丈夫なように、足であけるためにあるんだ」と、看護師の女性と会話した。

 わりとドラマと変わらんな……と思いながら、辺りを見回す。手術室に入るまでの廊下を観察しすぎて、部屋を通り過ぎて、止められたりした。

 緊張感が高まった。オペをするところに戻って、中に入ると、まんまオペ室だ。メスを置きそうな台。なんか心電図っぽいモニターの数々。巣穴みたいな照明器具。手術用の服に着替えた執刀医達。

「ほんとに、手術室ってそのまんまやな……」と思って、トコトコと歩いて、ベッドに横になった。

 全身麻酔のために、これもまたドラマとかのそのまんまのやつを渡された。もっとマスクみたいにカパッとハマるのかと思いきや、ガーゼで吸い込むところが覆われていた。大きく吸い込んで、早く寝ようと集中した。



 そして随分寝た感覚があり、起きたときは、手術室から出て、運ばれているところだった。

 「寝たな~」がまず第一印象だった。

 そっから「やっぱ手術受けたな」、と思い出すように思った。

「手術終わったな」

「あ、息ができねえ。声もでない。どう伝える?」

「声でない」と声を出したような気がする。

「呼吸むりです」も、言えたような気がする。

 とにかく呼吸がうまく出来なかった。

「あ~でも、仕事で一番つらかったときよりは楽勝やわ。これは治せる。勝てる」

 身体に酸素が行き渡っているからある程度大丈夫だけれども、まじで息が出来ない。息が……という声もあかん。

 だが、以外に身体は平気だった。まさに「寝起き」のしんどさだな……意識は強がることではっきりしているというレベルか。手術後が、めちゃくちゃ激痛とか考えていたので、そこまでじゃない、じわじわした感じなので、「おん、ぜんぜん大丈夫やで」と強がれることができる。

 それにしてもどうやって喋ればいいのだ。声がマジで出ないし、息も自分がちゃんと出来ているかどうかわからない。

 正直言うと、自分が呼吸したり声をいつ出せるようになったのか記憶にない。全身麻酔というのはそれほど強烈なものなのだと思った。



 入院中、身体に刺した管が一番つらかった。点滴の管もそうだが、ポンプの管がきつい。

 とくに、身体の中の、鳥の砂肝くらいの腫瘍を切ったので、山ほど白血球じゃないけれども、透明な液体が身体の中に出るわけだ。身体の中身を治そうと、汁みたいなのが出る。

 それをポンプかなにかで外に出すわけだが、その「ポンプを差し込まれている」というのがとてつもなく体力を奪う。しかも、わりと出たりしていて、管の中に、血と混じって、濁った色で汁がたまっている。この、体の中から、汁が出ている。体から、何かがこぼれそうになっている。この不安定さ、自由のなさが、身体的にも心理的にもじわじわ疲労感のようなものを与えるものだった。

 母親に、ゾンビのようになっている僕の姿を見てもらったが、笑って元気付けられた。


 丸一日たって、翌日にはポンプ外して貰った。

 そのポンプ管を外すとき、「こぽっ」とたくさんの液体が身体の穴からこぼれたのと、その身体にあいた穴を、ぎゅーっと医者が紐でしばっているのがよく分かった。

「俺の皮膚を紐で綴じてるな……漫画のドリフターズで主人公がなんか縫われていたのと同じじゃん」



 処方されたカロナールにアレルギーが出るらしく、弱っている部分に蕁麻疹みたいなのが出た。カロナールにアレルギーがあることは、初めて知った。あんまりない例らしい。カロナールの処方はなくなり、ロキソニンとタリージェが処方された。


 水曜日に手術して、その週の日曜日には帰宅し、翌日月曜日に出勤したが、腹の神経がパンパンに張っていて、痛くてしかたない。

 立ち上がるのも困難だったので、上司に怒られながら早退した。

 別に仕事のことはどうでも良かった。

 それよりも、右半分の身体と左半分の身体の「別れっぷり」がすごかった。

 腫瘍を取り除く特に神経を傷付けたのか、ってか、ぶった切ったので、そのダメージが右半分に残り、右脇腹、右半分のおへそのまわりが究極に痺れていて、痛みと熱が凄まじい。

 冷えピタを何度も貼って、はがして、貼り直して、冷やし続けていた。冷蔵庫の中は冷えピタだらけだ。そして、ロキソニンとタリージェを飲みまくって、常に「神経の熱」を下げ続けた。おなかの皮膚が発熱しているのだ。本当に皮一枚だけ熱を帯びている。内臓が熱いわけではない。それほど神経へのダメージが強烈だったのだろう。

 そして左半身はほとんど通常運転だった。感覚も普通。痺れもなければ、張りもない。熱もない。

 正中線をまたいで、右と左で綺麗に、あまりにも機械的に、神経のしびれの症状は別れていた。

 基本的に私はベルタランフィという学者と立場や思想を同じくしており、「人間機械論に反対の立場」ではあるのだが、さすがにこの分かりやすい人間の神経の別れ方、症状の現れ方の「機械っぽさ」を味わうと、人間機械論も馬鹿にはできない、本当に人間って機械なのかも……と思ってしまうほどであった。



 自分が主宰している同人誌の作成のために、手術後、近江神宮に取材に行ったときには、冷えピタを身体中に貼って、多めにクスリを飲んで挑んだ。冷えピタを5枚貼って、はがれないように包帯をお腹にぐるぐると巻いた。しかし、その包帯の布の感触でさえも痛い。歩いていると、お腹の肉が揺れて痛い。神経が腫れているからだ。お腹の肉をゆらさないように、服に触れないように歩こうとすると、よぼよぼのジジイみたいな歩き方になる。仕方のないことだった。

 死にかけたが、取材はなんとかこなすことができた。もう腫瘍はないのだ。僕は病気を克服した不死身の肉体を手に入れたわけだ。「後縦隔腫瘍」はナメてるとわりと危ない病気らしい。悪性になるとか……とにかく悪くなる前で良かったわけで、僕を「邪悪」扱いしてくれた医者に今では感謝している。


 が、この後、まだ神経麻痺の後遺症を残したまま、職場で色々辛い目にあい、手術2カ月たってから、なんと心療内科と(泌尿器科からの皮膚科からの)形成外科のお世話になる。今年に入って、たぶん、一生分の病気をしたと思う。


 すべて現在進行形だが、実は僕は結構元気なのである。

 タフに育ったものである、と思う。

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