氷上のスダチ

忍びのごとくに女性モノをこっそりと着る

　ヒジの部分がハゲきったユニクロの黒のフリースを家に持ち帰り、俺はＧＵに行った。

　ＧＵのメンズコーナーは極小だ。しかも、どれも自分に「合わない」。メンズは合わない。合ったとしても、服のほうが強くて、自分が仕事場で着たいと思えるものではない。

　服のほうが強い……というのは、「着こなすことができない」というものだ。その服を着たとき、その服の表情ができないというか。服と自分の顔がバラバラというか、そういうものだ。

　俺が自分の表情を作りやすいと思えた服は、女性モノのフロアにあったパーカーだった。ナイロンのごわごわした感じのものだが、金のファスナーとボタンがついていて、そこがポイントが高い。黒や紺に、金のファスナーは映えるし悪くない。男性モノで「金」のボタンとかはめったに見ない。

　一番良いのは、閉じるファスナーを隠せるようになっているところだ。前のファスナーが見えにくくなるよう、もしくは見えないようにできるよう、「なんか蓋みたいなの」が閉じるところ全体についているのだ。わかるか？　この「ファスナー隠し」が俺にとってポイントが高いのだ。

　おっさんだって、職場で女モノを着ていたって良いはずだ。

　もちろん、「スカートはいて、フリルで歩いたっていいはずだ」みたいな、自分の空気を人に押し付けて、これは正しいですからみたいな自由さを味わいたくはない。それは何も自由じゃない。ただの思想で、人民服を着るようなものだ。なんの工夫も巧さもない。

　そして、俺はＧＵの女性用ナイロンパーカーのＸＬを買った。何度見ても男モノよりデザインが良い。もっさりしないように、腰の部分がキュッと引き締まって見えるように角度が付けられていて、さらに下に行くほどフレアスカートのように微妙に広がっている。だらしない身体がこれで隠せる。これに細身のパンツなんかはいたら、ほら、おじさんが女の子になっちゃったよ！　である。

　しかし、俺の真の目的はそうじゃあないんだ。

　職場に持ち込み、俺はさっそくそのＧＵを着た。

　みな、似合っていると言ってくれた。当たり前だ。「俺が似合っていると思えた」からだ。自分がなりたい姿だからだ。

　なりたい姿？　それは、骨を削り、身長を削り、豊胸手術をして、ゴスロリ服で出勤すること。それが理想であろう。美少女になれたら、それは嬉しい。

　しかし、そんなことをしてどうなるか。

　身体へのダメージ、職場の混乱と戸惑い、何より、なりたい自分に近づくほど、それが本当になりたい自分であると思えるほど、人間は甘くない。身体の改造が進むほど、本当にそうか？　と思うのが、人間だ。

　人間はなりたい自分に近づくほど、自分に合う自分になっていくのだ。ずれていくのだ。だから、豊胸手術あたりで、「本当に俺は女の子になりたいのか……職場で着ていっても大丈夫そうな、それでいて自分に合うと思える服を着て、働くぐらいで俺自身は十分だったんじゃないか」と後悔し始めそうではある。

　ユニクロの真っ黒なフリースから、ＧＵのパーカーに変えてから、朝のテンションがまったく違うし、鏡の前でキメ顔をすることが多くなった。今日はちょっとファスナーを大きめに開いておこうとか、上まで閉じてみようとか、ファスナーの開きで自分と対話するようになった。中のシャツをどれくらい見せるか。今日はヘロヘロのよれよれのシャツだから、パーカーを上まで閉じようとか、考えるようになった。色々考えるようになれた。

　昔、俺とまったく話が合わなかった上司（すでに病死）がいた。その上司ならパーカーのブランドやら全部調べて、「なんで君、女モノの服を着てるの」と、社員みなの前で言っていただろうと思う。そういう上司だった。

　そういう時、俺は、堂々と「でも似合ってるでしょ」と言っていたと思う。というか、そういったことを何度も言ってきたので、とにかく上司は面白くなさそうだった。ちなみにこれは「スカッと話」でもなんでもない。

「でも、女性モノってばれたら、職場の評判下がらない？」

「ばれますかね？　これユニセックスといって、男女着られるデザインなんですよ」

「そうなんか……」

　と会話を持っていくと思う。もちろんユニセックスなんて嘘である。ユニセックスのところにはこのパーカーはなかった。でも、嘘なんていくらでもついていいのである。所詮、上司。何かを代表しているわけでもなんでもない。

　似合っていて、働くのに支障がなくて、職場を訪れる人もギョッとしない、「うまいことすべりこませる」のが、俺にとっては大事なスキルである。

　このＧＵのパーカーは、ゴワゴワでキュートであるがゆえに、俺に気合いを注入してくれた。

　これを読んでいる男性諸君に言いたいのだが、女性の服はＸＬで買うこと。しかしＸＸＬはまじででかいので買わない方がいいこと。女性の服は線が美しく見えるようになっていて、男性が着ても魅力的になるので、普通におすすめであること。自分に合う服を見つけて着こなすと、顔も変わってくること。

　最近のラッパーを見て欲しい。みな、顔があきらかに変わった。

　昔、日本語ラップと言えば、馬鹿にされて、文化的に最底辺扱いされる代物で、２ちゃんねるでは「日本語ラップで食っていこうと思うんだ」とよくアスキーアート付きで書きこみがされていて、パチンコで食うよりも悪いぐらいの意味だった。実際にもそれに近かった。

　しかし、ヒップホップが興隆し、ラッパーの顔が、みな良い顔になった。それは「服（靴、アクセサリーを含む）」のおかげだと思う。自分に合う服の選択肢が増えたこと。服で顔も骨も変わるのだ。

　俺はそのパーカーを単に仕事中に着ているだけで、別にそこから意識が変わったわけではない。自分が気持ちよくなっただけだ。

　もちろん、俺は「細身のジーンズを買って、内股で歩きながら、萌え袖でキーボードを叩く……」といったおじさんになる気はない。

　服は「うまくすべりこませる」もので、そのほうが自分にとっても気持ちいい。