俳優の卵

(映画監督)吐息といき監督  

(劇団員)斎藤さいとう愛実めぐみ

(先輩劇団員)林原はやしばらとおる  

(先輩劇団員)由美子ゆみこ

(元やくざ)吉原よしわら源治げんじ




日本全国には120ほどの劇団があるのだが、劇団員という身分だけで食べていけるのは劇団四季や宝塚、文学座くらいなものだ。

俳優を目指す多くの人はアルバイトをしたり、実力があれば映像関連の仕事をしたりして副収入を得ているのが実態だ。それどころか、芝居をやるにはお金が掛かるので、劇団員としての収入は無いどころかマイナスになるのが実情で生活は常に苦しいのだ。自称『役者』は何万人もいるが、芝居だけで食べていける人は、ほんの一握りでしかない。


食えない俳優・・斎藤さいとう愛実めぐみもその一人だった。

俳優養成所アークアカデミーを卒業した愛実めぐみはアークアカデミー付属のアーク劇団に所属して劇団員として公演活動をしていたが、公演による収入は、交通費にしかならなかった。愛実めぐみは好きだから役者をやっているだけなのだ。




「声が小さい!! 斎藤は声が小さいんだよ!他の人に声の大きさを合わせろと言ったろ!」

「はい!すみません。」

「それと、お嬢様みたいな発声は駄目だと言ったろ!!」

「はい!気を付けます!」


今日もまた同じ注意を受けて狼狽を隠せない愛実だったが・・

彼女は指導者の「お嬢様みたいな」という言い方が気に食わなかった。彼女はお嬢様などでは無く、むしろ貧乏な家庭で育ち苦学して今日まで来たのだ。

お嬢様と言うのなら、それは先輩劇団員の由美子だ。彼女は裕福な親から仕送りを受けていて、住んでいる部屋も着ている服も愛実めぐみとは大違いなのだ。

ところが、お嬢様の真由美は、ヤンキーな雰囲気で発声も良く男性劇団員にモテまくっているくらいなのだ。その上彼女は何度か映画にも出ていて将来が有望なのである。


それなのに貧乏育ちの愛実が、演技指導に「お嬢さん役者だ」と怒られるのだから愛実としては由美子の存在が許せないのである。それを知ってか由美子はすれ違う時にっこり笑って嫌味を言うのだ「お嬢様、ご機嫌よう。」


稽古が終わりアルバイトの現場に急いでいると、先輩の林原が追いかけて来た。

「また、お嬢様批判が出たね・・」

「私し、親から仕送りしてもらったことが無いし、お嬢様って言われるのって凄く不愉快。」

「まあね、愛実は・・」

「私がなあに?」

「見かけがさあ・・お嬢様系だからな。いや、凄く清楚な雰囲気があるからね・・だから同性からは舐められるかもって・・」

「それは解っている・・・あ、じゃあね!私は新宿だから。」


林原は劇団の先輩だが、飲んだ勢いで数度寝た事があり、友達以上彼氏未満の中途半端な関係なのだ。林原は熱く愛を語るようなタイプではなく、たまに会ってセックスをするというセフレ的な関係である。そもそもバイトに追われ稽古に追われ、その上お金も無ければ恋愛などをしている気持ちの余裕も無い。そんな二人なのだ。



収入も無いのに稽古時間は拘束されるのが役者だ。だからなかなか良いバイト先は無い。深夜や早朝のスーパーやドラッグストアや配送業の荷物の仕分けのような仕事しかない。

愛実は配送業の荷物の仕分けを深夜までしている。荷物の仕分けは体力のいる仕事だが、愛実にとってはむしろジムに通っているような感覚で、芝居の体力トレーニングだと思っている。


「斎藤さんは仕事が早いし配置場所の飲み込みも良いから安心して任せられるんですよ。どうですいか、バイトじゃあ無くて正社員で働いてくれませんか。」

「ありがとうございます。でも私は劇団で役者をやっていて、フルでは働けないんですよ。」

「あ、そうなの?じゃあ中の仕事に変えて上げようか。もっと楽な仕事もあるから。」

「いえ、私は今の仕分けが気に入っているんです。ジムのトレーニングみたいに楽しくやっているんですよ。」

「そうか、斎藤さんは役者さんか。なるほどねえ・・斎藤さんは奇麗だもんねえ・・いつかは有名な女優さんに成れますよ。」

「いえいえ、全然・・好きでやっているだけですので・・」




映画のオーディションでは、映像演技のスキルが必要になる。

映画は演劇と違い、カットのタイミングや編集効果を利用する表現力、時間の経過を表現する演技力とか、シナリオにそったアドリブ的身のこなしが必要なのだ。

監督や演出家の指示を的確に演技に反映する対応力が最も重要であり、演劇と映画は別の世界なのだ。映像と演劇を混同するとオーデションは不合格になる。


愛実は何度かオーデションに挑戦していたが、何度受けても受かる事が無く、自分には才能が無いのかと失望しているのだが、天敵の由美子はオーデションに何度か受かり脇役とはいえ映画デビューを果たしているのだ。

その由美子が愛実の側に来てこう言った。

「今撮影に入っている映画でね、俳優がコロナに罹って欠員が2人出来ているのよ。もお撮影に入っているからね・・愛実を紹介するけど良いよね。」

「え!はい。宜しくお願いします。」

「じゃあ、今から一緒に来てくれる監督と演出家に合わせるから。セリフの少ない脇役だから、気に入られたら即採用になると思うよ。」


人の気持ちは分からないもので、愛実が敬遠していた由美子だったが、その由美子の紹介でフェイクドキュメンタリー映画の脇役に採用されたのだ。フェイクドキュメンタリーとはドキュメンタリー風に作られたフィクション作品の事で、この映画は実際の事件をリアルに報道するようなタッチで作られているのだが、これはフィクション映画なのだ。


「チャンスだぞ。見て貰えるんだからな。どんなに稽古をしても誰も見なければチャンスは無いからな。」林原は自分の事のように興奮している。


「でも、脇役のチンピラの女の役だし、そんなに出番は無いからね。」と私


「それだって、演出家や監督に見て貰えるんだからチャンスだよ。知り合いになるって大事だからね。人脈って言うでしょう。気に入られたら何かの仕事は貰えるようになるんだよ。」と由美子が言う。


「由美子さんは気に入られているんでしょうね。私は演出家とか演技指導に嫌われるからなあ。」と私


すると由美子が言った。

「演技だけじゃあ無いからね。人として気に入られると人脈ができるから。愛実めぐみはもっと自信を持ってオープンにした方が良いよ。」




撮影が始まると、愛実めぐみの役はセリフが少なく、順調に撮影が進んだのだが、チンピラ役の俳優とじゃれてキスをするシーンが上手くいかず、撮り直しになった。どうしても監督のOKが出ないのだ。

チンピラはふざけてキスをするのだが、愛実の方はエロくキスに反応しなければならないのだ。


「ダメだって!何を緊張しているんだ!君は男を知らんのか!」

愛実めぐみがチンピラの俳優とキスをするシーンがなかなかOKにならない。監督が苛立ちながら言う

「あんたはね、奇麗なんだけど頭の足りない女なんだよ。男は人前でふざけてキスをしているだけなのに、それに本気で女がエロく反応する。そういう微妙にエロい場面なんだよ。もっとギャップのあるエロいキスをしてくれよ。そんなキスじゃあお嬢様のキスみたいだ。解ってんのかね!・・よし、今日はここまで!斎藤さん何とかしてよ。こんなんじゃあキャスティングを変えるよ!」

監督は頭から湯気を出して帰ってしまう。


演出が愛実に言う

「ダメだろう。もっと気分を入れなきゃあ。それでなくても斎藤さんはお嬢さんタイプなんだから・・もっと汚れたキスでなきゃあ監督はOKしないよ。」

「解っています。次回は頑張りますから。」

と答えたものの、愛実は混乱していた。

自分では思いっきり下品でエロいキスをしたつもりだったのだ。それなのに又してもお嬢様キスなどと監督に言われてしまい、心の中では思いっきり動揺していたのだった。


そしてその日の午後8時頃の事である。スマホの着信に出ると監督だった。

「今から指導しても良いけど僕の宿泊しているホテルに来てもらえる?」

「あ・・はい。ありがとうございます。直ぐに伺います。」


もう駄目だと思っていた愛実は監督の電話にほっとした。今度は出来ますといったものの、どうすれば良いかがわからず、絶望的な気分になっていたからだ。ホテルに行けば監督にセクハラをされるかもしれないと思ったが・・そんな事よりも、どうすれば監督に気に入られるのか、監督の望むようなキスが出来るのか・・そこが知りたかった。


ホテルに着くと監督は飲んでいて上機嫌で迎えてくれた。

「僕はね斎藤君を買っているんだよ。君は女優として成功できる人材なんだ。」

「そうでしょうか、正直言って今日はどうしてよいか分からず・・もう駄目だと諦めていたんです。」

「いや・・役者というのはね、食材のようなものでね・・大根役者と言うだろう?それを美味しい料理に変えるのが監督なのだよ。だから君を呼んだんだよ。解っているよね。」

「私みたいな大根でも主演級の女優に成れるんですか?」


「結局作品は大衆に受けるかどうかが大事なんだ。悪とか・・正義とか・・美しいとか・・そういう単純なものは、もう誰も求めていないんだよ。美しくても傷があるとか・・どこかが歪んでいるとかね。そういうリアルさが見る人の心をを引き付けるんだ。君にはその傷や歪みが足りないんだ。つまり良い子過ぎるんだよね。」


「それなんですよ・・いつもお嬢様演技だと言われるんです。私はお嬢様じゃあないんですけどね。どうすれば良いのでしょうか。ご教授下さい・・」


監督は立ち上がり言った

「じゃあ、僕のズボンを脱がしてくれる?」


愛実は「あ・・」っと一瞬動揺したが

「はい・・」と言って素直に指示されたように膝をつき、監督のズボンのベルトを外した。


「じゃあ、唇で感じさせてくれる。」

愛実は吐息監督の指示どうりに、先端に唇で触れる。


「咥えて・・そう・・もっとエロく・・そう・・良いねえ・・僕を見て・・」

監督の手が愛実の胸をまさぐる。

「ああ・・」

「胸は感じやすいの?」

「はい、感じやすいです・・」

「こっちへ来て。」

監督は愛実の腕をとって立ち上がらせると寝室に誘う。


愛実をベッドに寝かせると彼女の体を愛撫しながら監督が言う

「ほら・・こんなに濡れているじゃないか。濡れやすいの?」

「はい・・濡れやすいです。」

「それは良いじゃあないか・・」

監督はキスをしながら愛実の上になり、挿入してくる。


おそらく彼は愛実めぐみより20才は年上の筈であるが

監督は愛実の想像よりも元気で、愛実の中に力強く入ってくる。

「ああ・・」

快感に襲われて愛実は肢体をくねらせる。


腰を動かしながら監督が言う

「めぐみはお嬢様系だからもっとエロくならないとね・・」

「エロくなります・・エロくして下さい・・ああ・・」


「俺の為にエロくなるのか?どうだ・・」

「はい・・監督さんの為にエロくなります。」

「もう一度言って・・」

「監督さんの為にもっとエロくなります。ああ・・気持ちいい・・」

「さあ、もう一度。」

「あああ・・監督さんの為にエロくなります」

「・・ああ、イク・・」


嵐の後、愛実は監督と一緒にシャワーを浴びる。そこで監督はキスを求めてくる。

「そう・・それがエロいキスなんだよ・・フェラしているようなエロいキス・・解ったかい?」

「はい・・分かりました。」


「今度から時々会おうよ。君は僕の指導を受けた方が良いよ。」

「はい。宜しくお願いします。私のお嬢様気分を壊して下さい・」



愛実には分かっていた。

・・監督は若い私を抱きたいから私を育てようとしているのだ。・・

愛実はそれでも良いと思った。監督が自分に興味を持ち続けてくれるなら何でもする覚悟が出来ていたのだ。

吐息監督は人の扱いが上手く、指導力もあり監督に出会って成長した俳優は数多いのだ。


「今度会うときは赤のエロい下着を着て来なさい。上はデニムの薄いブルーの目立たない格好でね。解るかな、上は地味な服装でも下はエロい下着を着るんだよ。その気持ちが表情や体の動きに現れるものなんだ。そこなんだよね大事なのは。いくら外を装っても中が駄目ではね!・・外は押さえて中で燃えるんだ。それが出来れば君は良い女優に成れるんだよ。」

「あ、外は押さえて中でエロくですね!分かる気がします。」


「君はさあ、俺の女になりなさいよ。そうすれば君を大女優に育てて上げるよ。俳優は食材みたいなものでね・・大根役者と言われる人でも、監督の料理の仕方では美味しい料理に変わるわけなんよ。」

「私って大根ですか?」

「大根とは言わないけどね・・まあ、キュウリかな。」

「え、キュウリですか?酷ーい!」

愛実は嬉しくて、甘えた声でそう言うのだった。




監督の指導で撮影は上手くいき、愛実めぐみの、”頭が弱くエロい愛人”役は高く評価された。雑誌の映画評論にも愛実めぐみの愛人役の上手さは高評価で取り上げられたのだ。

そして佐藤さとう愛実めぐみはセクシイな女優として着実に大女優の階段を上り始めたのだった。


時間が経つにつれて愛実めぐみと監督の関係は離れられないほどに深くなっていった。愛実めぐみにとって監督はパパであり指導者であり、愛人であった。

実際人前では監督と呼ぶのだが、二人の時は監督の事をパパと呼んでいた。

「私ってエロくなれたでしょう。まだダメ?」

「そうだな・・もうちょいだな。」

「え、まだダメなの?」

「今度さあ・・俺がカメラを回すからさあ・・俺の友達とセックスしてくれるかなあ・・」

「やだあ・・私はAVは嫌だからね。」

「いやいや、AVじゃあないよ。あくまでも俺の趣味。俺の古い友人でね・・ほら!・・逢った事があるだろう?・腕に入れ墨のさあ・・」

「え、吉原さん!?お爺さんでしょう。」

「奴がさあ・・お前を抱きたいと言うんだよ。僕はお前と吉原の、あの入れ墨を取りたいんだよ。」

「良いの?私が吉原さんとしても・・」

「うん・・その方がエロくて燃えるだろう。愛実もそうじゃあ無いのか?俺が見ていてやるから・・”吐息さん御免なさい”って言いながら抱かれて欲しいんだ。」

「やだもお、そんな事を言うの?変態だなあ。」

「エロくなるって約束しただろう。」

「いいよ・・パパの為なら何でもするよ。」


愛実めぐみは監督の無理な要求を受け入れて女優に成長したのだ。吐息監督と愛実めぐみの関係はゲームのようなもので、監督は次々と愛実めぐみに無理な要求をする・・愛実はそれに挑戦をする、それが二人の愛の形になっていたのだ。



その日 愛実めぐみは監督の部屋で吉原の到着を待っていた。

「あ・・何かドキドキしてる。」

「大丈夫だよ。俺が指示する通りにすればいいから、撮影と同じ事さ。」


吉原は25才位年上で55才位の筈だが、ファッションセンスが良く、悪い人特有の涼しい目をしている。今日は上下クリームホワイトのスーツに同色の帽子でやって来た。

「いや、こうして対面すると照れますねえ。本当に良いのですか?」

と吉本が紳士的な雰囲気で言う。

「いや・・そうだねえ・・早く始めようか。こうしていると照れくさいからね。」

と監督が言い、私に目配せしながら

「ほら!ベルトを外してフェラをして上げて・・」

と言う。

「はい。」と素直に答えて・・

「失礼します。」と愛実は吉原のベルトを外す。そして吉原の股間を押さえて

「凄い・・」と愛実めぐみが小さく呟く。


始まると吉原はテクニシャンで直ぐに愛実を快感の中に引きずり込んでしまう。

感じている愛実を吐息監督が撮影する。

「愛実・・こっちを見て。」

「ああパパ、御免なさい・・感じてしまう・・」

「奇麗だよ愛実・・こっちを見て。」

「御免なさい・・気持ちいい・・イキそう・・」

「イッテいいよ愛実。イキなさい。」

「パパ、御免なさい・・ああ・・・イク・・」


監督がぐったりした愛実を優しく抱く。

「ご免な、愛実めぐみに酷い事をさせて・・でもエロ可愛くて奇麗だよ。」

「パパの為に頑張ったんだよ・・」

と甘え声で言う愛実めぐみ

「有難うな・・」と優しくキスをする吐息監督

変態行為とは言えそこには吐息監督と愛実めぐみの愛が有るのだった。




その日愛実めぐみから誘って、久しぶりに林原とセックスをした。

榊原とは相変わらずセフレのような関係だが、林原は控えめながら愛実を支えてくれている。危ない橋を渡るような監督との関係の中で、愛実めぐみにとって林原は心の落ち着く場所と言うか、愛の保険のようなものな存在だったのだ。

愛実めぐみは監督とはどうなの?まだ続いているよね。」

「私は枕で女優に成れたんじゃあ無いからね。それとは違うのよ。」

「別にそうは思わ無いけどさあ・・由美子は監督をどう思っているんだよ。」

「うん・・監督は私を育ててくれたし、マジ感謝しているよ。私の足りないところを引き出してくれたんよね。」

「セックスしながらって事?」

「それも有るよ。私はお嬢様タイプで、そっちが駄目だったのよね。」

「じゃあ・・真由美にとって俺は何?」

そう言いながら急に林原の顔が苦しそうに歪んだ。


「何?林原君・・どうしたの?」

林原の目から大粒の涙が溢れて頬を伝わった・・

「俺は何も役に立たないから・・メグの事が好きなんだけどさ・・」

そう言いながら林原が泣き出したのだ。


「林原君、泣いたら駄目よ。何か・・私も泣くじゃあないよ・・」

愛実は林原の頭を抱えるように抱きしめた。感情は移ることがある。愛実の目からも涙が溢れ出て、その涙がぽたぽたと林原の首筋に落ちた。

愛実めぐみは泣きながら言う

「愛って解らないけど、私は林原君をずーっと心の拠り所にしてたよね。林原君に泣かれると私も泣いちゃうよ。」

「メグは高根の花に成っちゃったからな。俺なんて何の価値も無いからさ・・」

「そんな事を言っちゃあ駄目だよ。林原君は私にとっては大事なのよ。」

「本当に? 監督の次ぐらいに?」

「うーん・・同じくらいかな。それじゃあダメ?」

「それでいいよ・・僕の事が好きならそれで良いよ・・」

林原はまた愛実に覆いかぶさると、愛実が激しく求めるのだった。

林原の愛撫を受けながら愛実は思った。

・・私には愛なんて分からない・・




監督は絵の才能も有り相模湖の近くにアトリエを持っている。アトリエには住居もあり、映画の撮影の無い時はそこで過ごすことが多い。愛実めぐみもそこそこ名の通った女優になったので監督とのスキャンダルは避けたいのだが、監督のアトリエは誰も知らないので、今ではアトリエが監督と愛実の隠れ家となっているのだ。


アトリエは相模湖の水面が見える少し高台にあり、鳥の声も聞こえる静かな環境の中にある。朝のコーヒーを飲みながら監督が言う。

「参ったよ・・俺のセクハラが週刊誌に出るようなんだ。」

「セクハラって?」

「知らないのか?最近セクハラ狩りが流行っているだろう?」

「それってお笑い芸人でしょう?」


「それの流れ弾なんだよ。まさか俺の所に来るとは思わなかったよ。」

「それって私の事?私は望んだことだからね。パパを訴えたりしないからね。」

「メグはそうでもな・・」

「私の他にも居るの?え!もしかして由美子なの?」

「いや彼女じゃあない、昔の事なんだよ。メグみたいな女優がいてね・・色々指導をしてやったんだ。そしたら最近の流行りと言うのか・・」

そこで言葉を切り「ふう・・」ため息をついて続けた。


「いや、世間はアップデートしているからね・・スマホだってそうだろう。今はアップデートは必須なんよな。時代が変わったのに、それをそのままにして置いた僕が悪いのさ。」

「それって昔の事でしょう?」

「どうだかな・・メグだってそうだろうよ。女優になりたい未熟なメグに付け込んで・・俺のものにしたんだ。」

「違うよお!私は望んでいたから・・」


「いや、メグの弱みに付け込んだのさ。他の選択肢が無いようにしたのさ。他の男に抱かせたりしたし、俺のやっている事は犯罪さ。」

「違います。私から望んだんですよ。私はエロい事が好きだし・・パパは悪くないよ・・その女優さんは嫌がってたの?そうじゃあ無いんでしょう。」

「それは分からない。その時は選択肢が無くて同意しても・・後になって嫌って事もあるのだし・・何ともね。」


「それで、その記事が出たらどうするの?」

「まあ、謝るしかないよな。お金で示談するよ。」

「私がその人に会ってくる。話してみるよ。」

「ダメだって。ますます面倒な事になるから。メグは俺の事を愛しているから何でも受け入れてくれるけど、愛が無ければ屈辱にしかならない事も有るからな。まあ、権力者の奢りってやつよ。で・・愛が有るからと勘違いをしていたらしい。」


「パパって、芸人みたいに言い訳をしないんだね。」

「まあ、一応映画監督だからな。人間ドラマを作るのが仕事だから・・心の闇や心の矛盾をテーマに作品を作っていて、今更くだらない言い訳はみっともないしさあ・・」


「パパって私以外にも愛人がいたのね。」

「いや、そうじゃあ無いよ。あれは昔の話だから・・今は愛実だけだ。」


吐息監督は窓辺に立ち愛実に背を向けたままで言った。

「愛実には彼が居ただろう?彼の所に帰った方が良いぞ。その内俺たちの関係を嗅ぎつけて・・そうなればメグが被害者になるからな。」

「・・・私はパパの愛人だよね。そうでしょう?」

と愛実は確認するように聞く。

監督は答えて言う。

「いやそれは通らない。メグは僕に洗脳されていることになる。俺はメグの弱みに付け込んだし、メグには選択肢が無かったんだよ。」

「私は嫌だとは思わなかったから。確かにパパはずる賢いと思ったけど、でも私はそれが嬉しかった。パパの思いどうりになる事が嬉しかったんよ。」

「まあ、そう言ってくれるのは嬉しいけどね・・ともかくほとぼりが冷めるまで来ない方が良いよ。」

監督のその言い方はどこか冷たい響きがあった。

愛実は不安になり監督の顔を覗き込んで言った。

「嫌だよ。今更私を捨てないでよ!」


「捨てやしないよ、暫くって話だよ。また会えるようになるから・・それまでは彼の所に帰りなさいって言ってるんだ。」

と語気を強く言い、そして

「じゃあこうしよう。半年たったら必ずメグに電話をするよ。その時まだ俺を愛していたら飛んで来れば良い、彼の方が好きなら無理に来なきゃあいいよ。それに一度距離を置けば、彼と僕のどっちが好きなのか分かるかも知れないよ。ともかくこのままじゃあメグの所にミサイルが飛んで来るんだ。解ってくれよ。」

と、今度は愛実に懇願するように言った。

話し合っても監督の意志は固く、その時愛実は泣きの涙で分かれたのだった。


しかし人の噂も75日と言う。その騒ぎも半年も経たないうちに世間は静かになった。結局お金優先のテレビ局の姿勢が問われ、何人かの人達が芸能界を去ったのだが、だからと言って特にはっきりとした決着がつくのでもなく、何となくうやむやになっていったのだ。喉元過ぎれば熱さを忘れると言う、それは如何いかにも日本らしい、気持ちの悪い終わり方になったのだった。


性的ハラスメントに対しては、少しは進歩した感が有るのだが、だからと言って、新しい時代に向かって社会がアップデートしたとも思えず、人々の心は相変わらず飽きっぽくて、直ぐに関心が他に移ってしまい、ましてや日本の民度が上がると言うような、前向きな変化には繋がらなかったのである。



それから数か月がたった頃、家賃を安くする為という口実で愛実めぐみは林原と同棲をしていた。

林原が言う。

「最近、監督から電話が無いね・・電話をしてみたら?」

「だめ、私からは電話しない約束なのよ。彼から電話が来なきゃあ意味が無いの。」

「でも、会えなければ寂しいだろう?僕が電話してみようか。」

「あんた馬鹿なの!私が監督に取られても良いの?」

「良くないよ・・でも、僕じゃあメグを幸せに出来ないからね。」


「あんたって・・」

愛実めぐみは呆れた顔で言う。

「あんたはさあ・・”俺の女に成れ”って言ってよ。好きってそういう事でしょうよ。」


「俺が大女優の愛実に?それって嘘っぽいだろう。」

「うーん・・そんな調子だったら又私を誰かに取られちゃうよ。林原君って女の気持ちを解ってない。」

「そんな事を言ったって、愛実めぐみはいつでも俺を捨てられるじゃあないかよ。」


そもそも二人の関係は友達以上恋人以下なのである。「愛実はいつでも俺を捨てられる」という林原の言葉は、二人の軽い関係を的確に表した表現なのである。


少し悲しそうな顔で振り返ると愛実めぐみは言った。

「捨てないよ。 私は監督よりバラチンを選ぶと決めたから。」


「バラチンって誰なんだよ。今度の相手は誰?!」

「あなたの事でしょう! 林原で珍しい奴だから原珍。」

「俺が原珍ばらちん? もしかして原っぱの珍宝かあ!」


愛実めぐみは林原の後ろに回り、後ろから腕を回して耳元に唇を寄せた。

「好きだよ・・バラチン。私がバラチンを離さない。」

林原は「バラチンかあ・・」と言葉に出して言ってみた。

・・そう悪くもないな・・

そう思ってバラチンは嬉しそうに笑うのだった。


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