悪妻



「方向指示器!  左を確認して! ほら!後ろから車。」


「解っているよ!俺が運転しているんだ、 いちいち言わないでくれ。」


「だって最近、確認が遅いから、ボケが始まっだんじゃないかと思って。」


「何を言ってんだ、俺はまだ55だぞ、ボケてたまるか!!」


妻は俺の事を全く解ってない。

俺は一人っ子で、口うるさい母親に付きまとわれてウンザリしながら育ったのだ。

だから口うるさい女は避けてきた。

その筈だった。


   ◇   ◇


大学を卒業して初めて就職した会社の経理に妻は勤務していた。

当時の彼女は長い髪を巻いて後ろにとめていた。


仕事が終わり退社をする時間になると、彼女がその髪を解くのだが、肩にかかる髪を手で後ろに流す仕草が美しくて、僕は何時もそれに見とれていた。


その日も彼女は髪を下ろし手で髪を整える。

そして、彼女は何時ものように帰ろうとドアの方に向かった。

しかし、その日はドアの前で立ち止まり、向きを変えて僕の側にやっ来た。


「何?、なんで見てるんよ。文句でもあるの!!」

キツイ言い方だった。


妻は僕より3年先輩で、態度もデカかった。

僕は焦って答えた。

「髪が綺麗だったので、つい・・」


他の社員も居たので僕は大恥をかいたものだ。

それからは彼女の事はなるべく見ないようにした。


それから数か月が過ぎたころだった・・

その日は雨が降っていた。僕は帰ろうと会社の正門の前を車で通り掛かった。そこに彼女が立っていたんだ。傘がなくてタクシーでも呼ぼうとしていたのだろう。

僕は一瞬躊躇したが、車を止めて言ったんだ。いや、ただの親切心からだよ。


「乗りませんか?駅まで送りますよ。」

彼女は黙って助手席に乗るとドアをバタンと閉めて言った。

「家まで送ってくれる?」


それが始まりだった。

僕は彼女に夢中になったよ。

彼女は何事にも積極的でポジティブな女だった。とにかく彼女と一緒に居ると楽しいんだ。


プロポーズはしなかった。その前に妊娠してしまったんだ。

だから直ぐに結婚届を出したんだ。


子供が生まれてから気が付いた。彼女は口うるさい女だった。子供にも俺にもね。

子育ての事ではよく喧嘩をしたよ。

「そんなに口うるさく言ったら神経質な子供になるだろ?」


「あなたみたいに神経の行届かない子供が良いって言う事?」

何時も僕の方が言い負かされた。


僕の収入も管理されてこずかいも少なかった。

ああいうのを悪妻と言うのだろうね・・

まあ、酷い悪妻だったが僕は我慢したよ。

他の事では僕にはもったいないぐらいの女だったからね。


親の心配をよそに子供は育つものだ。可もなく不可もなく、子供は成人になったよ。振り返れば、結局俺達は普通の親バカだったんだ。子育てなんてそんなものだろう?


家のローンが終わり子供が自立した頃だった。

妻が乳がんだと判ったんだ。

急だったよ。

急すぎて何が何だか解らなかった。

俺の気持ちを置き去りにして、事態はどんどん先に進む気がしたよ。


1年は持たなかった・・

本当にあっという間だった。

僕は妻が亡くなって酷く落ち込んだよ。

今でも落ち込んでいるけどね・・


亡くなる前に妻が言ったんだ。

「私が死んでも落ち込んでいたら駄目よ。交際サイトに登録して、次の愛を探しなさい。約束して・・約束してくれないと、安心出来ないから。」

彼女は最後まで口うるさかった。


でも彼女の言った通りだったんだ。

僕は落ち込んだまま今でも立ち直れない。

僕がこうなる事が彼女には解っていたんだ・・


もちろん交際サイトに登録したよ。でも駄目なんだ。僕はサイトの中に妻を探してしまう。


サイトだけじゃあ無い、買い物に行っても道を歩いていても、髪の長い人を見ると目が追ってしまう。僕は今でも彼女を探しているんだ。


「私の事は早く忘れてね・・」


彼女の言葉が今でも僕を苦しめるんだ。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る