初恋は苦しくて・・


僕の高校ではスマホを学校に持ち込むのは自由だ。しかし授業中は電源を切るのがルールになっている。 それだから授業が終わると皆が一斉にスマホを取り出し電源を入れる。それが毎日の授業終了時の情景なのだ。


歩きスマホは禁じられているので、椅子に座ったままか、壁際や窓際に立って通行の邪魔をしないようにスマホを見るのだ。それを守らなければ1ヵ月間のスマホの使用禁止になる、それが校則なのだ。


それは高校2年の夏の事だった。僕は昼休みになり廊下に出るとスマホの電源を入れ、窓際に立ってスマホを操作していた。


すると廊下を森という男子が走って来て僕の隣に立っていた河井にぶつかった。河井は森を避けようとして、わざとらしくオーバーに後ろに下がったので、今度は河井が僕に当たった。


僕は河井を避けきれず後ろにふらついた。その時、僕の背中が窓ガラスに当たったのだ。それほど強く当たった感触は無かったのだが、有ろうことかガラス窓がサッシの枠ごと外れてふわっと宙に舞った・・


あっと思って僕は落ちていく窓枠を見た・・


窓は、まるでスローモーションのように回転しながら、一階の教室をかすめて下の花壇に落下した。そして花壇のレンガに当たってガラスが粉々に割れて飛び散ったのだった。




「誰なんだ、廊下で暴れたやつは! 誰がガラスに当たったんだ!」教師が頭から湯気を出している。


「高橋ですよ当たったのは・・」と森が言った。


「いや、僕は立ってただけで・・ 当たられたからふらついて・・」


すると教師が切れて僕に言った。

「高橋・・言い訳はよせ!見苦しいぞ!」


「本当なんです! 僕は立ってただけで河井に当たられたから・・」


その時だった吉本がこう言ったのだ。

「僕は見てましたから。高橋が当たったので窓枠が外れたんですよ。」


この一言で僕が犯人にされて窓枠とガラスの弁償をすることになった。

吉本は河井の近くにいて森の騒ぎを見ていたのだ。いや、あの時廊下にいた生徒は森が走って来たので避けようと森の方を見ていた。だからとうぜん事の顛末は見ていたはずだ。


吉本はワザと僕を犯人に仕立てたのだ。 

そして誰も・・

・・僕の事なんかどうでも良いのだろう・・


・・あいつ、絶対許さない・・

・・絶対、このケリはつけてやる・・

・・僕が怒っているうちに決闘しないと・・

・・僕自身がこの問題から逃げてしまう・・

・・今回ばかりはそれは嫌だ・・




吉本の家の近くには市民公園がある、その公園は最近木が大きくなり昼間でも薄暗くほとんど利用されていない。吉本は学校の帰りに、その市民公園を横切って帰る。その方が近いからだ。僕は公園の中ほどにある巨木の陰で彼を待ち伏せた。

そして通りかかった吉本の行く手をさえぎった。


「僕じゃあ無いのは分かってて言ったんだろう!」


吉本はニヤけた顔で、

「だから?」と言った。


僕は速攻殴りかかった。殴って、殴って、噛みついた。

しかし、殴っても噛みついてもあまり効果がなかった。

彼は余裕で僕を引きずり倒し、起き上がるとわき腹を殴って来る。

そしてひょいひょいと僕を交わす。

そのうち僕の力が尽きてしまって、地面に手をついたまま立てなくなった。


「何だ・・ それだけかよ・・」


そう言うと、吉本は何事も無かったかのように去っていった。


僕は地面に仰向けに転がり空を見た。

公園の巨木の葉の隙間から夏の青い空が見えていた。

悔しくはなかった。

・・やることはやったんだ・・

夏の青い空のように、僕の気持ちは晴々としていた。




ところが次の日から吉本の僕に対する態度が変わった。

吉本は朝会うと「よう!」と言って仲間のように僕に挨拶するようになったのだ。そしてある日の事、学校が終わって校門付近を歩いていると、吉本が後ろから声を掛けてきた。


「お前良い根性しているなあ、それは認めるよ。でも根性だけじゃあだめだな。」

と言う。


「お前みたいな大きな奴が相手じゃどうやったって勝ち目がないよ。」


僕が苦笑いをしながらそう言うと、


「大きさは関係ないよ、お前なら強くなる。」と言う。


「僕は喧嘩をしたことが無いから・・」


「俺が教えてやるから。今度の土曜日あの公園に来いよ。 いいな、来いよ!」


そう言うと吉本は去って行った。


そもそも僕は強いの弱いの話ではなく、喧嘩すらしたことが無かったのだ。そればかりか下級生に舐められて嫌な思いをしたこともあったが、その時も何も出来ず悔しい思いをした。だから強くなりたい気持ちは大いにあったのだ。




市民公園は学校の校庭より広く、放置されていて林のように荒れている。中央には巨木が生えていてブランコなどの遊具が有るが、荒れ果てて腰ほどもある草が生えているので 誰も来ない。そのブランコに座って吉本は待っていた。


目が合うと吉本がニヤリと笑って「よう!」と言った。


「よう!」と答えて、僕は吉本の横のブランコに座った。


「いちおう謝っておくわ・・ 俺は見てなかった。適当に言ったんよ。」


「あれは、窓枠がおかしいという事になって、業者が調べてるんだ・・」


「そうか、じゃああれは無かったて事で良いよな。」


「うん、良いよ・・」


「俺の家に来いよ、良い物を見せてやるから。」



吉本の家のガレージは奥行が広く、車の後ろにもう一台車が入るほどスペースがあった。そのスペースの中央にサンドバックがぶら下げてあり、壁にはグローブも掛けてある。


「え! ボクシングをやってるの?」


「俺じゃあ無いよ、姉貴がやってるんだ。」


吉本には22才の姉がいて、その姉がジムに通ってボクシングをしているそうだ。


「姉さんのボクシングはさあ、エクササイズボクシングで美容の為なんだけどな、素質があるってコーチに煽てられて、その気になって 本物のサンドバックをガレージに設置したんよ。」


「すげーなあ! 姉さんは強いんだ。」


「エクササイズボクシングでも基礎をやった奴は強いんだ。俺が本気出してもなかなか姉貴に勝てないんだ。 殴ってみろよすっきりするから。」


そう言いながら吉本は軽快に、パンパンとサンドバックを叩いた。

僕も真似をして殴ってみるが、どうにも形が決まらない。力とタイミングが合わずパンチがスッポヌケル感じがする。


「手だけで打たないで! 肩を回して! 肩で打つの!!」

と鋭い女の声がした。

驚いて振り返ると いつの間にか吉本の姉さんが後ろで見ていた。


「もう一回やってみて!」


僕は言われるままにサンドバックを打った。


「もっと早く打って、遅いと避けられるわよ!」


「ガードを下げないで! ワンツーで   パッパーン!パッパーン! リズム! リズム!」


言われるままに動くと、瞬く間に汗が吹き出し息が上がってしまう。


姉さんは僕にタオルを渡しながら、

「あんた、動き良いねえ。浩紀の友達?」


「俺のダチの高橋なんだ。サンドバックを使わせてもらおうと思って。」


「いいね!三人でやろうよ。その方が楽しそう。」


「こいつ、動き良いだろう?」


「リズム感良いから強くなりそうね。土曜日においでよ。 あ、わたしサクラ、よろしくね!」


「はい、よろしくお願いします・・」


サクラさんは細身のスポーツ体型で髪は短く、笑うと八重歯がきらりと光った。

吉本は僕をサクラさんにダチと紹介した。僕をダチと呼んでくれる友達がいる・・ それがちょっと嬉しかった。





それからというもの僕は土曜日になると吉本の家のガレージに行った。


「パン ・ パーンは駄目! パッパーンだよ! 足を開いて腰を入れて!」


僕の体がサクラさんの言葉に連動して軽快に動く。


パッパーン パッ パッパーン パーン パーン

サクラさんの言葉が僕を捕まえてコントロールする。

僕はサクラさんの言葉に身を任せ軽快に動く・・

不思議な連帯感に僕は夢中になる・・

パッパーン パッ パッパーン パーン


サンドバックが済むと、今度はサクラさんを相手にスパーリングだ。

グローブは中に綿が入っていて当たっても痛くない練習用だ。


サクラさんはフットワークが良く、なかなか良い距離がつかめない。追い詰めてもひょいと横に回られて、僕が向きを変えるとそこへジャブが来る。僕の足が止まるとすかさずパッパーンとワンツーを食らう。


綿の入ったグローブは痛くはないが、かなりの衝撃は有るので、何度も食らうと目まいがして倒れそうになる。


僕と浩紀と交代でやってもサクラさんはへこたれない。お世辞じゃあ無くサクラさんは強い女だった。


「サクラさんはジムで男の人とスパーリングするんですか?」


「時々相手をしてもらうけど、プロを目指している人はレベルが全然違うから、 パンチが違うんよね。ヘッドガードしててもガツーンと来るから。 女が相手だと私の方が断然強いんだけどね(笑)  ねえ浩紀、冷蔵庫からポカリ持ってきて!」


スパーリングは汗が噴き出る。

すると失った水分を体が欲しがる。

キューっとポカリを飲み干すと、体中の細胞が喜ぶ。

頭の中にツーンと水分が浸みてくるのだ。


三人で話ながらポカリを飲んでいると、吉本の両親が車で帰って来た。

「あんた達、汗だくだね。夕ご飯作るからお風呂に入りなさいよ。ね、高橋君も一緒にご飯食べて。」




お風呂から上がると浩紀の下着を着ろと言う。浩紀の下着は僕より一回り大きくてぶかぶかだ。


・・浩紀の家で晩御飯を食べてから帰るとなると・・

・・親に言っておかなければ心配するだろう・・そう思って母に電話をする。


「もしもし・・うん・・ 吉田君んちで夕ご飯ごちそうになるんで・・うん・・」


「あ、高橋君、私に代わって・・」

そう言って浩紀の母親が僕のスマホを手に取った。


「どう~も・・ええ・・いつも仲良しで・・ははは・・で、今夜は私の家でお泊りって事で・・ いいえ~え・・心配はいりませんから・・ははは・・はい、どうも・・」


浩紀の母親は面白い人だ、僕を勝手にお泊りにしてしまった。

夕ご飯は卓上で焼肉を焼きバーベキューのような食事だった。


我が家では相手に気を使って 思っている事をあまり言わないのだが、吉田家は何でも話す家庭なので、我が家とはまるで雰囲気違う。


吉田のお父さんがビールを飲むと上機嫌になって話し始めた。


「サクラは小3ぐらいからいじめられっ子で、性格も暗くって心配したんだよ。学校はもう行きたくないって・・ 結局大学にも行かなかったし・・ ところがさあ、就職してボクシングを始めたら、めちゃ性格が明るくなって・・ 浩紀とまで仲良くなったんだ。 ほんとうに仲の悪い兄弟でね・・  口をきいたことが無かったろ、サクラ・・」


「だって、浩紀はゲームしか興味のないオタクだし、何考えてるんだか・・ 思考の接点が無かったからね。」


「いやいや、そんな・・俺を馬鹿みたいに言わんでよ。お姉さんも何考えてるか分らんかったし・・ 尊敬できることが何も無かったからね。 でも今はパンチの打ち方は完璧に尊敬できる。」


それを聞いてみんなで大笑いをした。サクラさんも浩紀もお父さんもお母さんも、皆輝いて見えた。





次の日家に帰るために近道の公園を通った。公園の中央には巨木が有り、その前に草ぼうぼうのブランコが有る。僕はブランコの前に行き錆びたブランコを見下ろした。胸が苦しく不安な気持ちに捉われて、このまま家に帰る気がしなかったのだ。


どうすれば良いんだろう・・

このままでは苦し過ぎる・・

答えが見つからず、僕はブランコに座り目を閉じた。


目をつむるとサクラさんの笑顔が見える・・

首筋を伝う汗・・

汗に濡れたTシャツ・・

彼女の厳しい声・・


どうすれば良いのだろう・・

胸が苦しくなるほどのこの気持ち・・


僕はサクラさんを好きになってしまった。

目をつむるといつもサクラさんがいる・・

・・どうすれば良いんだよ、この気持ち・・

・・どうすれば良いんだよ・・


僕は苦しくなって目を開けた、そして口に出して言ってみた。

「僕はサクラさんが好きだ。 好きだ! 好きだ! 好きになってしまった。どうしようも無いんだ!」


気持ちを口から吐き出すと、少しすっきりして気持ちが落ち着いた。

・・そうかこの手が有ったか・・

・・気持ちを吐き出せば楽になれる・・


僕は気を取り直して立ち上がった。そして歩き出そうとした。

その時だった。


「高橋君、待って・・」


驚いて振り返ると巨木の陰からサクラさんが現れたのだ。

僕は動揺して固まった。


・・いつからそこにいたのだろう・・

・・まさか今のを聞かれたのか?・・


サクラさんは何も言わず近づいて来て、平静な顔で僕の前に立った。

そして言った。


「私、高橋君と話したくてここで待ってたんよ。」


「え! じゃあさっきの・・」


「そう、聞いてた。 嬉しかったよ・・」


そう言うとサクラさんは、いきなり僕の肩を抱いてキスをしてきた。

僕は急な展開に頭が付いて行かず混乱した。

唇を離すと僕はサクラさんの気持を確かめるように目を見た。

「サクラさんも僕を好き?」


「そう、そんなバカなと思って気持ちにブレーキ掛けたんだけどね・・ ダメだった・・ あんた可愛すぎるんだよね。」


「僕もサクラさんの事が好き過ぎて・・うむ・」

サクラさんがまた僕にキスをして僕の言葉を止めた。


・・こんな大人の人を僕はどうすればいいのだろう・・

僕は自分が子供過ぎるのを感じて困惑した。


「今度の休みに車でデートしようよ。」


僕は何か言おうとしたが言葉にならず、サクラさんの目をみた。


「後でラインするね・・」


そう言うとサクラさんはランニングで軽快に去って行った。

僕は呆然とサクラさんの後姿を見送っていた。


・・え! サクラさんが僕を好き?・・

・・え! 僕がサクラさんとキスをした?・・


僕は今起きた事を実感として受け止める事が出来ず焦った。

・・高2の僕がサクラさんの彼氏になる?・・

・・そんな事が有るのだろうか・・

僕はまだ自分の妄想と現実との見極めがつかなかった。


しかし・・

唇にはサクラさん唇の感触が残っていた・・

僕は確かめるように自分の唇を指で触ってみた。











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